WHO IS THIS BITCH,ANYWAY? (Blue Note)
- Marlena Shaw

  1. Street Walking Woman
  2. You Taught Me How to Speak in Love
  3. Davy
  4. Feel Like Makin' Love
  5. The Lord Giveth And The Lord Taketh Away
  6. You Been Away Too Long
  7. You
  8. Loving You Was Like A Party
  9. Prelude For Rose Marie
  10. Rose Marie (Mon Cherie)

Marlena Shaw (vo,p)
David T.Walker (g)
Larry Carlton (g)
Bill Mays (el-p)
Chuck Rainey (b)
Harvey Mason (ds,per,wind chimes)

1974/12月

クラシックや、Jポップ以外に、なにかイイ音楽ない? と尋ねられたら、私が無条件に勧めているのが、マーヴィン・ゲイの『ホワッツ・ゴーイング・オン?』とマリーナ・ショウの『フー・イズ・ジス・ビッチ・エニウェイ?』だ。

この2枚は、針を下ろした瞬間、あるいは、CDプレイヤーの再生スイッチを押した瞬間から、多くの人を虜にするだけの“世界”を持っている。文句のつけようがないほど上質な歌アルバムだ。

奇しくも2枚ともソウルだが、まぁ、それは私の趣味ってことで(笑)。

マーヴィン・ゲイが似合うのは、朝。
コーヒーとモーニングを食べながら、リラックスした気分にひたりながらも、心の一部を緊張させ、その日のシゴトに立ち向かう心の戦闘態勢を整えるのには最適なアルバムだ。

一方、マリーナ・ショウは、夜。
バーのカウンターなどで強めのお酒を飲みながら、一日の疲れを心地よく落とすのに最適な極上のミュージックだ。

だから、上記2枚は、「極上ソウルの朝晩セット」として、一家に常備くださるよう、お願いします(笑)。

今回は、極上ソウル、夜の部の紹介。

「イイ!」に関して列記すると、ものスゴイ数になりそうなので、なるべく数を抑えて簡単に書いてゆこうと思う。

まず、なんといってもマリーナ・ショウのソウルフルなヴォーカルが最高。
威風堂々としていながらも、細やかな柔らかさを決して失わない彼女の歌声は、聴けば聴くほど虜になる。

次に、リズムセクションが最高だ。
ドラムがハーヴィ・メイソンに、ベースがチャック・レイニーという鉄壁の布陣。
特に、1曲目の《ストリート・ウォーキング・ウーマン》のたたみかけるような16ビートは凄まじいドライブ感で、聴き手を圧倒する。

特にチャック・レイニーのベースが素晴らしく、ウネる、ウネる。ベーシストならば、こんなベースラインを一生に一度でもいいから弾いてみたいものだと思う。

ギターも良い。
デヴィッド・T・ウォーカーに、ラリー・カールトンの濡れたギター。
かゆいところに入る合いの手が、聴く者の心のヒダをくすぐる。
ギタリストだったら、あまりの“さり気ないやらしさ(笑)”に思わず口許を緩めてニヤリとするかもしれない。

ビリー・メイの鍵盤も素晴らしい。控えめながら、ソウル臭タップリのバッキング。曲の核心を理解してこそ初めて出来る職人芸だ。
サザン・オール・スターズの原由子は、きっとこういうピアノ、キーボードを弾きたかった(弾きたい)んだろうなぁ。
いや、桑田佳祐がきっと、原ぼう(原由子)にこういう鍵盤サウンドを求めているのだろう。なにせ、聞くところによると、サザンの桑田は、若い頃からこのアルバムがフェイヴァリットだったそうで、茅ヶ崎のバーのカウンターでよく聴いていたとのこと。

だからだろう、サザンが単なるコミックバンドじゃないということを見せつけ、かつ彼らの代表曲ともなっている《いとしのエリー》という曲と、『フー・イズ・ジス・ビッチ・エニウェイ?』の2曲目、《ユー・トート・ミー・ハウ・トゥ・スピーク・イン・ラヴ》のメロディは瓜二つだ。

パクッた?

