YANO SAORI (Savoy) |
| - 矢野沙織 |
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矢野沙織 (as) 松島啓之 (tp) 今泉正明 (p) 上村 信 (b) 大坂昌彦 (ds) 2003/04/07 & 08 |
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チャーリー・パーカーというテキストを生真面目に練習、消化した優等生。 と同時に、演奏場所を求めて、門前払いにもメゲず、多くのライブハウスを周って自分を売り込んだド根性少女でもある。 生真面目さと、頑張ってます! なエネルギーがストレートに伝わってくる、アルトサックス奏者・矢野沙織のデビューアルバムだ。 なになに? これってパーカーじゃん? だったら、最初からパーカー聴いたほうがいい? 年齢のわりには巧いかもしれないが、まだまだスタイルが完成されてない? いや、そうなんだけどさ、 いやいや、失礼、そうかもしれないけどさ(笑)、 でも、選曲で聴くんじゃなくてさ、まずは、彼女の“学習リポート”を先入観なしに聴いてみようじゃないの。 このアルバムは、「パーカーをこれだけ頑張って学習、修行してきました。次なる私に期待してください」という彼女の自己紹介とともに、今後の展開を我々リスナーに期待させるためのプレゼン資料なのだ。 すると、どうだろう? キチンと聴けば聴くほど、彼女はパーカーに“似ていない”ということに気がつくことだろう。 矢野沙織をパーカーに“似ている”と語る人は、まだまだ修行不足。聴きこみが足りんよ。少なくとも、チャーリー・パーカーの特徴や表現を理解していない。 歌で喩えれば分かりやすいと思う。 1970年、ザ・ピーナッツという女性コンビの歌手が《東京の女(ひと)》を歌った。30年後に椎名林檎も《東京の女(ひと)》をカバーした。 しかし、ザ・ピーナッツの《東京の女(ひと)》と、椎名林檎が歌う《東京の女(ひと)》似てますか?ぜーんぜん、似てない。 ジャズ方面のヴォーカルでいえば、いくら同じ《バードランドの子守唄》を歌ったからって、クリス・コナーとサラ・ヴォーン似てますか? ってことです。 それと同様に、いくら矢野沙織がパーカーの《コンファメーション》や《マイ・リトル・スゥエード・シューズ》を演ったところで、パーカーに似ているとは限らないのだ。 アドリブの一部に《ドナ・リー》のテーマをチラリと引用したとしても、影響を強く受けていることを伺い知ることは出来るかもしれないが、パーカーに似ていることにはならない。 もっとも、彼女自身、パーカーへの憧れはあったと思う。 しかし、憧れと結果は、また別の世界。結論から言ってしまえば、矢野にとってのパーカーナンバーは、運指のメカニズムや、ジャズの文法を習得する手段に過ぎなかったんだなぁ、ということが、矢野のプレイを聴いて感じたこと。 だって、パーカーに全然似てないんだもの。 そして、それは、とても良いことだと思う。 ことオリジナリティが重要視されるジャズの世界。しかし、ジャズジャイアントの曲や演奏をコピーしたところで、必ずしも似るとは限らないということを、矢野のサックスは教えてくれる。 ジャズ研1年生は、おそらく、渡辺貞夫の『ジャズスタディ』を先輩からやらされたり、パーカーやブラウニーの譜面を見せられたりと、“バップ語”の習得からジャズ演奏の門戸をくぐると思う。 先人のコピーからだ。 「オリジナリティ重視のジャズで、先人のコピー? そんなん矛盾してるじゃん、やってらんねーよ」と反抗期なキミもいると思う。 しかしですねぇ、チャーリー・パーカーと矢野沙織のサックスを聴き比べてみなさい。そして、安心めされい。先人のコピーをしたぐらいでは、表現力や音の深みまでは“似ない”のです。だから、安心して入り口の段階では、コピーに励みなさい。画家のタマゴがデッサンや模写に励むように。 ホレス・シルヴァー、ケニー・ドリュー、バリー・ハリスらパウエル派と呼ばれるピアニストは、皆、最初はパウエルをコピーしていた。 