LIVE AT THE MONTREUX FESTIVAL (Victor Entertainment) |
| - Ponta Box |
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村上“ポンタ”秀一 (ds) 佐山雅弘 (p) 水野正敏 (el-b) 1995/07/21 (at Montreux Jazz Festival) |
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私にとっての水野正敏というベーシストは、ロン・カーターだ。 エレキベース、アコースティックベースという違いはあるが(もっとも水野はアコースィックベースも弾く)、二人には共通点がいくつかある。 強引にまとめると、二人とも、 フレーズのアイディアは豊富。 しかし、音がフニャフニャ、音程悪い だ。 録音技術の進歩によって、ロンは時代によって随分と音が変わるので、一概には言えないが、少なくともズシン!とタテに垂直に響くガッツのある音ではない。 ズシン!ではなく、大音量で再生してみると分かるが、ロンのベースは、ズイーン!と下に伸びる音で、ボリュームを落とすと、音にガッツがなくなり、ぺなぺなぺな〜と音の立ち上がりのインパクトに欠けた音に聴こえる。 水野正敏のフレットレスベースも、ロンの音のアタック感とサスティンに似ている。いや、もっとヒドいかもしれない。エレキベースゆえ、音の輪郭がクッキリと増幅されるからだ。 フレットレスベースの特性として、音の立ち上がりの遅さがある。金属のフレット、ブリッジの金属のコマと、金属と金属で音が区切られるフレッテッドベース(要は、普通のエレキベース)は音の立ち上がりは俊敏だ。しかし、ブリッジの金属のコマと、片や指の肌という柔らかいモノで音が作られるフレットレスベースは、音の立ち上がりがコンマ数秒だが、遅い。それは弦高を低くすれば低くするほど如実に効果が現れる(私はそれがイヤで弦高を上げているのだが、そうすると逆に音程を取りにくくなる)。 ゆえに、水野正敏のフレットレスの音色は、ある意味「フレットレスらしい音色」ともいえる。おそらく、フレットレスベースを弾いたことのある人だったら分かると思うが、誰もが簡単に水野正敏的なフヤフヤなニュアンスは出せるはずだ。 真っ直ぐに走らすのは難しいが、くねくねと蛇行した走り方は初心者にも簡単に出来る一輪車と同じで、じつは、フレットレスベースは、普通のエレキベースでは簡単に出せるビシッ!したと正しい音程と、ズシン!とくるアタック感を出すことのほうが困難だからだ。 しかし、だからといってすべてのフレットレス奏者の音がフヤフヤかというと、そうとは限らない。 良い例がジャコ・パストリアス。 彼の立ち上がりの鋭いセクシーな低音は、状態の良いフェンダー・ジャズベースという楽器の性能もさることながら、卓越した彼の楽器操作技術の賜物だろう。 他にも、パーシー・ジョーンズのように、ドクン!と一音のアタック感とインパクトのあるフレットレス奏者もいるように、フレットレスベースも、弾き方次第では、立ち上がりの良い垂直方向にインパクトのある音は出せるのだ。 ジャズではないが、そういえば、故・諸田コウもガッツのある音色をフレットレスベースから引き出していた。 フレットレスベースの利点は、フレッテッドベースには出せない微妙なニュアンスを出せること。 例えば、ジャコ・パストリアスは、バラードやベースソロでは、「ぬぁ〜ん」とした立ち上がりが遅く甘い音色でニュアンスを表現していた一方、16分音符の速射砲のようなフレーズを弾く時は、立ち上がりの速い音色でバリバリと弾いていた。 これは弦をピッキングする位置でニュアンスを変えられることなのだけれども、要はジャコ・パストリアスの場合は、フレットレスベースの特性を知り尽くし、ベース一本で、広い表現レンジを獲得していたのだ。 つまり、演奏技術とセンスがあれば、フレットレスベースからは、フレッテッドのニュアンスも、フレットレスにしか出せないニュアンスも出せるはずなのだ。 しかし、どういうわけか水野正敏といい、濱瀬元彦といい、ジャコ・パストリアスの奏法をミッチリと研究しているはずのフレットレス奏者の音は、ノッペリとして表情に乏しい。ダイナミクスの幅も狭く、表現のレンジも狭い。 彼らが書いたジャコの分析を読むと「なるほど!」