MONK'S MUSIC (Riverside)
- Thelonious Monk

  1. Abide With Me
  2. Well You Needn't
  3. Ruby,My Dear
  4. Off Minor (take 5)
  5. Off Minor (take 4)
  6. Epistrophy
  7. Crepuscule With Nellie (take 6)
  8. Crepuscule With Nellie (take 4 and 5)

Thelonious Monk (p)
Ray Copeland (tp)
Gigi Gryce (as)
Coleman Hawkins (ts)
John Coltrane (ts)
Wilber Ware (b)
Art Blakey (ds)

1957/06/26

なんだかよく分からないけれども、滅茶苦茶なパワーに溢れた豪快盤だ。

必ずしも音楽性が一致しているとは言いがたい面子の顔合わせだったり、明らかに打ち合わせ不足と思われる演奏やソロオーダーの進行だったりと。

リーダーのモンクは、自分の曲なのにアドリブの小節数を間違えるし。いや、間違えてないのかもしれないけれども、最後の2小節で弾くのやめちゃって、「コルトレーン、コルトレーン!」と叫んで「はよ、アドリブとらんかい!」と催促するし(笑)。

さらに、その空白をアート・ブレイキーがスネアのロールで間を埋めたりと、なかなかスリリングといえばスリリングな展開ではあるけれども、演奏しているジャズマンたちはヒヤヒヤものだったのかもしれない(『ウェル・ユー・ニードント』の話ね)。

いや、この程度のことでヒヤヒヤしてたら、ジャズなんて出来ないか…。

要するに、このアルバムの大雑把な感触を述べると、あきらかに雑な感触。
間違っても緻密とは言えない。

ところが、ところが。
そんな細かなことはシャラクセェぜ、こちとら溢れんばかりのパワーがあるぜという異常な熱気が、演奏の水準を底上げしているのだ。

危なっかしさが、スリリングな興奮に生まれ変わり、ハプニングはブレイキーの豪快なドラムにかき消される。

よって、破綻寸前の演奏のヤバい部分も、これってリアルな演出?って思うほど。

参加メンバー一人ひとりの力量とセンスで、窮地を脱しながらも、キチンと力技でジャズにしちゃているところが痛快だ。

私は、このアルバムを聴くたびに「ちゃんこ鍋」を思い出す。
肉も魚も放りこまれているちゃんこ鍋。

とくに、ジョン・コルトレーンと、コールマン・ホーキンスという世代の違う2人のテナー奏者の参加が、“ちゃんこ鍋感”を倍増させている。

もちろん、この二人のスタイルや肌触りの違いが、演奏をプラスの方向に導いていることは言うまでもない。

大先輩のホーキンス参加のプレッシャーに負けじと、力演するコルトレーンの姿がいじらしいではないか。

ホーキンスは《ルビー・マイ・ディア》で、ベテランの貫禄と風格を見せつけ、レイ・コープランドの肉薄でよそよそしいラッパは、この場でおこっているヘンテコな祭典の怪しさを増長させている。

モンクの「カキン・コキン」な不協(的)和音も、より一層のエグさを撒き散らかし、ブレイキーは相変わらず、ドッカーン!だし(笑)。

モンクという強力な求心力があったからこそ、ヤバイ人たちの、ヤバいセッションが、わけわからんパワー全開の素晴らしい演奏に昇華させてしまった。

ジャケットのモンクの姿も、ワケわっかんねぇさ具合に拍車をかけていて、大変素晴らしい。
名盤というよりは、愛すべき珍盤。
(2006/01/14) 


かつて、ニューヨークはハーレムの118丁目西210番地、7番街と8番街の間に位置する所に、「ミントンズ・プレイハウス」というライブハウスがあった。
数ブロック先には多くの黒人ミュージシャンがデビューを飾ったアポロ劇場というロケーションだ。