…のかもしれない。
しかし、サザンの《愛しのエリー》のメロディは、桑田佳祐なる人物が、若かりし日に、飽くことなくこのアルバムをくり返し聴いていたがために、身体に刷り込まれ、無意識に出てきてしまったメロディ、なのかもしれない。
…好意的に解釈するとね。

もっとも、確信犯なのかもしれないが。

どうせ誰も知らないだろう、ってことで、レッド・ツェッペリンがブラインド・ウイリー・ジョンソンの曲をハードに演奏し、クレジットを自分たちの名義にしてしまったように。
もしそうだとしたら、リスナーも随分なめられたものだ。
ただ、サザンの場合は、時代背景というものも多少鑑みなければならないかもしれない。

というのも、《いとしのエリー》が流行った時代背景の“ニューミュージック”と言われていた音楽は、ある意味、洋楽の翻訳音楽とも言えるからだ。それはサザンに限ってのことではない。

今日は、世界中の音楽が廉価でCDで手に入り、ネットで容易く音楽情報を手に入れられる。しかし、20年前、30年前は、輸入盤が今よりもずっと高価だったし、情報の量も今とは比べ物にならないほど少なかった。

よっぽどの音楽ファンじゃないと、なかなか海外の音楽の痒いところまではチェック出来なかったし、聴いていなかった時代だったのだ。
そんな時代背景ゆえ、洋楽をチェックしていたミュージシャンは、「どうせ日本人の多くはこの曲知らないだろう、だからオイシイところをいただいちゃえ!」という発想も当然湧くと思う。

しかし、と同時に、“音楽屋”としては「こんなに素晴らしい音楽を、自分たちも演ってみたい!」という強い思いもあったはず。

これは、なにも桑田佳祐のみならず、同世代の、たとえば佐野元春の曲にも、もろエルヴィス・コステロや、ギルバート・オサリバン、ビリー・ジョエルにそっくりなメロディやアレンジの曲があることからも分かるとおり、70年代、80年代のミュージックシーンで活躍していた日本のミュージシャンは、多かれ少なかれ洋楽の洗礼を受け、かつ洋楽のテイストを消化し、自分のスタイルを確立しようと努めていた形跡が随所に見受けられる。

いわゆる、歌謡曲でもフォークでもない日本の音楽が“ニューミュージック”と呼ばれていた時代。この時代の“ニューミュージック”のミュージシャンは、音楽家以前に洋楽ファンだったのだろう。

だから、自分が感銘を受けた海外の音楽を自分なりに“翻訳”や“咀嚼”して世に送っていたのだろうと思う。いわば、開国後に欧米列強の文化を貪欲に吸収しようとした、江戸末期、明治期の若者たちのように。

もっとも、“翻訳”や“咀嚼”にも程度というものはある。
サザンの《いとしのエリー》のように、あまりにも“まんま”なままでリスナーに提供してしまうのは、いかがなもんでしょ?と私は思うのだが。

「いとしのエリーって曲、あんまり好きじゃない」というと、「え〜、どうして?あんなにイイ曲なのに」と多くの人が驚き、いぶかしげな顔をする。まるで広島に住んでいる人は全員広島カープファンだという思い込みが裏切られたような、「どうして?」という表情で。

つまり、この曲は、それほど多くの人に愛され、そもそも嫌いな人がいること自体が信じられないほどの名曲に昇格しているのだろう。
みんな、《いとしのエリー》が大好きなんだ。
ってことは、きっと《ユー・トート・ミー・ハウ・トゥ・スピーク・イン・ラヴ》はもっと好きになる可能性が高いと思う。日本語じゃない歌はダメだって人は別として。

ヴォーカルの歌唱力、ならびに表現力、バックのバンドの演奏力、盛り上げ力など、どれをとってもマリーナの歌のほうが客観的には上。バックのオケの演奏力も同様だ。
“エリー”が好きなは、是非、この『フー・イズ・ジス・ビッチ〜』を聴いて感性のステップアップをはかってください。

さてさて、どうでもいいことに字数を費やしてしまったが、要は、日本の茅ヶ崎方面でウケているバンドのバンマス(とメンバー?)にも多大な影響を与えたマリーナ・ショウの『フー・イズ・ジス・ビッチ・エニウェイ?』 は、まぎれもなく、上質かつホンモノの音楽。

ヴォーカル良し、リズム良し、キーボードやギター良しという点は先述した通りだが、最後に、曲が良い。

どれが良いかって?
そりゃもちろん全部!

