LIVE AT MOERS FESTIVAL '80 (Three Blind Mice) |
| - 高柳昌行とニュー・ディレクション・ユニット |
|
|
高柳昌行 (el-g,gat-g) 森 剣治 (as,fl,alto-fl,cl,bcl,篠笛) 飯島 晃 (el-g,gat-g) 井野信義 (cello) 山崎泰弘 (ds,per) Recorded "live" at Moers New Jazz Festival,Moers,West Germany 1980/05/26 |
|
|
|
このアルバムは、奄美大島にある音楽ソフト専門店、「サウンズ・パル」で購入した。 なんと、この店では、このCDを既に10枚以上も売っているというから、この島のリスナーの音楽感度が高いのか、それとも、よほど「サウンズ・パル」がこのアルバムの販促に熱心なのか。 たぶん、その両方なのだろうけど、いずれにしても、ジャズを担当している高良氏好みのクールで攻撃力の高いサウンドが、じわりじわりと、着実に島内に伝染しているようにも見受けられ、ニンマリとご満悦顔の高良氏の顔が目に浮かぶ。(高良さん、そうですよね?) 『日本フリージャズ史』(副島輝人・著/青土社)という本を読んで以来、私にとってもこのアルバムは、気になる1枚ではあった。 この本は、タイトル通り、日本のフリージャズの変遷をとても丁寧に追いかけた本で、なかなか読み応えのある本だし、資料的価値も高く、マニアにはたまらない内容なんじゃないかと思う。 当然、1980年にメルスにて行われた、高柳昌行率いるニュー・ディレクション・ユニットの演奏についても触れられており、ヨーロッパでノイズ・ミュージックという概念が生まれる数年前に行われた革新的な演奏といった内容で紹介されていたように思う。 「彼はあの超音量で我々を殺す気なのか!」と、現地のジャズ・ジャーナリストたちは露骨に不快の念を示したらしい。 果たしてメルス・ニュー・ジャズ・フェスティバルの会場をどれぐらいの大音量が覆いつくしたのかは想像もつかないが、私もその逸話にならって、出来るだけ音量をあげて聴いてみた。 とはいえ、私の家には防音のリスニングルームがあるわけではないので、上げられるボリュームにも限界があるが…。 私が聴いた音量は、きっと現場で鳴っていた音の半分にも満たないのだろう。しかし、それでも、この演奏はボリュームを上げれば上げるほど良いことに気がついた。 なぜかというと、不思議なことに、ボリュームを上げれば上げるほど静けさが増すから。 静かなんだけど、猛烈に不穏な空気を感じる。なにかとてつもなくイヤな出来事が起こる直前の空気感、とでも言うべきか。 おそらく、現地のジャーナリストの感じた不快感は、物理的な音量だけではなく、この演奏から感じる不穏な空気と、形容しがたい不安に恐れおののいたのではないだろうか。 しかし、それにしても、なんてストイックな演奏なんだろう。私が感じた“静けさ”とは、演奏全体から漂うストイックさからなのだろう。 即興演奏とはいえ、知的に整理整頓された音塊が中空に放たれているのだ。 大音量で聴けば聴くほど、なんだか自分の意識が、演奏の混沌としているくせに秩序立ってもいる“巨大な仕組み”の中に取り込まれてしまうように感じる。 情念をストレートに吐き出さずに、いったん自分の内部の“関所”のようなところで、余分な音、過剰な情念をふるいにかけた末に、音が搾り出されているようなストイックな音の集まり。 サウンドの肌触りとは裏腹に、ニュー・ディレクションの演奏からは、研ぎ澄まされた“クールさ”を感じる。 たしかに過激だが、なんだか秩序だったカオスも感じるこの演奏、フリージャズというと荒々しく暴力的な内容を連想する人もいると思うが、この演奏はまるで逆で、なんだか壊れそうなぐらいにはかない美しさを感じる瞬間すらある。 ラストに、ギターソロで演奏される《サブコンシャス・リー》からは、高柳昌行という孤高のギタリストの生の姿が浮き彫りになり、妙に生々しい肌触りを感じる。 テクニック云々を超えて、彼のつむぎだす一音一音は、鋭利で刹那的だ。 この『メルス・ニュー・ジャズ・フェスティバル'80』は、高柳昌行の最初で最後の海外演奏記録でもある。 この演奏に接した観衆は3,000人だったという。 74年に欧州を席捲した山下洋輔トリオは、ヨーロッパの聴衆の度肝を抜き、“びっくり”を提供したが、高柳昌行のニューディレクションも、山下に負けず劣らず、いや、それ以上にヨーロッパの聴衆に“びっくり”を提供したのかもしれない。 |
| (2003/09/30) |
|
|
|
|
All Rights Reserved. |