この店のオーナーの名は、ヘンリ−・ミントン。
彼はこの店で様々なイベントを催した。
その一つが、水曜の晩に行われる「アマチュア・ジャズナイト」。
セロニアス・モンクは、このコンテストで優勝を何度も勝ち取り、ついには参加を禁止されてしまった。モンクはこのことがキッカケとなり、プロとしてやってゆくべき時が来たと後年述懐している。

また、店主のミントンは、この店でアポロ劇場に出演したミュージシャンたち全員に対して、週に一回夕食をタダで提供することにした。
そのため、カウント・ベイシー楽団やデューク・エリントン楽団など、アポロ劇場で定期的に演奏している第一級のジャズメンがこの店に訪れるようになった。
そのうち夕食がタダな日以外にも彼らはショーが終わるとこの店を訪れるようになり、一流のミュージシャンの集う店として名をあげた。

また、ミントンは、集まってきたジャズマンに自由にジャムセッションもさせた。タダ飯に釣られてやってきたジャズマンは、結局無料で客相手に演奏をしてしまうことになる。
しかも一流揃いのジャムセッション。高い水準の演奏ゆえに、客も自然に集まるという寸法。
仕事を終えたミュージシャンたちは、職を失う危機感を持たずに自由奔放に演奏することが出来た。
ふだんは人前では演奏しないような内容を自由に演奏出来る。彼らは、ミュージシャンならではの音楽的実験を繰り返し、夜な夜な、誰も聴いたことのないような新しい音楽の創造に探究し、没頭した。
この出来事が、後のビ・バップ発祥の礎となったことは間違いない。

このジャムセッションの司会は、サックス奏者で楽団のリーダーでもあるテディ・ヒル。
そして、このライブハウスの常駐バンド(ハウスバンド)の人選は、ドラマーのケニ−・クラークに一任された。クラークが声をかけたジャズメンは、トランペッターにジョ−・ガイ、ベーシストにニック・フェントン、そしてピアニストがセロニアス・モンクだった。

「ミントンズ・プレイハウス」では夜な夜な仕事を終えたジャズメンが集い、深夜から朝までにかけて自由奔放に実験的なジャムセッションに興じ、それが後に新しいビ・バップの温床の一つとなった。
一つ、というのは、何もこのような出来事はミントンズだけで起きていたわけではなく、近所のモンローズ・アップタウン・ハウスなどでも夜な夜な実験的なジャムセッションが繰り広げられていたので、当時のニューヨークでは同時多発的におこっていた現象だといえる。
とはいえ、モンクはミントンズのハウス・ピアニスト。とりあえず、ミントンズ中心に話を進めていきたい。

夜な夜な繰り広げられるジャムセッション。中には、自分を売り込もうと、あるいは腕試しの格好の場として、多くの楽器奏者がセッションに参加しようと手ぐすね引いて飛び入りのタイミングを待ち構えていたことは想像に難くない。
そんなイキのいい彼らの鼻を空かしてやろうと、モンクやクラークらは、彼らに対してのイジワル、そしてセッションの場が荒らされないための防波堤を施した。

まず、演奏のテンポを滅茶苦茶に速くした。
これで大抵の者はたじろぐ。

さらに、ハーモニー。
5度や9度をフラットさせたコードを多用した。
コードの移り変わりにパッシング・コードを挿入することによってコード進行を複雑にした。
そして、代理和音の多用。

悪魔的なテンポに、複雑怪奇なコード進行。慣れていないミュージシャンたちは、モンクらの格好の餌食とされた。

《エピストロフィー》という曲がある。
この曲のクレジットを見ると、モンク&クラークとなっている。
まさにこの曲は厄介者を外に追い払おうと、二人によって編み出された曲だったのだ。

私も以前、この曲に魅せられ、ライブでベースを弾いたことがあるが、はっきりいって難しい。2拍のペースでコードが半音上がったり下がったりの繰り返し。このコード進行の中でアドリブを取るのも至難の技だが、ウカウカしていると、自分が演奏をしている場所を見失ってしまうような迷路のような構造なのだ。
ワンコーラスが、