どうしても1曲ということであれば、いや、2曲選べといわれたら(笑)、《フィール・ライク・メイキン・ラヴ》と《ラヴィング・ユー・ワズ・ライク・ア・パーティ》を選ぶ。

《フィール・ライク・メイキン・ラヴ》は、ジーン・マクダニエルスが作詞作曲し、ロバータ・フラックのヒットで有名なラヴ・ソング。
中盤でリズムセクションがむっくりと躍動しはじめ、少しずつじわじわと盛り上がってゆく様は最高。

工夫を凝らしたバッキングは、歌伴をやっているすべてのギタリスト、キーボーディスト(ピアニスト)の参考になること必至。気持ちよく好きなことをやっているようでいて、しっかりとマリーナな歌を引き立てている。個人芸の素晴らしさと、アンサンブルワークの一体感が奇跡的に融合したバッキングの一例だ。

《ラヴィング・ユー・ワズ・ライク・ア・パーティ》は、ソウルの教科書とでも言うべき曲で、メロディ、リズム、アレンジ、盛り上がりとすべての面において、すべてのソウルミュージシャンが耳をかっぽじって聴かねばならない大事な要素が盛りだくさん。

後半のアナログシンセが挿入されるあたりなんて、音色やエフェクトの使い方はちょっと古臭いかもしれないが、それでもこの曲の盛り上がりには、これしか無かったんだ!という強い説得力を感じると同時に、単純に気持ちいい。

上記2曲を聴いている時間は、最高に幸せなひとときを過ごせます。
1人でも。
2人でも。
もちろん、大勢で会話をしているときでも。
店でこれをかければ、一気に30パーセント以上ムードが良くなります。

いろいろ、言葉を尽くして、このアルバムの良さをお伝えしてきたが、それでも、言葉で音は最終的には表現できないのは当然なこと。
だから、同時にとてもモドカシイのだが、あとは、とにかく、いい気分になれますよ〜としかいいようがないのです。
(2006/11/17) 

エレクトリックベースの大御所、チャック・レイニーについて。

彼は、真のグルーヴマスターだ。
エレクトリック・ベースから、これほどまでに腰の据わった低音と、眩暈がするほどのウネリを出せる人って、そうはいないと思う。

しかも、このグルーヴを人差し指一本による奏法から生み出しているのだから凄い。

音色、音圧、フレージング、タイム感、アーティキュレーションなどなど、モータウンのジェームス・ジェマーソンとともに、すべてのエレキベース弾きの範となるべき人物だと思う。

じゃあどんなベース弾き?って気になった人は、このアルバムを聴くと良い。
マリーナ・ショウの『フー・イズ・ディス・ビッチ・エニウェイ』。

レイニーの怒涛のベースを味わえる。
特に、1曲目の《ストリート・ウォーキング・ウーマン》に絶句してほしい。

16ビートと4ビート。2つのリズムが行き来する緩急とスリルに満ちた曲だ。
この曲に、彼のベーステクニックが惜しげもなく注入されている。

16ビートの箇所では、これでもかといわんばかりの躍動的な低音が盛り込まれている。グイグイと容赦なく演奏に鼓動を送り続けるチャック・レイニー。こんなベースを弾かれたら、共演者はもう、ただひたすら煽られ、ノるしかない。

以前、ウイントン・マルサリス(tp)は、「曲を車にたとえると、ベースはエンジンだ」と子供達に教えているビデオを観たことがある。

そう、ベースは演奏の原動力。
チャック・レイニーのベースを聴けば、この意味を体感できるはずだ。

ベースのことばかり書いているけど、もちろん、ドラムもすごいし、それ以上に、良い曲ばかりですね。

マリーナ・ショウのヴォーカルも、グッとくるし。それに、なんか甘酸っぱいメロディやアレンジがこちらのハートをくすぐるのです。

怒涛の《ストリート・ウォーキング・ウーマン》に続く《ユー・トート・ミー・ハウ・トゥ・スピーク・イン・ラヴ》なんて、サザンなんとかの《いとしのエリー》を軽く凌駕してしまう同タイプのバラード。

《ラヴィング・ユー・ワズ・ライク・ア・パーティ》の甘さと切なさには、アナログシンセの暖かい音色がよく似合う。

……などなど、
凄くて、素敵で、素晴らしいアルバムなのです。
(2009/04/21) 

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