MICHEL SARDABY IN NEW YORK (Debs) |
| - Michel Sardaby In New York |
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Michel Sardaby (p) Richard Davis (b) Billy Cobham (ds) Ray Barretto (conga) 1972/05月 |
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ミッシェル・サルダビー、 ミッシェル・サダビー、 ミッシェル・サダビィ、 ミッシェル・サーダビー、 ……。 ウイントン・マルサリスも、 『スイングジャーナル』誌では“マルサリス”、 『ジャズ・ライフ』誌だと“マーサリス”という表記になるように、しょせん外国の発音を日本のカタカナに当て嵌めたところで、正確な発音にはなり得ない。 だから、“Sardaby”をカタカナでどう表記しようかと迷ったが、普段何気なく会話では、彼のことを「サダビー」と呼んでいるので、“サダビー”表記でいこうと思う。 “サルダビー”だと、なんだかサルみたいだしね。 あ、でもサル・モスカというピアニストもいるか。 ミッシェル・サダビー。 カリブ海のマルティニーク島生まれ。 哀愁を帯びたピアノが、我々日本人のツボにハマる。 と、書くといかにも簡潔にツボを押さえたような書き方だが、実は、この「哀愁」というものに気が付くには、私の場合多少時間がかかった。 というのも、最初に聴いたサダビーのアルバムば、『イン・ニューヨーク』だったからだ。 リチャード・デイヴィスのベースが気になって気になって仕方がなく、肝心のピアノには中々耳がいかなかったからだ。 重く太い音なのは良いのだが、おそらくワザと効果を高めるためなのだろうが、音程の着地点のハッキリしない、「どよん・どよん」と、 ワザと音程をズラしたようなベースがまず気になった。 一度気になりだすと、“サルな耳”な私は、気になる音ばかりを追いかけてしまう性癖がある。つまりベースの音ばかりを追いかけてしまい、肝心のピアノの音を耳がキャッチしないのだ。 いや、もちろんピアノの音が聞こえないということはありえないのだが、要するに“ベースの音の流れ”ばかりを追いかけてしまうようになってしまったのだ。 なんだか音程の悪いベースを弾いたときのロン・カーターをさらに重く太くしたような音色で、音程を「にゅいん・にゅいん」とズラして弾いているリチャード・デイヴィスのベースは、彼なりに深い音楽的意図があっての奏法なのかもしれないが、どうも私の耳にはサダビーのピアノを邪魔しているとしか感じられなかった。 ベースの録音バランスが大きめなことも、ピアノまでに中々耳がいかないことに拍車をかけた。 サダビーのピアノの良さに気が付くキッカケは、2曲目の《ワルツ・フォー・マイ・ファーザー》だった。 何気なく、夕飯を食べているときに、このアルバムをかけていたら、女房が箸を止めて、このピアノなかなか良いじゃない、と言ったのだ。 女房は、私がかけるジャズに関して、「良い・悪い」と言及することはほとんどない。いつも黙って聴いている。 しかし、本当にたまに、それこそ年に2〜3回ぐらいの頻度で「今かかっているのイイじゃない」と反応する。 彼女が反応するジャズは、思い出せる範囲で列記すると、ドロ・コカーだったり、JR・モンテローズだったり、ウディ・ショウだったり、ドド・マーマローサだったり、バリー・ハリスだったり、『リフレクション』のフィニアス・ニューボーンJr.だったりと、渋めのものが多い。 なんだか、私のジャズ心の一番痒いところを微妙に突つくタイプのアルバムや演奏に反応するのだ。 だから、というわけでもないが、そんな女房が「ピアノがなかなか」と言った時点で、「そういえば、ピアノを全然聴いてなかったや」ということに、間抜けなことにはじめて気が付いた。 改めてピアノに意識を集中させると、不思議なことに、ベースが全然気にならなくなる。というか私の耳は、かなり自分勝手に出来ているようで、全然聞こえなくなり、ピアノの音ばかりが入ってくる。 「このピアノ、なかなかいいじゃん」 いつの間にか、女房と同じ言葉を呟いている私がいた。 決して甘過ぎるわけでもなく、情緒に流れすぎるピアノでも無いのだが、ほんのりとした哀愁が漂っている。 このさり気なさが気持ちよい。 陳腐な喩えだが、季節に喩えれば、絶対に「秋」なピアノだ。 《ラブ・ラブ・アンド・ドリーム》の一部で出てくるフレーズなんて、可愛らしいフレーズのオンパレードで、ちょっとベタな旋律かな、と思う箇所もあるにはあるが、そこがまたいいのだ。 曲によって参加したりしなかったりの、レイ・バレットのコンガも演奏に推進力をつけるのに一役買っている。特に4におけるアップテンポの演奏では、演奏にさらに躍動感を増すのに一役買っていると思う。 また、ビリー・コブハムのドラミングも、曲によっては、ちょっと叩き過ぎな印象を受けるところもあるが、サダビーの哀愁漂うピアノに慣れてしまうと、それほど気になるほどでもない。 それほど頻繁にかけるアルバムではないが、私にとっての密やかな愛聴盤の一枚だ。 |
| (2002/08/10) |
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