HERBIE NICHOLS TRIO (Blue Note) |
| - Herbie Nichols |
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Herbie Nichols (p) Al McKibon (b) Teddy Cotick (b) Max Roach (ds) 1955/07/29,08/07 1956/04/19 |
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自慢じゃないが、うちの女房は耳が良い。 ……と、私は勝手に思っている。 とくにジャズに詳しいわけでもないし、自ら進んでジャズを聴くことなど滅多にないのだが、時々、ハッとするようなことを言う。 私が大西順子の『ワウ』を聴いていたら、 「このピアノ、ハービー・ニコルズ?」 ときたものだ。 岡目八目とはよくいったものだが、それでも、へぇぇぇ、と思いましたね。 なるほど、と思いましたね。 たしかに、曲によっては、ニコルズ的な音使い、いや、ニコルズ的な和声感覚が無くもない。 そういえば、以前なにかの記事で、フェイバリットなピアニストとして挙げていたような記憶がある。 もちろん、大西はハービー・ニコルズのエピゴーネンではない。 エリントン、モンク、ミンガス、オーネット、ケニー・カークランド、レッド・ガーランドらジャズのビッグ・ネームの特徴や美味しいところ、あるいはジャズマニアがニヤリとするジャズの“クサいところ”を巧みに自身のスタイルとして吸収消化している。 上記のミュージシャンの要素を随所に聴きとってニヤリとするのが私の大西順子の聴き方だったが、まさか、ニコルズとはねぇ。 女房にそう言われたとたん、彼女のピアノがニコルズ的に聴こえてしまう私は、暗示に弱いイイカゲンな人間なのだと思う。 でも、粘りと重量感溢れるピアノと(曲によってだが)重たい和音のセンスは、たしかにニュアンス的にも通ずる部分があると思う。 では、肝心のハービー・ニコルズの特徴とは? 軽いか、重いかと問われれば、重い。 面白いか、つまらないかと問われれば、抜群に面白い! よく彼のピアノを語る際には、モンクのピアノと引き合いに出される。 独特の和声感覚。 ワン・アンド・オンリーのスタイル。 孤高なイメージゆえ、初心者には近寄りがたいイメージ。 二人とも数学や物理が得意だった。 勢いや情動まかせとは対極の“考えて弾いているピアノ”なイメージ。 これらの要素が共通しているといえば、共通しているかもしれない。 しかし、モンクとの決定的な違いは、ハーモニーのニュアンスだ。 二人とも、いわゆる不協和音と呼ばれる微妙な音の衝突から生まれるスリリングな響きを得意としているが、モンクのハーモニーは、どこまでも明るい。 青空に向かって“スコーン!”と突き抜けるようなイメージがある。 どんなに、コキン・コキンと鍵盤を叩いても、陽気で茶目っ気すら感じる“コキン”なのだ。 モンクの和音は、どこまでもオープンなイメージ。開放感がある。 ところが、ニコルズのハーモニーはモンクの対極ともいえる。 重く、内省的だ。 モンクが外へ、外へだとすると、ニコルズは内へ、内へだ。 空気感にたとえてみるならば、モンクのピアノは湿気を含まない。カラッとしている。 ところが、ニコルズのピアノは多量な湿気を含んでいる。 重く、内省的で、湿気を含みながら、どっしりと重くスイングする。 ビリー・ホリデイに捧げたと言われる《レディ・シングズ・ザ・ブルース》が収録されている『ハービー・ニコルズ・トリオ』。 ブルーノートのアルフレッドライオンの英断で、当時からすれば、まったくもって採算が取れるとは思えない、ある意味“通好み”なスタイルのニコルズの全貌を捉えた作品だ。 ただし、“通好みのピアノ”という世評は忘れて、入門者もどんどん聴くと良いと思う。 重厚でガンガンと突き進んでゆくニコルズのピアノの迫力が楽しめる。 ピアノにピッタリと寄り添い、的確なビートを叩きだすマックス・ローチのドラムも素晴らしい。 ひどく完成されたトリオなのだ。 湿気を含み、ミドルテンポで重たく粘る《ハウス・パーティ・スターティング》なんか最高だ。 “パーティ”なのに、なぜこんなにも不安げな表情のサウンドなのだろうと疑問に思うかもしれないが、彼本人が書いたライナーによると、「本当にパーティが開かれるのかどうか、これから楽しい思いを出来るのかどうか、という重々しく静かな疑念を語っている」のだそうだ。 音だけではなく、発想もユニークな人のようだ。 しかし、そう言われるて聴くと、たしかに期待感と不安が入り混じった気分になってくる。 やはり、私は暗示に弱い人間なのだろう。 |
| (2004/08/11) |
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