THELONIOUS HIMSELF (Riverside) |
| - Thelonious Monk |
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Thelonious Monk (p) on "Monk's Mood" Thelonious Monk (p) John Coltrane (ts) Wilber Ware (b) 1957/04/16(12?) |
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モンクのピアノは独特だ。 流暢なピアノに馴染んだ耳にはかなり異質に感じるかもしれない。 だからといって彼のピアノが下手だなんてとんでもない!完璧なテクニックと表現力の持ち主だ。 流暢なピアノだけが上手いピアノではない。
表現したい内容と、その表現内容が一致すること、これは相当なことだ。 モンクのピアノを下手クソ扱いする人がまだいるので、ここではきっちりとフォローしておきたいところだ。
オスカー・ピーターソンばりの流暢なピアノだけを技巧が優れているとすることは、絵でいえば、写実的な絵画のみを技巧が優れていると認めるようなものだ。
モンクはそのピアノの表現において、実のところ何を目指したのかは、私ごとき小人には分からない。
構造だけををさらに推し進め、より強力な形にすると、例えばセシル・テイラーのようなスタイルに行き着くのだろう。
言うまでもなく、モンクのスタイルもテイラ−のスタイルも、何の考えもない自然体から生まれる表現方法ではない。
演奏という表現行為は寡黙な実験室での一人による研究ではない。
当然、聴衆を眼前にしたパフォーマンスには、それ相応のプレッシャーが伴う。さらに、その表現の内容が過激であればあるほど、表現者には自分の発する音に対する自覚と責任が要求される。
そんな中で、モンクやテイラ−の演奏は、ついに聴衆に屈することなく、おのれのスタイルを全うさせている。 そんなモンクのピアノとは一体なんなのだろう? モンクのピアノの特徴と言えば、まっ先に語られ、かつ引き合いに出されるのは「不協和音」だろうが、それに関しては別の機会に譲るとして、今回は「考えるピアノ」というキーワ−ドを掲げてみたい。
映像を見れば分かるが、彼のピアノの接し方は、まるで子供が始めて触るオモチャと慎重に戯れているかのようだ。 一体その時のモンクの頭の中にはどのような思考が廻っているのかは想像する術もないが、真剣に音楽に取り組んでいることには間違いない。 彼は考えているのだ。
流れゆく音楽の中に、慎重に、しかも絶妙なタイミングで音を配置してゆく。
考えるピアノ。
彼のピアノ表現を浮き彫りにするアルバムがある。
このアルバムのレコーディング時には、すでにモンクの表現は、独自のシステムが出来上がっていた筈だ。 『セロニアス・ヒムセルフ』を聴くこと、それはすなわち彼の思考過程に立ち会うことに他ならないのだ。
近年、同アルバムに収録されている《ラウンド・ミッドナイト》のOKテイクが出るまでのスリリングな過程が記録された《ラウンド・ミッドナイト・イン・プログレス》がCD版に追加収録されたが、これが非常に興味深い。 そう、モンクは自らの作曲のこの曲の美しさの神髄を引き出すために崖っぷちで勝負をしているのだ。 当然、凧の糸が切れたように演奏がどこかへ飛んでいってしまいかける瞬間もあるが、そんな時はプロデューサーからのストップが入り、演奏は最初からやり直しになってしまうのだが、たとえ曲全体の完成度が損なわれようとも非常に音楽的価値の高い記録だと思う。 モンクはピアノソロのアルバムを数多く残しているので、彼のピアノを知るためには、まずはソロを聴くのが手っ取り早いのかもしれない。
彼は惰性で鍵盤は押さない。 だから、弾く必要の無い時は無理して弾かない。ピアノを離れて踊ったりもする。
モンクがピアノから離れてゆらゆらとステージを漂うことすらも、実は真剣に音楽と取り組んだ故の一つの解答だと言うと、いささかオーバーな表現になるか。
酒に喩えるなら、少なくともカクテルではない。
しかし、タフだが深い味わいがある。喉がヒリヒリと焼けるような感触を楽しむ人と、楽しめない人がいるように、『セロニアス・ヒムセルフ』における、ストイックで寡黙な作業を味わえる人と味わえない人がいてもおかしくない。
いまだに、良さが分からないという人だっている。
別にベテランやマニアを気取るわけでもないが、このアルバムだけに関して言えば、初心者にそう易々と理解されて欲しくない。
無理して理解しようとする必要はない。ある日突然、「世界」が見えてくるから。
どの演奏も良い。どの演奏も深い。 |
| (2002/10/25) |
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