と思うことが多いが、研究は研究、演奏は演奏。音楽とは、必ずしも研究通りには実践できないということを、彼らは見事に証明してくれている。 と、フレットレスベースの話が長くなってしまったが、要するに水野正敏のベースの音は、ロン・カーターのようにアタック感が弱く、ペニャペニャとしているのだ。 とくに、『ウォーキング・ベースの常套句』(ビデオメーカー)という彼が出している教則ビデオ(DVD)の冒頭のデモ演奏《コンファメーション》のベースに顕著だ。 しかし、先述したとおり、ベースラインのアイディアは、ロンも水野もも豊富で、4ビートの曲を演奏していても、堅実に4ビートを刻むだけではなく、積極的にフロントに絡むラインを弾いたり、音符の符割を変えて定速ビート感にストップをかけたりして演奏に緊張感をもたらすことも多い。 これは、ベーシストとして興味あるアプローチではあるが、一方で、このような「小技」を発見して喜ぶのは、ベーシストだけなんだろうな、とも思う。 もし私が管楽器奏者だったら、「コチョコチョ小細工ばっかりするな。きちんと“4つ”を刻めや」と怒り出すかもしれないが、それは私の嗜好が保守的なだけであって、進歩的で演奏にハプニングを期待しているジャズマンには喜ばれるのだろうなぁ。 前置きが長くなってしまったが、私は村上“ポンタ”秀一率いるピアノトリオ、ポンタボックスの1枚目はわりと好きだ。 なぜなら、水野正敏のペナペナなベースがベースが良い意味で生きているから。 佐山のピアノはどのアルバムも溌剌として元気一杯なプレイを聴かせてくれることも大きな理由。 とにかく、ファーストレコーディングということもあって、メンバーの張り切りっぷりが音となってダイレクトに伝わってくる。 水野正敏のペタペタした音程の悪いフレットレスベースのプレイも、ポンタボックスの中では、そういったマイナス面も良い方向に左右している不思議さがある。 スイスのモントルーで行われた“マイルス・レパートリーのコピーバンド”としてのポンタボックスの演奏も悪くはないが(ものすごく良いわけでもない)、やはりオリジナルが多く、意気込みに溢れた1枚目こそが、ポンタボックスというユニットの名刺代わりとなるアルバムだろう。 だがしかし、おそらくこれらの曲をいきなりスイスのモントルーの聴衆の前で演ったところで、「なんじゃこりゃ?」となるのがオチ。 だからこそ、誰もが知るマイルス・レパートリーを前半に持ってゆき、バンドとしてのプレゼンテーションを終えた中盤以降より、彼らのオリジナル曲を持ってゆくプログラムにしたのだろう。 結果は大成功、のようだ。 わざわざ11曲目には《ストーム・オブ・アプローズ》と名うった曲ならぬ「拍手の嵐」のパートまで設けられているのだから。 会場の音響のせいか、はたまたエフェクトをかけているのか、水野正敏のベースが微妙にエコーがかかっているように感じる。 しかし、これがまた良いアクセントとなって「日本からやってきたエレクトリックベースなピアノトリオ」としての新鮮なサウンドを会場に注ぎ込んでいるのは確か。 水野のピッチの悪さも、かつて同じくピッチの悪いロン・カーターが名演し、ピッチの悪さがかえって功奏した《ピノキオ》などで大活躍。 ぺちゃっ!としたノリで、強引にハイポジションから下降してゆくラインなんて、かなり痺れる。 《セヴン・ステップス・トゥ・ヘヴン》の低音にかかった微妙なエコーも、重厚な雰囲気を演出していてよろしい。それは、《フットプリンツ》のリフにもいえる。 彼らのオリジナル《フィフティーン》も、フレットレスならではの微妙な音の立ち上がりの遅さと、微妙な音程のズレが生きたリフで、会場からもこのリフにあわせた拍手がパラパラと立ち上っている。 音響面的には、水野のベースは音色といいエコーといい、かなり特徴ある効果を演奏におよぼしていることがよく分かる。 ジャコを目指して、ジャコを研究し、結果的にはジャコとは違う地点に着地した彼のオリジナリティ、これはこれで悪くはないし、村上ポンタの選曲とドラミングが彼の「ジャコになりたい、オリジナリティも出したい」という相反する欲求を非常にうまく引き出し、佐山雅弘が、過不足なくサポート、それが初期のポンタボックスの良さなのだと思う。 |
| (2007/08/04) |
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