WE GET REQUESTS (Verve) |
| - Oscar Peterson |
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Oscar Peterson(p) Ray Brown (b) Ed Thigpen (ds) 1964/10/19-20 |
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万人が認める素晴らしいアルバムだ。 実際、よく近所のバーに持って行き、よくかけるCDの1枚だし、かけると、店からもお客さんからも必ず「いいねぇ」と言われる。 なぜ、これをよくかけるのかとうと、硬派なハードバップをかけると店の雰囲気が固まってしまうことが多いことを知っているから。ジャズ喫茶なら話は別だが、やはり音楽、会話、雰囲気の3つを均等に楽しみたいお客さんが大半の店には、アクの強い4ビートは似合わない。 また、私が好きなピアノトリオ(たとえばバド・パウエルや、ドド・マーマロサ)をかけても、店の空気が重くなってしまうことが多いので、自分の好みと、店が求める空気は一致しないものだ。 それに、自分の好みの音楽って、会話をしながらよりも、一人で黙って聴くほうが良い。だから、私はこのアルバムを飲み屋でよくかけてもらうことにしているのだ。 会話と音楽の両方を楽しみたいというお客の多い店なので、このピーターソンのアルバムを少し大きめのボリュームでかけてもらうと、本当に店が良い空気になる。店の雰囲気も華やぐから店主も喜ぶし、お客さんの会話も弾み、酒のピッチも進む。 音楽としての“効能”は、こんなところにも現れるという“ご利益”の多いアルバムでもあるのだ。 しかし、演奏の完成度も高く、多くの人が喜んで聴くほどの親しみやすさをも持ち合わせた素晴らしいアルバムなのに、いまだに、どうもこのアルバムを心の底から好きになれない私がいる。 その最大の理由は、「余裕で仕事しちゃってる感」の強さ、かな。 もちろん、キチンと仕事して、平均点を軽くクリアしちゃっている仕事内容なのに、それに対してケチをつけられても、ピーターソンらトリオにとっては迷惑な話なんだけどね。 持てる10の力を出し切らず、エンジンは温めてアイドリング状態をキープしつつも、3ぐらいの力で余裕しゃくしゃくとハイレベルな演奏をアッケラカンとこなしてしまう小憎らしさ、っていうのかなぁ。 べつにそれが悪いというわけではない。「ガンバッテマッス!!」な演奏も好きな私だが、肩の力を抜いた余裕の演奏が嫌いなわけでもない。 コルトレーンとレスター・ヤングの違いというのかな。 どちらの演奏も素晴らしいし、好きではあるけれども、強いていえば、私としてはレスターの力の抜けた、それこそトレーンの十分の一も力を出していないんじゃないかというぐらい省エネで聴き手のツボを刺激しまくった演奏のほうに粋さを感じる。 そんな私だから、余裕でこなした演奏を前に「気合いが足らん!」と感じるはずもなく、むしろ「余裕でやってくれちゃったねぇ」とニンマリするクチなのだ。どちらかというと。 それなのに、なぜだろう。ピーターソンの邦題『リクエストちょーだいね』だけは、どうも違うんだよね。 有名スタンダードのオンパレードだからイヤだ、というわけでもない。 だって、タイトルからも分かるとおり、そういう趣旨のアルバムだからね。 見事なほどに短い時間の中に簡潔に曲のエッセンスを抽出した手堅い演奏。 文句のつけようのない仕上がり。 しかし、この肌触りには、「一丁上がり!」なお手軽感、料理をレンジでチンして「はい、出来上がり!」なお手軽感がついて回るんだよね。 曲によっての出来不出来がまったくないところにも、なおさらそれを強く感じる。 この「はいよ!出来上がり!」な文句のつけようのない料理の手さばきは、たしかに職人ならではの技の鮮やかさを見てとれるが、その反面、「ま、酒バラは、こんな感じだろ」「イパネマは、クイッと速めでやってみようか」という、アッサリとクールな曲への対峙の仕方も感じられる。 次から次へとオーダーされる曲に、テキパキテキパキと目もとまらぬ勢いでソツなく、均等なクオリティで、ポンポンと量産される鮮やかな演奏芸。 そのくせ「言われたとおり、キチンとこなしてますよ」な優等生特有の「それでもなんか文句ある?」な澄まし具合が、なんとも鼻につくんだよねぇ。 しかし、やっぱりこのアルバムを素晴らしいと認めざるを得ない。 その理由の一つとして、録音が素晴らしく良いのだ。 とくに、レイ・ブラウンのベースのレンジが広く、低音域から、高音域まで、ベースという楽器が持つ音の魅力を余すことなく捉えているところが文句なしに素晴らしい。 ベースという楽器は、単に低音を出すだけではない。様々な音色がブレンドされて、一つの“ウッドベースの音”が形成されているのだ。 弦が指板に当たるカツン!という音や、弦の倍音、胴のFホールから発せられるふくよかな空気感など、様々な音を発する楽器なのだ。 これらの要素が絶妙にミックスされてトータルで聴こえる音が、エレキベースでは決して感じることの出来ない、アコースティックベースの最大の魅力なのだが、ベースの音をクリアに、かつ広いレンジで捉えたアルバムはそれほど多くはない。 しかし、このアルバムは別。 名手レイ・ブラウンの表情豊かなベースの音を余すことなく捉えているのだ。 実際、先日も、近所のロックバーのアフターアワーズでこれをかけてもらった。 ハードロック一筋で、アマチュアバンドを今でも続けているという50歳近くの女性が、「うーん、ウッドベースの音っていいわぁ〜」とため息をついていたほどなので、普段は歪んだ音を好むロック好きの人の耳をも魅了するほど豊穣なベースの音色が、このアルバムにはパッキングされているのだ。 