ルーマニアのピアニスト、ヤンシー・キョロッシーのアルバムを聴いて驚いたのは、かれこれ10年以上も前になる。
彼のCDが、当時アルバイトをしていたジャズ喫茶に届いたときに、軽い気持ちでかけてみたのがヤンシー・キョロッシーのピアノとの出会いだ。
届けられた見本は、日本盤としてリリースされたもので、『アイデンティフィケーション』というタイトルのアルバムだった。帯を見ると、“ルーマニア出身のピアニストで、ドイツに亡命中に吹き込んだアルバム”という旨が記されている。
阿呆な私にとって、ルーマニアで思い浮かぶことといえば「ドラキュラ伯爵の国」ぐらいなもの。第一、ルーマニアでジャズ演ってる人っているのかいな?
「まぁお手並み拝見って感じかな?」といった、ちょっと偉そうなことを言いながら、軽い気持ちでかけてみた。
曲目を見ると、数曲のオリジナルはあるにせよ、《オール・ザ・シングズ・ユー・アー》、《バイバイ・ブラックバード》、《星影のステラ》、《サヴォイでストンプ》といったお馴染みのスタンダードが多く、ジャズに憧れるピアニストが「ジャズっぽく演奏してみた、なんちゃってジャズアルバム」みたいな感じなのかな?という私の甘い予想を裏切って、素晴らしい演奏がスピーカーから飛び出てきた。
第一ノリがスゴイ。リズムの切れ味がシャープだ。というかシャープすぎる。これでもか、これでもか、とフレーズを畳み掛けてくるようなドライブ感は、なんとなく初期のホレス・シルバーに少しだけ似ているような感じがしなくもないが、ホレスよりも、ずっと硬質な感じがする。
正直圧倒されてしまった。
特に、アルバムタイトルにもなっている《アイデンティフィケーション》。これがスゴイ。
なんか真面目な人が無理して狂うと、こんな感じになるのかな、といった様相の鬼気迫る鍵盤の連打がものすごい。
「冷静に狂っている」としか言いようがないのは、ピアノの連打のリズムが、不気味なほど正確だからだ。
うわ、そこまでやってくれるのか!
エグイぜ、キョロッシーさん!
私の口許は、いつのまにか緩み、ニヤニヤと笑みを浮かべていた。
端から見たら、かなり不気味な顔をしていたに違いない。
しかし、このような演奏に接した場合、これはもう笑うしか方法が無いのだ。
ここで気がついたのだが、ヤンシー・キョロッシーというピアニスト、リズム感が異常に鋭いということ。
黒人奏者特有の「タメ」や「わずかなリズムの遅れの快感」とは無縁の世界だが、これぐらい歯切れの良いピアノは、それはそれで中々聴いていて気持ちが良い。
特に3曲目の《ソロウ》という曲は8ビートの演奏だが、あまりにもタイミングがカチッと決まりすぎているので、逆にギャグになってしまうくらいだ。
それはまたそれで、“ルーズじゃなさすぎる8ビート”とはこういう感じなのかな。もちろん演奏自体は悪くないのだけれども、シチュエーションやその場の空気を測りかねてキメ過ぎてしまうという野暮ったい真面目っぷりが、逆にたまらなく愛しく感じてしまう。
それと、タッチが非常にダークなこと。ピアノの低い音の成分がドス黒い。白人のピアノって、ほんとに気持ちの問題なのだが、高音の成分が艶っぽくて綺麗な印象があるが、キョロッシーのピアノにはそうした要素が無い。このリズム感にして、この音色。ちょっとドスの効いたダークなトーンがアルバム全体を貫いているので、私はかなり好きだ。
スタンダードは、どういった解釈をしているのかというと、Aメロをすっ飛ばして、いきなり'Aメロのテーマから始まる《オール・ザ・シングズ・ユー・アー》なんかは、一瞬50年代のハードバップのピアニストのトリオの演奏かな?と耳を疑ってしまったし、本来は陽気で楽しげな曲、《サヴォイでストンプ》も、ヤンシー流のリハーモナイズにより、なんだか陰気で不機嫌なテーマになっているのには笑えた。なかなか一筋縄ではいかなそうなピアニストだと思う。
ピアノも良いが、ベースのJ.A.レッッテン・バッハーという人も中々。 「おらおら、俺ってキチンと弾いているだろ!?」という声が聞こえてきそうな、一生懸命、正確にキチンと弾くことによって自己主張しているかのような ベースのノリとフレーズには「ハイハイ、頑張ってますね。あなたのベースもちゃんと聴いてますよ」と暖かい声をかけたくなってしまう。
まぁ、そんなこんなで、なかなか楽しめるアルバムです。ヤンシー・キョロッシーの『アイデンティフィケーション』は。
残念ながら、大きなCDショップのジャズコーナーでは、最近はとんと見かけなくなってしまった。ただ、中古CD屋へ行くと時々目にするので、もし見つけたら即、買いだ。損はしない内容だと思う。
ちなみに、先日、お茶の水のディスク・ユニオンの明大前店の中古コーナーで、この『アイデンティフィケーション』のLPを見つけた。
天井に近い壁に大事そうに飾られていた。
盤質は「B」。それでも、おそらくオリジナル盤なのだろう、表示価格は48,000円也。
うーむ、高い。