NIGHT FOOD (Timeless) |
| - Jaco Pastorius |
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Jaco Pastorius (el-b) Brian Melvin (ds) Rick Smith (sax) Paul Mousavi (g) Jon Davis (key) Aushim Chaudhuri (tabla,bongo) Jim Loveless (Steel Drums) Recorded:Nov.17-Jan.3,1984/1985 Poolside Studios S.F.C.A. |
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私が大学のジャズ研に入部した時点では、すでにジャコ・パストリアスというベーシストは他界していた。 「凄いベーシストがいたんだ、絶対聴いておいたほうがいいよ」。 部内では、このようなニュアンスで語られていたので、すでに楽器を演る者の間では伝説的存在となっていた。 「ベーシストはジャコぐらい聴いておけ」 アルト・サックスのチャーリー・パーカーやフィル・ウッズ。 テナー・サックスのコルトレーン、あるいはマイケル・ブレッカーと同じく、楽器をやる者の間では必聴ミュージシャンの一人としてあげられていたし、実際《ザ・チキン》や《酒とバラの日々》といったジャコの愛奏曲が、この部活の代表的レパートリーでもあった。 その頃の私にとってのジャコ・パストリアスというベーシストは、とりたてて好きなミュージシャンではなかったと思う。 ベーシストという括りで彼を捉えるのならば、同じフレットレス・ベース奏者で好きだったのは、むしろ、ジャパンでベースを弾いていたミック・カーンや、ブライアン・イーノのアルバムで恐ろしく細かい音符を弾き散らかしていたパーシー・ジョーンズのほうだった。 私がジャコのベースに抱いた最初の感想は、どちらかというとネガティヴなほうだった。 ああいうベースは弾きたくない。 クリエイティヴなことは認める。 でも、時としてベースが音楽を邪魔しているじゃないか。 主役を喰ってるじゃないか。 音色的な面をいっても好みとはかけはなれているというか、ベースらしくないというか。つまり、低音が足りないし、太くない、重くない。 そういう反発心もありながらも、しかし、心のどこかでは、ベースでこんなこともできるのか、と感心していたことも確かだし、それでもやはり気になるミュージシャンの一人だったのだろう、彼の参加アルバムは随分買ったし、随分と聴いたものだ。 私の中での『ジャコ・パストリアス』と『ワード・オブ・マウス』という2枚のアルバムは、“ベースを聴くためのアルバム”としてよりもむしろ、“音楽に感動するための音楽”という位置づけだし、今でもその思いは変わらない。 特に、『ワード・オブ・マウス』などは“ジャズのアルバム”という認識で聴いたことはなく、パット・メセニーの『シークレット・ストーリー』と同様に、先鋭的な音の組み合わせが織り成す一大叙事詩としていつも聴いている。 私の中での上記2枚は、ジャコのアルバムの中では別格(といっても、正規のジャコのリーダーアルバムは上記2枚だけなのだが…)だが、個人的に愛聴しているアルバムもある。 『ナイト・フード』だ。 評論家の岩浪洋三氏は、このアルバムを絶賛しているが、私は、ジャコの諸作の中では大したアルバムでは無いと思う。 100歩譲っても、ジャコを知らない人に真っ先に勧めるアルバムではない。 理由の1つとして、曲がイマイチ。 なんというか、チープで安っぽいメロディの曲が多い。 理由の2つとして、打ち込みがチープ。 打ち込んだ人はジャコではなく、おそらくブライアン・メルヴィンと、彼の周辺の人たちなのだろうが、打ち込みサウンドのクオリティが低い。 市販されているキーボードやQYのようなシーケンサーの自動伴奏のクオリティと何ら変わるところがなく、それどころか、今の時代だったら、素人のほうがもっとマシな打ち込みをするんじゃないかと思うぐらい、“機械を手にしたジャズマンの音”はこうも安直なのかと思ってしまう。 理由の3つとして、編集が散漫。 この時期のジャコは酒・ドラッグ・躁うつ病、住所不定、錯乱気味、路上で自分のレコードを売り、タクシーにタダ乗りしようとしてぶん殴られたりと、生活も精神状態もボロボロな状態だった。 そんな状態のジャコに、なんとかジャコにベースを弾いてもらおうという心優しき友、ブライアン・メルヴィンの意気込みは分かる。 あの手この手、この切り口、あの角度、とにかく色々なアプローチで一生懸命ジャコにベースを弾かそうと、涙ぐましい努力をしていることは伝わってくる。 しかし、これらの曲が並んだときのアルバムの統一感といったものはまったくなく、非常に散漫な内容だ。 ジャコのプレイも荒っぽいところが多く、おそらくは、何度もテイクを重ねないまま、すぐにOKを出してしまったのだろう(ジャコの集中力が持たなかったということも考えられる)。 だから、それらのトラックが並ぶと、どうしても喰いかけの食べ物、作りかけの料理が雑然と並んでいるような印象なのだ。 理由の4つとして、ジャコ自身のベースが元気がない。 厳しいことを言っているという自覚はある。 その上、この状態においてのジャコのプレイでさえ、凡百の他のベーシストのプレイよりもはるかに凄いことは確かだ。 しかし、指の動き、テクニック的なものではなく、どうもサウンドにイマジネティブさと音の躍動感が感じられないのだ。全盛期に比べると。 以上の理由をもってして、私は『ナイト・フード』というアルバムの出来、クオリティはそれほど評価していない。 しかし、思い入れという点では別だ。 散漫な編集と統一感の無い曲群が、逆にジャコのベースを色々な角度から切り取って観察できるというメリットも無くはない。 もっとも絶頂期のような閃き、スピード感は期待できないけど。 その上、私は、このアルバムの一部の演奏はとても好きだし、思いいれがあるのだ。 一曲目《エイント・ナッシン・バット・ア・パーティ》のベースラインには心踊るし、《ザ・ウォーリアー》のジョン・デイヴィスのピアノソロがなぜだかすごく好きだ。 ピアノやギターのバッキングにまわった“くたびれた”ジャコのバッキングも素敵。 それに、ラストの《コンティニューム》には、心が黄昏れる。 あとは、なんだかチープな打ち込みや、東洋っぽい雰囲気のチープなシンセの曲のバックでジャコが同じフレーズを延々と繰り返していたり、雑なベースとドラムのデュオ演奏があったり、スーパーの安売りセールがお似合いなチープな曲だったりと、とにかく“ジャコのベースの曲をたくさん録音できればいいや”というお手軽&やっつけ的な演奏が多い。 しかし、私はこのアルバムのことが好きなのは、上に挙げた三曲の中には聴くべき素晴らしい瞬間がいくつか詰まっているからだ。 上記3曲はCDをスキップさせてよく聴いている。 なお、『ナイト。フード』は、ブライアン・メルヴィン名義で発売されたり、ジャケットの種類も数種類あったりするが(しかも、ほんとジャケットの趣向がバラバラ!)、私が持っているもの、聞き込んだものは、ジャコ名義、そして、二匹の魚の電飾提灯の盤だったので、記載したデータはそれを基にしている。 |
| (2004/01/17) |
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