5 BY MONK BY 5 (Riverside)
- Thelonious Monk

  1. Jackie-Ing
  2. Straight,No Chaser
  3. Played Twice (take 3)
  4. Played Twice (take 1)
  5. Played Twice (take 2)
  6. I Mean You
  7. Ask Me Now

Thelonious Monk (p)
Thad Jones (cor)
Charlie Rouse (ts)
Sam Jones (b)
Art Taylor (ds)

1959/06/01-02

モンクの代表的レパートリーの5曲を5人で演奏。
だから、『5・バイ・モンク・バイ・5』。

あれ、5人?
カルテットじゃなくて?
そうなんです。このアルバムの目玉は、トランペットのサド・ジョーンズの参加なのです。

テナーサックスのチャーリー・ラウズとレギュラーコンボを構えた後期のモンクは、プレイの内容そのものは大きな変化はないものの、ニュアンスとしては、往年のアグレッシヴな要素が若干薄れ、角が取れたような、まろやかな要素が強くなってきている。

凄みの要素は希薄なものの、暖かく堅実なプレイを信条としたラウズのプレイがもたらした効果が大きいのかもしれない。
このようなサウンドキャラクターを持つカルテットに、穏健でハートウォームなサドが加わったことによって、さらに地味だが滋味溢れる“ほんわか感”が加味された。

選ばれたモンクのレパートリーも、二人のホーンプレイヤーの特質にぴたりとマッチした親しみやすい曲ばかり。

グリフィンと火花を散らす『ファイヴ・スポット』でのライブのときのようなアグレッシヴなモンクが好きな私でも、この小傑作ともいえる穏健なモンクも悪くないと思っている。

もっとも、たてつづけに3回続く《プレイド・トワイス》には、ちょこっと退屈してしまうが。
微妙な差異の聴き比べもしてみたが、残念ながら特筆すべき大きな違いというのはないのよね。

ベストは《アスク・ミー・ナウ》か。
全編、ミディアムか、ミディアム・スロウのテンポが続く中、このしみじみとした不思議なバラードで締めくくられる構成は、悪くない。

また、サドの艶やかなコルネットが聴きものな《ストレート・ノー・チェイサー》も良い。
「このテンポ、少しかったるいかな?」と最初は思ったものだが、サドのソロが登場すると、そんな思いも180度変わる。このテンポだからこそ、良かったのだ。サドが放つ輝かしいばかりの金色のトーンは、アップテンポだとじっくり味わえない。

『ファイヴ・バイ・モンク・バイ・ファイヴ』は、モンクのアルバムの中では、もっとも地味な部類に位置するサウンドには違いないが、地味ゆえの滋味溢れる内容なことも確か。

『ブリリアント・コーナーズ』『セロニアス・モンク・トリオ』『セロニアス・ヒムセルフ』『ミステリオーソ』など、モンクの代表作を一巡した後は、是非、この境地にたどり着いて欲しい。
(2006/10/14) 

先日、バンドの練習を行った。

以前「バンドではモンクの曲ばかりやろう!」
などと酔った勢いで主張した私。

早速、ギタリストがモンクの曲の譜面を大量にコピーして持ってきてくれた。

その中の一曲、《プレイド・トワイス》をやってみると……、

な、なんじゃこりゃ、
む、むずかしい…。

私以外のメンバーも皆、首をかしげている。

符割りといい、我々の手癖を拒否するような、素っ頓狂なコード進行といい、人を喰ったメロディと、そのメロディが時間内に置かれるタイミングといい、モンクは我々アマチュア・ミュージシャンの思考と演奏の前に幾重もの防波堤を用意しているかのように感じた。

アルバムで聴いたときは、「別テイクばかり一気に聴くと疲れるなぁ」程度にしか思わなかったこの曲。
しかし、聴くと演るとでは大違い(当たり前だが)。

「モンクらしい曇り空な感じの曲だなぁ」程度にしか思っていなかった曲だが、この何でもなさそうな曲にも、モンク流の時限爆弾がいたるところに仕掛けられていたのだ。

ドカーン!と地雷を踏みまくってしまったわれわれメンバーは、全滅。

かろうじて、崩壊しない程度に、ふらふらと曲を演奏し終えて、しばらく沈黙。
ついでため息(笑)。

そして、間髪いれず、「さて、次の曲やろうか…」(笑)。

改めて聴きなおす価値のある曲を発見した。
しかも、モンクの数あるアルバムの中でも、限りなく地味な部類に属するアルバムの中に。

これだから、モンクは面白い。

セロニアス・モンク・コンペティションが創設されてからは、なおのことモンクの曲にチャレンジする演奏家のことを「ハクつけだ」と非難する方もいらっしゃるが、私はそんな単純な理由ではないと思う。

ある程度ジャズの演奏が出来るようになると、より一層身にしみて分かることだが、モンクの演奏は、ジャズマンの肉体に染み込んだ常套句、クリシェを拒否するかのような仕掛けや構造がいたるところに設けられている。

たとえば《枯葉》のようなスタンダードや、《コンファメーション》のようなリフナンバーには盛りだくさんの“ツー・ファイヴ”のコード進行。

この流れを身体に染み込ませれば染み込ませるほど、ジャムセッションなどでの初見演奏には強くなる。
しかし、その反面、この進行の流れが身体に染み込み、条件反射として出てくるぐらいになってしまうと、モンクの曲はかえって自然に身についた流れを堰き止めるかのような働きをする。

「次は当然こう来るだろう」という演奏家の肉体的反応と、数秒後の未来予想図を見事に裏切ってくれる曲が多い。予想だにしなかった素っ頓狂な方角に流れが飛んでしまったり、間断なく流れ続けていた演奏者の意識を「ん?」と立ち止まらせる仕掛けが設けられてりすることもある。

つまり惰性の演奏を許さないところがあるのだ。

だからこそ、意欲のある演奏家にとってみればモンクの曲はチャレンジのし甲斐のある対象なのだ。

我々アマチュアも含め、モンクの曲が好きな演奏家が多い理由はそのへんにあるのかもしれない。

そして、演奏家が語る「モンクが好き」「モンクは面白い」という言葉の裏には、単純にモンクの曲や演奏が好きというだけではなく、チャレンジし甲斐のある“モンクというシステムが好き”というニュアンスも含まれているのかもしれない。
(2008/12/09) 


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