それと、もう1つ。 悔しいけれども認めざるを得ないのは、やっぱりピーターソンの楽器コントロールの巧みさだ。 指がよく動くテクニシャンとして知られている彼だが、意外にピアノを鳴らしきるだけの技量の持ち主だということはあまり語られていない。 彼ほど、ピアノから、美味しい音色を引き出せるピアニストはそう多くはいない。 重量感のある低音から、ふくよで丸みのある高音まで、美しくピアノを鳴らしきるところがピーターソンの優れたところだ。 これは、指が動く、動かない以前にとても大切なこと。 ピーターソンの素晴らしさは、まずは、指捌き云々以前に、まずは、楽器を美しく響かせるマスターだということ。 楽器をやっている人は、プロアマ問わず、誰もが、美しい音色や、自分が納得するサウンドを得ることに心を砕いているはず。そのために、基礎練集をするわけだし、知恵を絞る。さらには、お金をかけて高価な楽器を購入したり、何台も買ってみたり、買い替えを繰り返す人もいれば、周辺の機材に凝る人もいる。 それぐらい、楽器の音色というのは、表現者の個性であり、命でもあるのだ。 そして、キチンと楽器を鳴らせるミュージシャンこそ、真のテクニシャン。 多くの人は、テクニックというと、速弾きや、スタイルのほうに耳がいきがちだが、それ以前の問題として、自分の“ヴォイス”でプレイ出来るか、出来ないかが、ミュージシャンにとっては大事なテクニックなのだ。 自分の音色を持つには、それ相応の努力と鍛錬が必要だ。 だから、きちんとした己の“ヴォイス”を持っている人は、すなわちテクニックを持っている人という解釈も成り立つ。 話はそれるが、日本人の一部のミュージシャンは、他人のサウンドを真似て、悦にいっている人もいるが、私は、恥ずかしくないの? と思う。 たとえば、マーカス・ミラーが好きなのは分かるが、マーカスと同じ機材とセッティングでマーカス風に弾いてよくお金が取れるね、と思うのは私だけか? たまたまマーカスを引き合いに出したが、ベースでいえば、ジャコ・パストリアスも真似られやすいタイプのベーシストだと思う。 それだけ彼らは個性が強く、多くのフォロウワーから憧れるだけのサウンドと演奏能力の持ち主だということは分かる。 彼らに憧れて楽器を始め、彼らに近づきたいという思いをモチベーションにして、トレーニングに励むことは悪いことではない。 チャーリー・パーカーやバド・パウエルといったイノベーターのコピーから出発してキャリアを積んだジャズマンも星の数ほどいるわけだから、最初は憧れのミュージシャンのスタイルや音色から出発するのは悪いことではないと思う(ただし、成功している人は、必ず自分だけのスタイルを後に獲得しているけれどね)。 しかし、プロとして人前で何年も演奏している人が、いつまでも人のスタイルのコピーで飯を喰うのってどうよ? と私は思う。 もちろん、それで喜ぶファンも多いのかもしれないし、だからこそ彼らも半ば確信犯的に、マーカスやジャコのスタイルの模倣をやめないのかもしれないが、彼らにはミュージシャンとしてのプライドはないんでしょうかね? アマチュアが趣味でコピーをするのは話は別だ。 しかし、自分の名前を看板に掲げて楽器をプレイし、お金をもらっている人たちは話は別だと思う。 「イコライザーの8系を上げれば、マーカス風のサウンドになる」 「ここの指使いを、こういうふうにすればジャコ風になる」 「グラハムは、ここでも親指を使う」 などなど… 分析、解析も結構だが、それだけに終始したら、単なる楽器オタクではないか。 多くのベースオタクの憧れのマーカス先輩も『ベースマガジン』のインタビューでこう話しているではないか。 「ボクの機材やセッティングを知って真似したところで、ボクのサウンドにははならいよ。」 そりゃそうだ。 マーカス・ミラーのサウンドは、彼なりに試行錯誤を繰り返して、たどり着いたオリジナルの“ヴォイス”なのだ。 彼はその“ヴォイス”にたどり着くまでに、お母さんから買ってもらったベースで様々な試行錯誤を重ねているわけだ。たとえば、レゲエのセッションではブリッジにティッシュペーパーを挟んでみたり、と。 彼が努力と試行錯誤を重ねた末に得たサウンドを、機材とセッティングをマネすれば「マーカス風になる」と表面的なことだけをなぞったところで、マーカスになれるわけないではないか。 一部のミュージシャンとアマチュアだけなのかもしれないが、どうも日本のプレイヤーは、海外のビッグプレイヤーの表面的な部分をコピーして喜ぶだけに終わっている人が少なくないような気がする。 ま、それだけ、自分のヴォイスを獲得するのは大変だということなのだが、少なくともプロは自分の“ヴォイス”を持つよう努力を重ねて欲しいと思う。 話は横にそれてしまったが、オスカー・ピーターソンの素晴らしいところは、彼にしか出せない豊かでリッチなピアノの音を持っているということ。 とくに、『ウィ・ゲット・リクエスツ』を聴けば、それがとてもよく分かるアルバムなのだ。もちろん録音の良さもあるが、いくら録音がよくても、元の音色が良くなければ、録音技術の素晴らしさが生きないことは言うまでもない。 録音名盤、音色名盤としても、このアルバムは認めないわけにはいかない。 一人で聴く分には、「うーん、出来すぎ、好かん!」と感じるアルバムだが、多くの人の前でかければ、聴いた人のリアクションも含め、私自身も良い気分になれるのだから、なんだかんだ言いながらも、やっぱり素晴らしいアルバムなのだ。 |
| (2006/02/22) |
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