MOVING OUT (Prestige) |
| - Sonny Rollins |
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Sonny Rollins (ts) Kenny Dorham (tp) Elmo Hope (p) Percy Heath (b) Art Blakey (ds) 1954/08/18 1954/10/25 #5 |
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たまたまなのだろうけれど、近所の水出し珈琲の旨い店に行くと、ソニー・ロリンズの『ムーヴィン・アウト』が必ずといっていいほど流れている。 大好きなロリンズのアルバムだ。 若き日のロリンズ。 まだ独自の“文体”が完成していない時期のロリンズのプレイは、チャーリー・パーカーのプレイを範としており、リズムセクションの熱気も手伝ってか、ロリンズ流のビ・バップの息吹きを感る熱演の連続だ。 テナーの音色をアルトに置き換えると、それがそのままパーカーのプレイに感じられてしまうほど、当時のロリンズはビ・バップの語法を咀嚼し、血肉化していたことが分かる。 だから、この時期のロリンズのプレイが好きだなんていうと、ロリンズにとっては「まだ自分のスタイルが確立してない時期の演奏が好きだなんて」とイヤな顔をされるかもしれないが、それでも私は『ムーヴィング・アウト』の持つ力強さと爽快さが大好き。 ロリンズに限らず、私はジャズマンの武者修行時代の演奏って結構好きなのだ。 たとえば秋吉敏子では、語法のみならず気迫までをもコピーしまくったんじゃないかと思えるほどの『アメイジング・トシコ・アキヨシ』が好きだし、同様にリトル・パウエルとでも言うべきのケニー・ドリューのトリオも好きだ。 ポロリとパウエルのフレーズがこぼれてしまう、初期のホレス・シルヴァーのピアノトリオも大好き。 ファンキー路線に走る前のルー・ドナルドソンのプレイはパーカーと瓜二つだが、そんなドナルドソンを楽しめるのブルーノートの初期のレコーディングも好き。 まぁ突き詰めれば、要するに私はパーカーとパウエルが好きなのだろう。 そして、この2人に近づこうと必死に修行を重ねる彼らの“音”に心打たれるのかもしれない。 ロリンズの場合は、『ムーヴィング・アウト』や、バド・パウエルの『ジ・アメイジング・バド・パウエルvol.1』でのプレイは、まるでテナーをくわえたパーカーそのもの。 ただ、フレージングの固さや、音色は既にロリンズのオリジナルなものだ。 まだ、後年のすっとぼけたフレーズや、モールス信号フレーズは出てこない。 単純なドレミファソラシドなフレーズの繰り返しや、意図的なリズムのズラしもなく、野球の投手にたとえれば、変化球無しのストレートのみで勝負をしているような感じ。 ど真ん中の直球ストレート。 しかも、豪快な球を投げる若き投手ロリンズは、パワフルな直球を何千、何万球と投げているうちに、少しずつ変化球の使い方を覚えていったのだろう。 あるいは、試合を重ねるうちに、いつしか精神的な余裕も生まれてきたのだろう。 演奏の緩急がつけられるようになり、必ずしも剛速球だけで勝負をしなくなった。 メリハリのついた配球が出来るようになったロリンズはまさに無敵だ。 もとより力だけで相手をねじ伏せられるだけの実力の持ち主が、技を覚え、場の空気を自在にコントロールする術を身につけたのだから。 『サキソフォン・コロッサス』が傑作たるゆえんは、そのへんにある。 一直線で爽快な『ムーヴィング・アウト』を聴いたあとに『サキソフォン・コロッサス』を聴いてみるとよい。 豪快な直球ストレートはもちろんだが、意図的な外しや、フェイント、変化球を自在に操って音楽を組み立てている様が実感できるだろう。 演奏がより一層立体的になり、それはすなわちロリンズの音楽的な成長を意味するのだ。 パワーと技が理想的な型でバランスよく融合した『サキソフォン・コロッサス』の演奏。 「なるほど!」と、あなたがそう感じたとしたら、あなた自身の耳でロリンズの傑作を本当に傑作だと実感した瞬間だ。 世評の鵜呑みではなく、あなた自身の名盤が1枚誕生したことになる。 そう、『ムーヴィング・アウト』に親しむことによって、よりいっそう『サキコロ』の素晴らしさに開眼出来るのだ。 慣れ親しんでいたはずの音が、また違う風景で自分に迫ってくる。長年ジャズを鑑賞していると、このようなことがしばしば起きる。 そして、まさにこれもジャズ鑑賞の醍醐味の一つなのだ。 |
| (2009/03/31) |
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後期のコールマン・ホーキンスのレコードを早回しすると、チャーリー・パーカーそっくりになったという逸話があるが、ロリンズの《ムーヴィング・アウト》の場合は、早回しせずとも、音域の低いパーカーだということが、“一聴”瞭然だ。 とにかく、冒頭1曲目から「快進撃!」という言葉が最もふさわしい。 とめどめもなく流麗に流れ出るロリンズのアドリブは、パーカー・フレーズを吸収しつつも、既に新たな彼だけの境地が芽生えつつあるし、快活なブレイキーのドラムはウキウキした気分にさせてくれる。 ケニー・ドーハムのラッパは、まったく“静かなる男”ではなく、むしろ、やんちゃで元気な男。 エルモ・ホープの水を得たようなピアノソロは、まるで絶頂期のパウエルではありませんか。 とにかく、1曲目の《ムーヴィング・アウト》が聴けるだけでも、「買い」のアルバムだ。 あ、もう一つ、このアルバムの「売り」を忘れていた。 ラストの《モア・ザン・ユー・ノウ》だ。 この曲のみ、パーソネルが違う。 ピアノがセロニアス・モンク、ベースがトミー・ポッターに代わっている。 つまり、アルバム『モンク&ロリンズ』が録音された日に収録された演奏が、この『ムーヴィング・アウト』のラストにポツリと1曲付け足されている感じ。プレスティッジがよくやる手法ですね。 このプレスティッジ編集についての詳しくは、『ソニー・ボーイ』のコーナー参照してください(こちら)。 ただ、編成も雰囲気も違えど、このアルバムのラストを飾るに相応しい演奏内容で、10分を超える長尺演奏ながら、飽きる瞬間の全くないクオリティの高い内容だ。 哀愁のロリンズ、ひっそりと佇む思索的なモンクのピアノ。 垣間見てしまったベテランのため息といった風情漂う、深い演奏だと思う。 とはいえ、このときのロリンズは、キャリアにおいては、まだ初期の段階。 ロリンズの生まれた年に関しては諸説はあるが、1930年生まれとすると、まだ若干24歳の時の演奏。 それでいて、この風格。この貫禄。この境地。 まるで人生の悟りを開いちゃったかのようなテナーサックスを吹いたロリンズは、傑作『サキソフォン・コロッサス』を録音する2年前。 ロリンズのキャリアの初期の代表アルバムといえば『ウィズ・MJQ』が挙げられ、本盤は陰に隠れがちだが、是非忘れて欲しくない名盤だ。むしろアルバム的なまとまりは、こちらの方が上だと思う。 |
| (2004/07/26) |
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