まずは、雰囲気を味わうアルバムなのだと思う。
そして、このアルバム独特の雰囲気は、他のパウエルの諸作では味わえないからこそ、長らくパウエルファンから愛され続けてきたのだと思う。
弾かれている内容は、いつものパウエルなんだけど、演奏から醸し出るトーンは、このアルバムだけの唯一無二のものだ。
この“雰囲気”を説明するのは難しい。
強いていえば、“ジャケット通りの内容”とでも言うべきか。 ジャケットのほの暗く“蒼”いトーンそのものだと思う。
ズンズンと突き進んでゆくチェンバースの太いベース。
テイラーのブラシが独特な雰囲気を生み出すのに一役“以上”買っている。
吉祥寺のジャズ喫茶「メグ」のマスター・寺島靖国氏が何かの本で、このアルバムのテイラーのブラシには哲学がないから面白くない、といったことを書かれていたが、とんでもない。
このブラッシュ・ワークこそが、『ザ・シーン・チェンジズ』を『ザ・シーン・チェンジズ』たらしめている大きな要因の一つなのだ。
一聴、堅実で、控えめにサポートしているように聴こえるが、よく聴くと、時に荒々しい側面をも垣間見せるテイラーのブラシ・ワーク。
これこそが、このアルバムだけが持つ、独特な雰囲気を醸しだすのに一役買っているのだ。
そして、堅実で、いつもに増して“遊び”の少ない、神妙なチェンバースのベースも、このアルバムが持つ独特のストイックな空気と緊張感を増幅している。
テイラー&チェンバースのリズムセクションは、ブルーノートやプレスティッジなどのレコーディングで、数え切れないほどのコンビを組んで演奏をしているが、たとえば、同じピアノトリオでも、プレスティッジのレッド・ガーランドの伴奏に回った時の享楽的なバッキングとは、随分と違った表情を見せていると思う。
大御所パウエルのバックに回ったゆえの緊張感なのか、曲想に合わせたがゆえの伴奏なのか、それは分からないが、明らかにパウエルのバックに回った時のリズムセクションの表情が違うのは興味深い。
キリッとしたテンションに満たされている。
そして、このリズムセクションが生み出す“空気感”に、パウエルの無心なピアノがブレンドされた結果、このような名盤独特の空気感が生み出されたのだと思う。
名盤たるゆえんは、まさか《クレオパトラの夢》一曲のためにあるわけではなかろう。
中期のパウエルは「好不調の波の激しい中、このレコーディングは比較的調子の良いときに録音された」とか、「ヨーロッパに移住する直前に吹き込まれたため、新天地に移住する喜びに満ちていた。」→「だから名演なのだ」という論調の文章もよく目にするが、それはあくまで、結果から導き出された状況評論だ。
我々凡人からしてみれば窺い知ることも出来ない複雑な内面を持つ天才ピアニストの表現内容を“お引越しの喜び”程度の、俗人ならではの発想に結びつけて片付けてしまえるものだろうか、と私は思う。
第一、「新天地パリに移住する直前の録音」と言ったって、これが録音されたのは、58年の年末。パウエル一家がパリに移ったのは59年のこと。
多少のブランクがあることは否めないし、この演奏のどこを聴いても「来年からパリに住める、嬉しいな、嬉しいな」といった気分は、少なくとも私には感じられない。
そう聴こえる人は、相当な感受性の持ち主か、想像力のとても豊かな人なのだろう。
個人的には、2曲目の《デュイド・ディード》が好きだ。
特に《クレオパトラの夢》が終わり、一呼吸を置く間もなく、いきなりテーマの数音が鳴り始める瞬間がいい。たまらぬ緊張感。ほの暗い音の重力に耳が引きつけられる。
そして、レコードではB面の冒頭にあたる《クロッシン・ザ・チャネル》。
この、まるで「ハノン」の練習曲みたいな単純なテーマを高速テンポで弾きまくるパウエルが格好いい。
パウエルが弾くと、単調なメロディにもドライブ感が加わるので、迫力の演奏となる。
ラストにおけるテイラーの荒々しいドラミングも最高だ。
余談だが、このアルバムのB面のあるところでは、子供の泣き声が聴こえるのだという。おそらく、ジャケットのパウエルの脇に映っている彼のお子さんの泣き声だと思うが、私はこの声を聴いたことがない。
貧弱な私のオーディオ装置では再現が不能なのか、あるいは「都市伝説」ならぬ「ジャズ伝説」なのか……。