A→A'→A'→A→B→A'→A

という32小節の進行となっているが、AとA'の音型は相似形で、旋律の上下はまったく同じ。違うのは音程が1度異なるだけとなる。
似て非なる、まるで幾何学模様のようなメロディパターンなのだ。

Bの8小節がいわゆるサビで、この曲の「ヘソ」のようなものだが、たとえば、2コーラスのアドリブを取るとすると、ワンコーラス目のBの部分の演奏を終えたあと、ワンコーラスまたがって次のBに行き着くまでには、

A'→A→A→A'→A'→A→B

という道筋を辿らねばならず、今自分が演奏しているのは、Aの箇所なのか、それともA'の箇所なのか、よっぽど注意をしていないと演奏中に迷子になってしまうこと請け合い。
加えて、複雑怪奇に音程が上下するコード進行なのでアドリブにも頭を使わなくてはならない。

さらに、テンポもかなり速かったらしい。
《エピストロフィ》というと、『ラスト・デイト』に収録されているエリック・ドルフィーの名演を思い浮かべる人も多いと思うが、あのテンポよりもずっとずっと速いテンポの《エピストロフィ》が夜な夜なミントンズ・プレイ・ハウスで繰り広げられていたのだ!

1、コード進行が複雑怪奇でアドリブするのにひと苦労。
2、迷路のような曲構造で、演奏している位置を見失いやすい。
3、鬼のようなハイテンポ。

この3つを克服しなければならないソロ奏者は、相当面喰らったに違いない。
そして、この曲の考えこそ、まさにビ・バップの発想に他ならなかった。

上記の2はともかくとして、ビ・バップのチューンを強引に定義づけるとすると、ハイテンポに乗った目まぐるしいコードチェンジと細分化された複雑なコード進行、そして高低の激しいウネウネとしたメロディラインだと思うのだが、この《エピストロフィ》も正にそう。
メロディラインが不気味気持ち良く、ウネウネしている。
もっとも《エピストロフィ》のコード進行は、細分化されてはいるものの、規則的だが……。

モンクの代表的なレパートリーの一つ《エピストロフィ》。聴いて楽しいこの曲も、演奏する側にとってみれば鬼のようにイジワルな発想で作られた曲なのでした……。

しかし、後年のモンクのライブ音源を聴くと、《エピストロフィ》は、ある種、モンク・バンドのテーマ曲のような使い方をされるようになっている。
曲の演奏が終わった直後に《エピストロフィ》のテーマだけを演奏し、「はい、第一部のセットはこれでおしまいですよ」といった、ステージのクロージングテーマとして使われるケースが増えてきている。

たしかに、エンディングっぽい“締めくくり感”の強いメロディにも聴こえるが、これらの演奏はやはり、あくまでも“締めくくり”のテーマで、この曲特有の不気味さや複雑怪奇さはどうしても薄れてしまう。
これは、演奏の目的が違うゆえに、仕方の無いことなのかもしれない。

私は『モンクス・ミュージック』に入っている《エピストロフィ》の混沌した感じが好きだ。
まだ、ライブで演奏される“バンドのテーマ”的な、いかにも演奏しなれた雰囲気とは違った、ハラハラする緊張感に満ち満ちているのだ。

演奏者の戸惑いも含めて、奇妙な緊張感と喧騒感に満ち満ちている。管楽器の重厚なアンサンブル、そして漂うシリアスなテイスト。演奏全体が、一体全体、どっちの方向に突き進んでしまうのだろう?というハラハラ感が常に漂っている。
そして、この“ハラハラ感”こそが、モンクが「エピストロフィ《エピストロフィ》」という曲を触媒として表現したかった空気なのかもしれない。

だとしたら、『モンクス・ミュージック』における《エピストロフィ》は、まさに彼の狙いどおりの混沌とテンションが実現されたのだといえる。
肝心のモンク自身も小節を数え間違えたりで混乱しているような気もするし……。
(2002/12/06) 


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