MY FAVORITE INSTRUMENT (MPS) |
| - Oscar Peterson |
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Oscar Peterson (p)
1968/04月 Germany
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振り返ってみると、何度自分の中で「オスカー・ピーターソン強化月間」なるものを設けてきたことだろう。 端からみると本当にどうでも良いことなのだが、オスカー・ピーターソンを集中して聴いて、少しでもオスカー・ピーターソンの良さやアルバムの聴きどころを発見しようという試み。 そして願わくばオスカー・ピーターソンを好きになれるとどんなに良いだろう、と思ってのことだ。 オスカー・ピーターソンのファンには申し訳ないが、彼は、私にとってはあまり好きなタイプのピアニストではない。 こんなにテクニックが優れていて、演奏も申し分なく、ハッピーな気分になれるピアニストなのに、どうしても心の底からは好きにはなれないのだ。 リスナーというものは本当に勝手なものだと思う。 それは自分でも重々承知している。 ピーターソンがこれほどまでのテクニックを身につけ、世界中に多くのファンを獲得するまでの過程は並大抵の努力では無かったはずだ。 それなのに、私のようなヒネクレタ人間からは、「うまいけど、あんまし好きじゃない」の無責任な一言で一蹴されてしまうのだから…。 かわりに、テクニック的な部分ではピーターソンに劣るピアニストや、ミスタッチ、それに、ピアニストにとっては必ずしもベストとは言えないような演奏も「味があって良い」などという言葉で擁護してみたりもするので、私の気まぐれも、ピーターソン本人にとってみれば、えらく迷惑な話だと思う。 しかし、好き嫌いは別として、私は、彼のテクニックも、演奏の聴かせ方を心憎いまでに心得た最高の部類に入るピアニストだとは、いつも思っている。 単なる私の好みの問題なのだが、私の場合は、どうしてもジャズのどこかに「ダークな要素」「ヤバそうな匂い」を見いださねば気が済まない性質のようだ。 ピーターソンのピアノには、そのような要素がまったくといって良いほど、無い。 翳りの無いピアニストといえば、エロール・ガーナーもそうかもしれない。 彼のフィーリングも、どちらかというとハッピーなフィーリングで、ダークな部分を探し出すことは難しい。 しかし、どういうわけか、私はガーナーは好きなのだ。 この違いって一体なんだろう? 考えてみると、ノリや黒さの濃度の違いがあるのかもしれない。 エロールのノリは独特だ。 左利きのためか、わずかながら左のタイミングを遅らせてバッキングを入れるためか、独特のノリとドライブ感が生まれている。 では、ピーターソンの場合はどうだろう? もちろんノリが無いというわけではない。 いや、むしろ、凄いドライブ感のあるピアノを弾く人だ。 しかし、微妙なフィーリングがなんか違うのだ。 ある本を紐解くと、 「黒人ながら、同時代のアメリカン・ジャズメンに比べて黒さが希薄なのは、比較的黒人人種差別の少ないカナダで育ったこととも無関係では無い」 と、記されていたが、まぁたしかに育った環境や、受けた差別の有無も表現には大きな影響を及ぼすかもしれないが、結局はピーターソン自身が、もとより、そういうフィーリングと資質の持ち主のピアニストなのだろう。 いつも笑顔を絶やさぬ人がいるように、ピーターソンのピアノも終始、笑顔だ。笑みを絶やさない演奏。 本当は笑いたくなくても、出来るだけ笑顔でいようとしている。 きっと、そういうタイプの人柄、ではなくて、“ピアノ柄”なのだろう。 繰り返すが、ピーターソンは、本当にうまいピアノの弾き手だと思う。 指がよく動くピアニストだが、ただ速く動くだけではなく、音の一音一音の粒立ちがハッキリしているし、ピアノもよく鳴らしている。 また、演奏を盛り上げる過程もよく心得ているし、クライマックスだっていつでもリスナーの期待を裏切らない。 しかし、この圧倒的なテクニックの裏付けによるピアノは、とてもゴージャスだが、スリリングさには欠ける。 もっとも裏を返せば、いつだって「安定した」演奏を期待出来るということだから、必ずしもそれは悪いことではない。 好不調の波の落差が少ないからこそ、常に安定した演奏を供給出来るわけで、プロデューサーやプロモーター、それにライブハウスにとっては、非常に心強い存在だったに違いない。 だから、ノーマン・グランツ(ヴァーヴやパブロのオーナー)は、たくさん彼の演奏を録音をしたのかもしれない。 さて、私が何度目かの「ピーターソン強化月間」で、はじめて「このピーターソンは中々いけるなぁ」と思わせたアルバムが『マイ・フェイバリット・インスツルメント』なのだ。 ピアノ・ソロのアルバムだ。 音が綺麗だ。 このMPSというレーベルのピアノは、録音が少なくともヴァーヴの諸作に比べると格段に良いような気がする。 奥行きのある、豊饒なピアノの音色が魅力的なことと、トリオのフォーマットでは捉えきれなかったピーターソンのピアノの魅力が、このアルバムからは容易に理解出来る。 《パーディド》 や《A列車で行こう》のようにドライブするダイナミックな演奏から、深みのあるバラード 《ボディ・アンド・ソウル》や《フー・キャン・アイ・ターン・トゥ》まで、彼の表現レンジはとても広く、ピアノの鍵盤をまるで自分の身体の一部のように弾いている。 そして、決して弾きまくり過ぎない抑制の効かせ方にも好感が持てる。 まるで、高層ビルの最上階のバーでピアノの演奏を聴きながらシーバス・リーガルのような高級酒を飲んでいるような、ちょっとだけリッチな気分になったような錯覚すらおきる。 あ、考えてみると、ピーターソンのピアノはシーバス・リーガルのようなものなのかもしれない。 たしかにおいしいが、毎日飲もうと思う酒ではない(高いということもあるが)。 たまに飲むと良い気分にはなれるが、それだけのこと。 ああ飲んだな、おいしかったな。たまにはいいな。以上。 日常的に恋しくなるのは、むしろ、もっと安くてぶっきらぼうな味のするバーボンだったりするわけで。 シーバスのように、おいしくて、その時だけは良い気分になれるのだが、深いところまでに愛着が湧かない。 そんな感じのピアニストが、私にとってのピーターソンだ。 聞き込みが足りない、耳の穴の中のかっぽじりが足りないと言われればそれまでの話だが、やっぱり良さは分かっていつつも、好みの方までは、なかなか変えられそうも無い。 |
| (2002/05/26) |
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