STANDARD TIME vol.1 (Columbia) |
| -Wynton Marsalis |
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Wynton Marsalis (tp) Marcus Roberts (p) Robert Hurst (b) Jeff "Tain" Wats (ds) 1986/05/29-30 , 09/24-25 Recorded,digitally at RCA Studio A |
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初めて聴く人は、なにはともあれ、まずは《枯葉》から聴いてみよう。 この圧倒的なスピード感と、充実した迫力の演奏はどうだ! 私は、まずこの《枯葉》でノックアウトされた。 マイルスが吹いた『サムシン・エルス』の《枯葉》も歴史に残る名演だし、この演奏を悪く言うつもりは毛頭無いのだが、マイルスの「枯葉」に慣れた耳で、ウイントンの“現代版枯葉”を聴くと、マイルスの演奏が一瞬、辛気臭く感じられてしまうのも、また事実。 それだけ、ウイントンの《枯葉》は勢いとスリルに満ちた演奏なのだ。 もちろん、マイルスの《枯葉》は、別の境地で優れた演奏だし、マイルスとウイントンでは、同じ曲とはいえ、演奏で目指している方向はまったく違う。 だから、同じ曲だからという単純な理由でマイルスの枯葉を俎上に乗せても仕方が無いということは重々承知しつつも、ついつい比較してしまいましたです……。 次いで、1曲目の《キャラバン》。 いいですねぇ、このイントロ。 マーカス・ロバーツのピアノが、何かが始まる予感を匂わせながら、効果的なイントロを飾っている。 次いで、地平線の彼方でゆらめく不穏な蜃気楼のように、力をセーブしたトランペットでウイントンが入ってくる。 ウイントンが、このリズムの上に被さった瞬間の素晴らしさといったら! これは、エリントンの目指した“極東的なニュアンス”とは対極の《キャラバン》だ。どう考えても砂漠の行商ではない。 たとえば、ニューヨークのような大都会の、人と喧騒と活気に満ち溢れた、非常に現代的で洗練されたキャラバンだと思う。 伝統とモダンなセンスをバランス良く身につけたマーカス・ロバーツのピアノが、都会の夜のムードを効果的に盛り上げるのに一役買っていると思う。 マーカス・ロバーツといえば、彼がソロで弾いている《メモリーズ・オブ・ユー》も良い。 しんみりとして、適度に重く粘るタッチが、アルバムの“ヘソ”として、とても良い雰囲気で機能している。 このアルバムを不動の名演に仕上げているもう一人の功労者、ジェフ・ワッツも忘れてはならない。 ドラムが彼でなければ、このアルバムは、ここまで名盤としての地位を築けたかどうか。 クレジットを見ると、《枯葉》のアレンジはジェフ・ワッツになっている。 そうか、メロディに合わせて、テンポを変えるアプローチは、リズム担当の彼ならではの発想だったんだね。 メロディに対応したテンポの柔軟な変化は、《枯葉》だけではなく《パリの4月》でも楽しめる。 この曲で聴ける、伸びやかなウイントンのトランペットも気持ちが良い。 演奏しつくされたスタンダード・ナンバーに新しい光を当て、ウイントンならではの独自の解釈を加えた演奏を繰り広げるのが、このアルバムの狙いなのだろうが、必ずしも独自の解釈・アレンジを施している曲ばかりではない。 たとえば、《チェロキー》だ。 クリフォード・ブラウンのアレンジをそのまま踏襲している。 おそらく、ウイントンは自分自身がブラウンと比較されることを承知の上で、敢えてブラウニーのバージョンのアレンジで演奏に挑んだのだろう。 ただでさえ、天才トランペッターとして、デビュー当時から注目を集めていたウイントンのことだ。 また、ブラウニーもウイントンも、ジャズ・メッセンジャーズに在籍したトランペッターでもある。 周囲からは、何かと好奇の眼差しでクリフォード・ブラウンと比較されていたに違いない。 多くのリスナーは、自分のトランペットをブラウニーと“比較耳”で聴いている。何よりもウイントン自身が、そのことを一番自覚していたのだと思う。 やれ、ブラウニーと比べるとエモーションが……、 やれ、ブラウニーと比べると歌心が、 やれ、ブラウニーと比べるとテクニックが、 ……などなど。 皆さん、比べるなら、どうぞお好きに比較してみて下さいな。僕は彼と同じ俎上に乗りますよ。彼と同じ《チェロキー》をやってやろうじゃありませんか。 この《チェロキー》の“再演”は、ウイントンの大胆不敵な意思表示のように私は感じる。 いや、意思表示というよりも、聴衆に対する挑戦状なのかもしれない。 この《チェロキー》を聴いて、私の周囲はなんと言っているかというと、多くの人が、「テクニックはあるけど冷たい」という感想。 「優等生的で破綻が無くてつまらない」という感想も多い。 うーん、そうかなぁ。 まぁ、暖かみはブラウニーのほうがあるとは思うけど、冷たい、暖かいの温度の違いだけで、ウイントンというトランペッターを否定する気持ちにはなれない。 それどころか、私は、スピード感とシャープさがあって好きなんだけどね。 それに、憎たらしいほど、余裕と貫禄も感じられるラッパではないか……。 しかし、彼ら年配の、リアルタイムで50年代後半から現代までのジャズを体験してきたファンと、コルトレーンが亡くなった後に生まれた世代の私との間には、微妙なジャズに対する感じ方のギャップがあることもまた事実。 若い頃は、ジャズ喫茶に入り浸って、一杯のコーヒーで何時間も粘り、大音量のジャズを浴びるように聴きまくって、高価な輸入盤のレコードを買い揃えてきた、昔ながらのジャズファンが感じるウイントンは、これまで慣れ親しんできたジャズのテイストとは明らかに違う異質な肌触りを感じているようだ。 やっぱりフォーマットやスタイルは昔ながらのものでも、音楽は時代の空気とは無関係ではないのだろう。 1にシャープさ、2にスピード感、3にキレ。 20年も30年も経てば、同じフォーマットでも、聴衆が心地よく感じる微妙なニュアンスには違いが出てしまうのだろう。 みずみずしいトランペットを、ある時は余裕をかまし、ある時は一心不乱に吹くウイントン。 彼の心の中でも、このアルバムは、一つの区切りになったのだろうか。 このアルバムで「演奏」の面では区切りをつけ、以降は、より一層伝統に立ち返り、単独でのトランペット・プレイよりも、むしろ、アレンジやアンサンブルを重視した表現内容に変わってきているような気がする。 そういった意味でも、このアルバムはウイントンの“演奏面”での一つの頂点なのかもしれない。 単純に楽しめるアルバムが少なくなってきたウイントンなだけに、より一層『スタンダード・タイムVol.1』に対する思い入れが深くなってゆく私だった。 |
| (2002/10/23) |
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