チック・コリアにいたっては、『ジ・アメイジング・バド・パウエル』のピアノを隅から隅までコピーして、レコードに合わせてピアノを弾けるほど練習したという。 しかし、彼らのピアノと、パウエルのピアノ似てますか? たしかにキャリアの極々初期は似ていた。 特に、ホレス・シルヴァーやケニー・ドリューの初期のリーダー作は、パウエルフレーズのオンパレードだった。 しかし、彼らは、パウエルという礎を築いた後、その後は、自分独自の世界を築いていった。 同じ楽器に限ったことではない。 アール・ハインズは、サッチモのラッパをピアノで弾いたし、マイルス・デイヴィスはフランク・シナトラの歌をトランペットで表現しようとした。 先輩たちの残した音は、後輩たちによって模写され勉強され、後輩たちが成長するための肥やしになっているのだ。 だから、アマチュアは、コピーをバカにしちゃいけないんですよ。オーネットじゃないんだから、ある日突然、誰にも似ていないオリジナリティたっぷりな演奏が出来るなんてことを期待しちゃあいけない。 もう少し例を挙げると、日本人ジャズマン(ウーマン)もそうだったよね。 穐好敏子のバド・パウエル。 渡辺貞夫のチャーリー・パーカー。 たしかに、彼らの演奏、最初はそっくりさんだった。 しかし、パウエルやパーカーで築き上げた土台の上に、違うお城を立派に築き上げているではないか。 みな、このように先輩たちから受け継いだ遺産をコピーし分析し、練習し、ジャズの言語、文法を血肉化することによって、まずは礎を築く。で、オリジナリティを発揮するのは、この礎が強固に固まってからなんだ。 矢野沙織は、このファーストアルバムを吹き込むまでは、パーカーをテキストに、徹底的に練習をくり返し、礎を築いてきた。いや、いまだ礎を築いている段階かもしれない。 しかし、パーカーフレーズを連発しつつも、「フレーズはパーカーだが、音は非パーカー」という個性がすでにある。 両者を断絶する個性の大きな違いは何だろう? いろいろあるが、大きな違いを一つだけ。 それは、両者の発する、あるいは認識している“音価”の違いだ。 パーカーと矢野では、音価の捉え方がまったく違う。 これが、矢野の個性といえば個性かもしれない。 パーカーのアーティキュレーション(抑揚)を彼女なりに消化した、「ぅぱ・ぅぱ」と余韻を多く引きずらない、発音のイントネーション。 おそらく、パーカーのイントネーションやノリをコピーしたのだろう。 しかし、皮肉なことに、パーカーのノリを表現しようとした結果が、ノリの面では非パーカー的なスタイルに落ち着いている。 むしろ、後に引きずらない、あっさりとした音価は、ソニー・クリスに近い。もっとも、スピード感は矢野とクリスはまったく違う。スピード感はクリスのほうが圧倒的に感じられる。 しかし、ウラを意識しながらもオンで乗ってゆく“矢野ノリ”は、アルバムを通しで聴くとちょっとワンパターンにも感じられるが、個性といえば個性。同じパーカー派でも、ソニー・スティットのベタベタなアルトを吹いたときの3連譜に比べれば、気になるほどでもない(少し気になるけど)。 この軽やかな“矢野ノリ”は、バップよりも、ファンクの演奏で生きるんじゃないかと個人的には思う。 ファンクリズムをバックに吹けば、メイシオ・パーカーやキャンディ・ダルファーとは違ったクールネスさを表現出来るのでは? と、私は思うのだが……。 ルー・ドナルドソンもキャノンボール・アダレイも、パーカーを徹底的に吸収して土台を築いた後は、ファンク、ソウル方面で独自のスタイルを作り上げた。 あくまで個人的な要望だが、ソウルやファンク路線に行けとはいわない。しかし、バップでテクニック的な土台を築き上げた後は、是非とも様々なタイプのリズムにトライして欲しいと思う。 パーカーはパーカーでも、チャーリーのほうではなく、メイシオの要素も研究すると表現の幅が広がってくるのに、とも思っている。 彼女は逸材。将来、もっとスゴい感動を我々に与えてくれる可能性大なんだから。4ビートのみならず、様々な音楽にトライして欲しい。そんなことを考えた1枚。 |
| (2006/12/02) |
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