MADRIGAL (澤野工房) |
| - 山中千尋 |
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Chihiro Yamanaka (p) Larry Grenadier (b) Rodney Green (ds) #1,3,4 Jeff Ballard (ds) #2,5,6,7,8,9 2004/2/12,13&15 |
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アルバム冒頭の《アントニオズ・ジョーク》、最初の数秒を聴くと、一瞬『ホレス・シルヴァー・トリオ』の最初の曲《ホロスコープ》出だしとそっくりなので、一瞬ギョッとする。 もっとも正確には、ホレスの場合は、 ♪ド#ミ〜・ド#ミー だが、 山中の場合は、 ♪ミ♭ド〜・ミ♭ド〜 だが。 それでも、限りなく酷似したメロディの波形は、これは意図的なホレスへのオマージュなのかもしれない。 しかし、それも一瞬の出来事。 ホレス色から、ただちに山中千尋のピアノ世界が展開される。 タッチのせいで、アクのない爽やかに聴こえるかもしれないが、しかしそれでいて長年ハードバップに親しんできた者の耳を捕えてやまない旋律は、まぎれもなくファンキージャズの要素を孕んだ曲想。 ボビー・ティモンズやソニー・クラークが弾いても、まったく違和感を感じない、いやむしろ、彼らが作曲自演していると勘違いされるのでは? といった想像をかきたてられる《アントニオズ・ジョーク》。 山中千尋は、バークリーで新しいジャズのスタイルのみならず、古いジャズのエッセンスをも取り込んでいるという証でもある。 最初の1曲目で掴みもバッチリな『マドリゲル』だが、アルバム全体を覆う瑞々しいピアノの中に、聴き手を一瞬ドキッとさせる仕掛けが満載されており、最後まで聴き飽きない構成となっている。 スタンダードナンバーは凝ったアレンジ、というよりもイタズラ心に溢れハーモナイズとメロディ変形がなされている。 たとえば《テイク・ファイヴ》。 誰もが聞いたことのある有名曲だが、これに耳の引っかかりを導入し、自らの個性を主張しようという試みが感じられる。 特に、メロディをスムースに耳の中に受け入れることを許さない、突拍子もない転調、半音を上がったり下がったりのテーマの旋律の処理。 この気持ち悪さが気持ちいい。 トリスターノ風な演奏の《学生時代》のテーマ処理も、同じアプローチだ。 そう、♪ツタの絡まるチャペルで〜 の“あの曲”だ。 記憶の中のメロディで旋律を追いかけると、いつのまにか半音下がっていたり、上がっていたり、いつの間にか元に戻っていたりと、なかなか“はぐらかし”がお上手。 原曲のメロディは後半に出てきて、わざと音程をあやふや、かつクロマチカルに弾き、調子っぱずれ感を強調しているので、「ちょっと凝り過ぎ」なゲップ感は否めないが、テーマが登場するまでの演奏はカッコイイ。 トリスターノ好きなら、「おっ!」と身を乗り出すことだろう。 だって、『鬼才トリスターノ』の1曲目とそっくりなのだから。 「半音ズラしメロディ処理」もそうだが、伴奏の和音の処理(リハーモナイズ)も山中流の気持ち悪気持ち良いセンスが光る。 たとえば、エリントンの有名曲《キャラバン》のテーマの和音も、エリントンよろしく“混濁重厚和音”を混入しているが、この濁りは、明らかに非エリントン的。山中流のスマートな濁りだ。 ただし、アドリブに関していえば、後半になると息切れ気味。 引き出しはたくさんあるのだろうが、うまく繋がらないまま、ラスト近くでは音は失速していないが、気持ちはちょっと萎えているんじゃないか? と感じる。 タイトル曲は普通の出来で、可も無く不可もなく。 このアルバムの個人的な目玉は、《オホス・ロホ》だ。 この曲は、レイ・ブラウンのリーダーアルバム『サムシング・フォー・レスター』の冒頭を飾る情熱的な曲で、シダー・ウォルトンの熱いピアノが印象に残る名曲だ。 この曲も、ジャズファンからしてみればお馴染みのナンバー。 しかし、《テイク・ファイヴ》や《キャラバン》のように、ヘンにアレンジに凝らず、ストレートにピアノに思いのたけを叩き付けた演奏は爽快だ。 シダーのような味のある哀愁はないが、そのぶん、思い切りの良いはじけたピアノが炸裂し、当時の新人ピアニストが秘めた潜在力の一端を垣間見ることが出来る。 もとより、この曲は哀愁漂う名曲ではあるのだけれども、テンポをシダー&レイ・ブラウンのバージョンよりもさらに速め、ほとんど乱れぬタッチで弾ききるところは見事! 他の曲ほど「作為的」ではなく、ストレートに思い切り良く弾ききったところが功を奏したのだと思う。 懐かしくも楽しい味を出した《レッスン51》も個人的にはフェイヴァリット。 端正でイーヴンな音の粒立ちで、アドリブフレーズ集に出てきそうな整然としたクロマティカルなフレーズが随所に出てくる、ラテンタッチの《Salve Salgueiro》。 これは、リズムはラテンながら、ピアノはラテンというよりも、山中流の柔らかい生真面目さがあり、ラテンと非ラテンの狭間を行き来する妙な違和感は、それはそれで楽しい。 国府弘子を、いくぶん生真面目にした感じのラテンフレヴァーピアノではある。 最近は大手に移籍して、精力的に次々とアルバムを発表している彼女だが、キャリア初期を代表するこのアルバムの瑞々しさが私は好きだ。 |
| (2007/08/26) |
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