STILL LIFE (TALKING) (Geffen)
- Pat Metheny

  1. Minuano (Six Eight)
  2. So May It Secretly Begin
  3. Last Train Home
  4. (It's Just) Talk
  5. Third Wind
  6. Distance
  7. In Her Family

Pat Metheny (g,g-syn)
Lyle Mays (p,key)
Steve Rodby (b)
Paul Wertico (ds)
David Blamires, Mark Ledford (vo)

1987/04月

パット・メセニーの音楽を聴くと、空が高くなる。
視界が広がり、それと呼応するかのように、どこまでも空が広がってゆくかのような錯覚を覚える。

かつて私は、ソウルで、このことを如実に体験した。
焼き肉旅行で韓国に行った時のことだ。

焼肉を食べる時間帯は夕方から深夜に集中するので、午前から午後にかけては、特にやりたいことはなかった。観光に来たわけでもないのだから、南大門や明洞通りにも行く気もおきず、では私は午前中のソウルで何をしていたのかというと、電信柱やクレーンの写真を撮影しながら散歩をしていた。iPodで音楽を聴きながら。

こちらにも書いているが、私は海外に行くといつも早起きをし、街が活動を始める前の静けさの中、ドド・マーマロサの『ドドズ・バック!』を聴きながら、初めて訪れた土地の午前の空気を愉しむことを習慣としている。



例によって韓国旅行の際も持参したiPodに入れっぱなしの『ドドズ・バック!』を聴きながらホテルを出、薄暗いソウルの街中を歩きはじめた。

ソウルの空は低い。
晴天にもかかわらず、重くのしかかるような空の低さを感じる。

ぐるりと見渡せば、視界のどこかに必ず山が映るからなのかもしれないし、建築中のビルや、高層団地が街のいたるところに建っていることも関係しているのかもしれない。
このような視界からくる軽微な圧迫感と、日本の東京とは違い、どこか微妙に緊張感の漂う雰囲気も、空を低く感じさせることに拍車をかけているのかもしれない。

ソウルの低い空と、その名も『ミズーリの空高く』なるタイトルのアルバムも出しているパット・メセニーの音楽は、もっとも似つかわしくない組み合わせだと思う。




メセニーの音楽に本質的に宿る楽園的開放感とマイルドさは、ソウルの街並みがたたえる少々ギスギスした性急感の伴った灰色さとは、まったくもって共通点がない。

だからこそ、私は早朝のソウルの街中ででパット・メセニーの音楽を聴いてみたくなったのだ。
ソウルには漢江をまたぐ無数の橋がある。橋の名前は覚えていないが、橋のちょうど中間地点で私は急にそう思い立った。

時刻は午前6時半。少しずつ街が胎動し始め、おそらくは通勤のためだろう、自家用車やバスの数が増えてきた。日本の公道よりも少し速めのスピードでで急ぎ足の車両が往来している。

大きな橋のど真ん中。歩いて渡っている人は私一人だ。
四方を見渡すと、山々、クレーン、高層団地が目に付き、空を見上げると夏の終わりの空はやはり低く感じた。

そこで、たまたまiPodの中にメモリーされていたパット・メセニーの『スティル・ライフ』を再生してみた。

メセニーがECMからゲフィンに移籍後に発表した最初の作品で、『ブライトサイズ・ライフ』とともに私が日常的にもっともよく聴いているメセニーのアルバムだ。
個人的にはメセニーの最高傑作は『シークレット・ストーリー』だと思っているが、『シークレット・ストーリー』は、『スティル・ライフ』の拡大強化版だと思っている。
少人数で演じられた『スティル・ライフ』という骨格に、様々な楽器群、多国籍なミュージシャンを肉として盛り付けたサウンドが『シークレット・ストーリー』はサウンドもゴージャスだし、音世界も壮大だ。

しかし、そのスケール大きな世界観が日常的に頻繁に聞くことをためらわせているのもまた事実。だから私は『シークレット・ストーリー』のテイストが凝縮され、気軽に聴くことが出来る『スティル・ライフ』を日常的に愛聴しているのかもしれない。

そんなわけで、ソウルの橋のど真ん中でかかった『スティル・ライフ』の1曲目の《ミヌワノ》は、低く静かに始まるコーラスのイントロを経て、メセニーのギター旋律が始まった瞬間、視界が開けたような気がした。

錯覚かもしれないが、前日に韓国入りして以来、視界を、いや気分かもしれないが、なんとなく自分自身を覆い隠す乳白色のモヤのようなものが、サーっと引いてゆくような錯覚を覚えたのだ。

続く《胎動》、《ラスト・トレイン・ホーム》を経て、いよいよ《トーク》へ。私がこのアルバムの中でもっとも好きなナンバーでもある。

シンセとコーラスがブレンドされたメロディラインが、印象的な旋律をさらに独特な色合いを醸し出すこの曲は、アンサンブルが醸し出す色合い、テイストが、まさに「パット・メセニー・グループ」にしか出せない唯一無二のサウンドだ。

すでに橋を渡りきっていた。
橋近くの公園も抜け、いつしか坂の多い住宅街を歩いていた。

勾配のきつい坂道の中腹には、古い軽トラックが止まり、路上で野菜の路上販売がされていた。
多くの主婦たちが、トラックから積み下ろされた野菜売り場に集まり、買い物をしていた。

南国チック、楽園チック、ブラジルチック。このような形容が相応しいサウンドと、どこをどう切り取っても、今自分が目にしているアジアの日常的風景とは相入れない。しかし、このミスマッチぶりが、私の中にあるメセニーの音楽観に新しい角度から切り口を与えてくれたことも事実。

正直、ソウルの空も、路上の野菜売買の風景も私は好きではない。なんだか、あまりにノッペリとしていて、平凡で速度感のともなわない現実にしか見えないからだ。

しかし、メセニーの音楽が吹き込むマイルドなスピード感は、止まっていた風景に微力な推進力を与え、ほんの数パーセント程度かもしれないが、躍動感、というより心地よい揺れを与えてくれる。

このソウルでメセニーの『スティル・ライフ』を聴いて以来、この作品が持つ力と新たな魅力を発見することが出来た。同時に、メセニーのギター、というよりはメセニーの音楽をよりいっそう好きになってゆく自分を自覚するのだった。

もちろんギターも良いが、やはりこのアルバムはパット・メセニー・グループが持つ独特のサウンドテイスト(コーラスやポール・ワーティコのポケットの大きなドラミングなど)、トータルなバンドアンサンブルを楽しめるアルバムといって良いだろう。

ギタリストとしてより、音楽家メセニーの全貌を分かりやすい型で提示してくれる心地よい秀作なのだ。
(2011/07/20) 

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