PLAY MORRICONE (Cam Jazz) |
| - Enrico Pieranunzi |
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Enrico Pieranunzi (p) Marc Johnson (b) Joey Baron (ds) 2001/2/15 & 16 |
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せつなさとロマンスの濃縮汁。 イタリア出身のピアニスト、エンリコ・ピエラヌンツィが、同じくイタリアの映画音楽のエンニオ・モリコーネの曲を料理したのが、本作品『プレイ・モリコーネ』だ。 「世界一のメロディ・メイカー」とも称されるエンニオ・モリコーネだが、正直、私はここに収録されている曲を知らなかった。 それどころか、それぞれの楽曲が使用されているイタリア映画すら観たことがない。 お恥ずかしながら、それぞれの楽曲は、 なんという映画のどのようなシーンに使われたのか、 原曲はピエラヌンツィ演奏のものとどう違うのか、 そういったことすら知らずに聴いているわけだが、 そういう聴き方したって、 ……いいじゃないの? なのだ。 このアルバムがモリコーネ音楽との出会いのキッカケとなれば。 もちろん予備知識は無いよりあったほうがより一層楽しめるのだろうけれども、初めて出会う旋律を楽しみ、バランスの良い演奏と音に浸るかのように聴いていも、それでも十分に楽しめる。 そういう鑑賞も許してくれる滅茶苦茶クオリティの高いピアノトリオだということも言える。 2001年、録音場所はローマ。 目立たず主張し過ぎず、それでいて手堅く的確なバッキングをほどこすベースのマーク・ジョンソンと、ジョーイ・バロンのドラミングにも注目したいが、ヒンヤリとした耽美的な肌触りと、それとは裏腹に、内に秘める情熱のバランスが絶妙なピエラヌンツィのピアノも心ゆくまで堪能したい。 透明感とメリハリのバランスが秀逸なピアノの録音は、なるほど、ヨーロッパのピアノトリオしか聴かないマニアは、このようなテイストが好きでたまらないのだろうなと思わず納得させられてしまうものがある。 2001年に創設されたカムジャズというレーベルの作品で、このレーベルの音の感触を「ECM的な録音」と言われているようではあるが、はたして本当にそうなのだろうか? 「綺麗で澄んだ音」という意味ではそうなのかもしれないが、個人的には、ECMとはかなり異なる肌触りに感じる。 ECMの音がクリスタルの輝きだとすると、Cam Jazzの音は磨きこまれた大理石の輝きと感じる。 また、ピエラヌンツィのピアノを「エヴァンス的」と評されることが多いようだが(“イタリアのビル・エヴァンス”というような紹介のされかた)、うーん、それもどうなんだろうと疑問符。 たしかに、「エヴァンス的」という6文字は、短いワード数で紹介しやすい便利なキャッチコピーかもしれないが、いくらこのアルバムがベーシストがエヴァンス・トリオ最後期のマーク・ジョンソンだからといって、この資質のまったく違うピアニストの芸術性は、安直にイコールで結べないものがあると私は感じる。 エヴァンスのピアノ表現の本質とは、その表面的には美しいピアノの音とは裏腹に、音の行間(音間?)からほとばしり、どうしようもなくこぼれ落ちる、過剰なマインドによるクラクラするほどのエネルギーの凝縮されたコンマ数秒の邪悪なダークさにあると思う。 しかし、ピエラヌンツィのピアノにはそのような濁りの成分はほとんど感じられない。 もちろんそれがないから悪いとか表現が浅いという意味ではない。 国、育ち、環境、時代、生活の違いから生ずる美意識の差なのだ。 ひたすら透明度と音の響きの美しさを追求し、掘り下げてゆくピエラヌンツィのピアノは、むしろ余剰な成分をひたすら濾過して浄化してゆこうという意志が音に宿っている。 純粋に美しく、バランスのとれた音楽をストイックなまでに追求する姿勢。 このあたりが、ヨーロピアンピアノトリオ好きが求め、良いと感じている要素なのかもしれない。 ちなみに、私が知るヨーロピアンピアノトリオ好きは、オーディオマニアが多い。 マイナー調でしんみりスローな演奏が多いのだが、ところどころにバランスよく躍動的な演奏も散りばめられているという飽きのこない編集。 特に3曲目の《La Voglia Matta》や、9曲目の《エスカレーション》などは、エネルギッシュな演奏で、ピエラヌンツィはもとより、マーク・ジョンソンの細かなベースの刻みと、ジョーイ・バロンの小気味良いブラッシュワークを聴くことが出来る。 それと、ラストの《隠れトラック》もそうだ。 このあたりが、エネルギッシュなジャズ好きにとってはツボなナンバーだ。 |
| (2010/01/03) |
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