LEE KONITZ WITH WARNE MARSH (Atlantic) |
| - Lee Konitz,Warne Marsh |
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Lee Konitz (as) Warn Marsh (ts) Sal Mosca (p) Ronnie Ball (p) Billy Bauer (g) Oscar Pettiford (b) Kenny Clarke (ds) 1965年6月 |
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クール派のドンといえば、レニー・トリスターノ(p)。 彼の高弟のサックス奏者といえば、リー・コニッツ(as)とウォーン・マーシュ(ts)。 この2人の共演盤を聴くと、彼らはまるで兄弟のようだということに気づく。音域が違うだけで、インプロヴィゼーションの発想はそっくり。 さすが、トリスターノの元で修行を積んだだけはあり、音を出す姿勢の根っこの部分は同じなのだろう。 よって、2人のアンサンブルは、きれいに溶け合う。まるで、アルトとテナーでひとつの柔らかな色彩を描き出しているかのよう。 トリスターノというと、コワモテなイメージの強いピアニストだが、だからといって弟子の二人が発するサウンドは、硬質&クールかというと、それはちょっと違う。 むしろ、暖かさとくつろぎの要素に満ちている。 鬼のいない間のなんとやら、というわけではないのだろうが、この2人が本質的に持っているハートウォームな歌心を味わえるのが、トリスターノ不参加の本アルバムなのだ。 コニッツもマーシュも、トリスターノの門下生として優等生には違いないが、引き継いだのは理論と技であって、師匠の厳格さ、妥協なきストイックさまでは引き継いでいなかったのかもしれない。 彼ら2人が本質的に持っていた歌心が、師匠ゆずりの高度な理論と演奏技術をもって発揮されたとき、見事にハートウォームで完成度の高いアンサンブルが生まれたのだ。 もっとも、このアルバムは“通”向けな内容なのかもしれない。ジャズに入りたての人には、聴きどころ、つかみどころを発見しにくいかもしれない。 かくいう私自身、このアルバムを終始貫く“穏健な”音世界に慣れ親しむには時間を要した。 少なくとも、ガツーン!とくるエネルギー感や、身体の内底から動き出すような黒さをこのアルバムに求めると肩透かしをくらう。 ケニー・クラークが叩き出すリズムにしろ、オスカー・ぺティフォードがステディに刻むベースにしろ、クール派の意向を汲んでなのか、かなりフラットでダイナミクスの振幅が狭い。 アルバム中、比較的エキサイティングな演奏に属する《ドナ・リー》ですら、穏健な演奏で、ブルーノートのハードバップのような「ガツーン!」とくるエネルギー感は正直、乏しいかもしれない。 しかし、聴きどころはそこにはない。 パッと聴きのインパクトこそ少ないが、メリハリと振幅の少ないフラットな土俵で、一切のフェイク無しで、丁寧にフレーズを構築してゆく彼らの職人的な仕事を丁寧に味わう。これこそが、このアルバムの正しい聴き方なのだ。 大きな声ではない。しかし言っている内容は、考え抜かれた言葉の堆積。決して大ボラや、作り話めいたフェイクはない。 課題曲を丁寧に分析し、その場の勢いや成り行きまかせではなく、きちんと、骨組みの部分から考えアドリブを構築してゆく。 それがわかれば、彼らの丹念な作業が、含蓄のあるフレーズとして放たれていることに気づくだろう。しかも、決して頭デッカチの机上の空論ではなく、キチンと聴かせるだけの歌心をも有している。 ここのところを踏まえて聴けば、「な〜んか、メリハリに乏しい穏健なアルバムだなぁ」とは感じないはず。 メリハリや音のインパクトが欲しければ、他のアルバムや、別のミュージシャンの演奏を聴けば良いのだ。高級懐石料理屋で、牛丼のツユだくに、玉子と紅しょうがをぶっかけたメニューは食べられないのと同じだ。 ところで、面白いのは、《ドナ・リー》のラストのテーマ後半。 二人のアンサンブルがかなり乱れ冷や冷やする箇所がある。 彼らほどの名手にしても、これほどの間違いとリズムの拍のズレを起すのだから、《ドナ・リー》って、ホント難しい曲なんだなぁ、と感じると同時に妙な親近感すら覚える。 そして、このテイクがマスターとして採用されているところも興味深い。 テーマの一瞬の乱れなど瑣末なこと。アドリブをキチンと聴いておくれ、ということなのだろう、きっと。 |
| (2006/10/04) |
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