BOSSA NOVA BACCHANAL (Blue Note) |
| - Charlie Rouse |
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Charlie Rouse (ts) Kenny Burrell,Chauncey "Lord" Westbrook (g) Lawrence Gales (b) Willie Bobo (ds) Potato Valdez (conga) Gravin Masseaux (chekere) 1962/11/26 |
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チャーリー・ラウズの唯一のブルーノートでのリーダー作。 内容は、4ビートではなく、なんとボサ・ノヴァにトライをしている。 ラウズは、セロニアス・モンクの片腕としてのイメージが強い。 いや、実際そうだったのだが、10年以上モンクに連れ添い、可もなく不可もなくな凡庸なプレイを続けていたテナーマンというイメージが強い、ちょっと可哀そうなテナーマンでもある。 しかし、ラウズの本領は、モンクのところで発揮しきっていたわけではない。もちろん、モンクの難解な曲の“中庸な翻訳者”としてのプレイも、彼の本質の一つだが、彼の持ち味はそれだけではないということだ。 モンクと共演していたラウズは、“モンクという音楽が求めるテナーマン”を演じていたに過ぎない。 渥美 清は「寅さんシリーズ」で寅さんの役割を演じていたけれど、別の作品では違うキャラを演じているのと同じように、ラウズだって、「モンクさんシリーズ」の中では、親分(監督)が求めるモッサリした役割を演じているけれども、ひとたび違う作品を演じる機会が与えられると、まるで違った役柄を演じることが出来る個性派役者なのだ。 もちろん、役者が顔を変えられないのと同様、ラウズだって作品ごとに音色やアドリブの内容を根本からは変えられるわけではない。 しかし、『生きる』の志村喬と、『七人の侍』の志村喬がまったくの別のキャラクターなように、モンクの元でのラウズと、この『ボサノヴァ・バッカナル』でのラウズのキャラはまったく違うと言ってもよい。 柔らかなリズムに、適度なエキゾチックさ。 クッションの効いた弾力あるサウンドの中に溶け込むラウズのテナーは、モンクのサイドマンのときのプレイと比較すれば、明らかに“ほぐれて”いる。 とはいえ、 「こんな感じで吹いてみたんだけど、よろしいでしょうか?」 という生真面目さは捨てきれず、ハジけきれない、どこか禁欲的なトーンを常に帯びているところが、ラウズらしいといえばラウズらしく、人によっては、好き嫌いが分かれるところかもしれない。 律儀さの抜け切らないラウズのテナーにより、このアルバムは、間違っても「バカ・ラテン」なフレヴァーは一切帯びていない。 《オルフェのサンバ》のような有名曲も演奏しているが、むしろ知名度の低い名曲を取り上げているセンスが“個性派俳優”のラウズらしい。 個性派俳優が南国イメージで主演を張った『ボサノヴァ・バッカナル』。さてさて、貴方の評価はいかがなものだろう? |
| (2007/01/23) |
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