KELLY BLUE (Riverside) |
| - Wynton Kelly |
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#1,6,7: Wynton Kelly (p) Nat Adderley (cor) Benny Golson (ts) Bobby Jaspar (fl) Paul Chamers (b) Jimmy Cobb (ds) 1959/02/19 Other Selections: Wynton Kelly (p) Paul Chamers (b) Jimmy Cobb (ds) 1959/03/10 |
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長らく1曲目のタイトル曲は、飛ばして聴いていた。 テーマの間抜けなメロディが、どうにも苦手だったからだ。 ヒョットコが調子っぱずれな音頭を取っているようなテーマが腰砕けで、しかもボビー・ジャスパーの軽やかなフルートが、この“腰砕けメロディ”をさらに強調しているので、間抜け度がさらにアップしているように感じるのだ。 それ以前に、イントロの“どよ〜ん”と響く、ポール・チェンバースのベースの録音が、なんだか風呂場で録音したような妙なエコーがかかっていて、“腰砕けメロディ”が始まる前から気が緩んでしまうのだ。 参加しているホーン奏者も、まぁナット・アダレイは良いにしても、一歩間違うと、とてつもなくイモなプレイをしてしまう“ごる”もいるし(笑)。 “ごる”とは、ジャズ研時代に我々が呼んでいたベニー・ゴルソンの愛称。 愛称だ。蔑称ではない。 良い曲を書く人なんだけど、彼のテナーはどこか、突き抜けきらないところがあって、常に“ほがほが・もごもご”しているところが、鬱陶しさと紙一重の差で、なんとも愛らしいところがあるので、親しみを込めて、我々はベニー・ゴルソンのことを“ごる”と呼んでいたのだ。 時折、ひっくり返るような、のたうちまわったような彼のテナーサックスのプレイを部室で聴くたびに、皆で「お、おい、“ごる”よ、大丈夫か?!」などと言い合って頬を緩ませていたものだ。 で、これを書くにあたり、久々にタイトル曲《ケリー・ブルー》を最初から最後まで聴いてみた。 やっぱり、冒頭の炭酸の抜けたコーラのようなベースに腰砕け。 次いで、やっぱりテーマのメロディに腰砕け。 さらに、ソロ奏者が代わるたびに繰り広げられる、“ハイ、それまでよ”的なインタールードにも腰砕け。 ケリーも、ナット・アダレイも、ボビー・ジャスパーも、悪いプレイをしているわけではない。 でも、“ごる”はやっぱり“ごる”っていた(笑)。 ふがふがとソロの中盤から熱病に浮かされたように、ゆらゆらと舞い上がり、自分のプレイにさらに触発されてか、ますますエキサイティングに一人でヒートアップしている。 おい、“ごる”よ、大丈夫か?! と、タイトル曲の《ケリー・ブルー》のことばかり書いているが、この編成(セクステット)による演奏は、このアルバムでは2曲だけで(ボーナス・トラックを入れると3曲)、残りは、ピアノトリオによる演奏だ。 もう1曲の、セクステットの演奏による《キープ・イット・ムーヴィング》は典型的なハードバップといえる中味の濃い演奏で、ほにゃらけたイメージのタイトル曲とは打って変わって、グッと芯のある内容。 この曲を冒頭に持ってくれば、このアルバムのイメージも変わっていたかも? さて、トリオ編成での演奏のほうはどうだろう? このトリオは、当時マイルスのリズムセクションだ。 《ドゥ・ナッスィン・ティル・ユー・ヒア・フロム・ミー》のひらひらと飛び跳ねるケリーならでのピアノは心地よい。 《朝日のように爽やかに》のピアノはリズミックで、ほどよくダークで良い。チェンバースのベースがイントロとバッキング、そしてソロのどこを取り出しても素晴らしいプレイ内容だと思う。 彼のこのプレイを最初から最後まですべてコピーしたら、ベースをやっている人は、相当に4ビートの基礎とテイストを身につけることが出来ると思う。 同じく、ピリッとツボを押さえた《グリーン・ドルフィン・ストリート》も秀逸。 “風呂場レコーディング”なチェンバースのベースがここでは生きている《柳よ泣いておくれ》は、簡潔に要点を抑えたケリーのピアノが良い。 ブルース・ナンバーの《オールド・クロス》は、手馴れた演奏といった感じで、手馴れたケリーの演奏が楽しめる。 個人的には、3人のホーン奏者が不在のピアノトリオの演奏のほうが好みだが、全曲ピアノトリオでまとめてしまうと、また違った印象のアルバムになっちゃうんだろうな。 制作者の意図としては、1枚のアルバムを作り上げるにあたっては、トリオ+セクステットという2通りの切り口で、単調さを避けようとしたのかもしれないですね。 |
| (2003/08/12) |
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