JOHN JENKINS WITH KENNY BURRELL (Blue Note) |
| - JOHN JENKINS |
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John Jenkins (as) Kenny Burrell (g) Sonny Clark (p) Paul Chambers (b) Dannie Richmond (ds) 1957/08/11 |
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チャーリー・パーカーに憧れた。 パーカーのようにアルトを吹きたいと思った。 だから、パーカーが繰り出すおいしいフレーズを猛練習した。 いくつもの、いわゆる「パーカー・フレーズ」をものにした。 また、同一コード進行上ではパーカーのようなフレーズを織り交ぜることが出来るようになった。 では、パーカーのようになれたのか? どうも違う。 いくら憧れの俳優やモデルが着ている服やアクセサリーと同じものを身につけたとしても、その俳優にはなれないことと同じ理屈だ。 体型や顔が違うし、醸し出す雰囲気やオーラだって違う。だからこそ、表面上のカタチは似ていても、いや、似ているからこそ、かえって対象との差が浮き彫りになってしまう結果となってしまう。 世に言うパーカー派のアルト奏者のほとんど、いや、すべてが上記の如く過程をたどる。 しかし、憧れの人物にはなれなかったとしても、その域に近づくための修養過程は無駄にはならない。 なぜなら、パーカーにはなれなかったとしても、パーカーと己のプレイとの微妙な差異が、自分だけの「味」「個性」になることもあるからだ。 また、パーカーに彼に近づくために複雑なロジックを解析、理解し、演奏技術を身につけることは一朝一夕に出来るわけではない。パーカーを研究し、コピーをし、楽器のコントロール技術を身につける過程自体が、サックス奏者の成長過程そのものといっても過言ではないからだ。 結果、最終的には自分だけのオリジナリティを獲得する者もいれば、コピーキャットの域を出ないままで終わる者もいる。 ジャッキー・マクリーンも、このアルバムのリーダー、ジョン・ジェンキンスも、パーカーに憧れ、パーカーを己の血肉にせんと修練を重ねたに違いないアルトサックス奏者だ。 結果的に、本家パーカーには似ていないにもかかわらず、マクリーンとジェンキンスの音色やフレージングや、演奏につきまとう微妙な「もどかしさ」は、そっくりになった。 同じ目標を目指したがゆえの結果ゆえ、この2人のアルトマッドネスは、まるでフィル・ウッズとジーン・クィルのコンビのように、まるで双子のアルト奏者のコンビのようだ。 シカゴ出身のアルトサックス奏者、そして本作のリーダージョン・ジェンキンスの演奏を始めて聴く人は、おそらく彼とプレイスタイルや漂う雰囲気が瓜二つのジャッキー・マクリーンを思い浮かべることだろう。 パーカーのコピーから出発し、パーカーと同化せんとする熱気と勢いが感じられつつも、どう頑張ってもなりきれないもどかしさ、パーカーほどの思い切りの良さや、突き抜けっぷりが感じられないのだが、逆にそのマイナス要素が「味」となり、プラスに作用しているのが、この2人の共通点だ。 強いて言えば、マクリーンの音色のほうが肉厚でコクがあり、ジェンキンスの音色のほうがシャープなかわりにマクリーンに比べると厚みがない。 しかし、いたるところに繰り出されるパーカーフレーズや、せっつくように真摯なアルトの鳴きっぷりはマクリーンと同一のニュアンスだといえる。ゆえに、マクリーンが好きな人は、きっとジェンキンスも好きに違いない、と勝手に推測してしまう。 彼の一途なアルトサックスを楽しみたければ、やはりブルーノートの1573番、『ジョン・ジェンキンス・ウィズ・ケニー・バレル』だろう。 プレスティッジにマクリーンとともに『アルト・マッドネス』を録音した3ヶ月後のレコーディングだ。 ベースにポール・チェンバース、ピアノがソニー・クラークというところまではブルーノートらしいが、ドラムスにダニー・リッチモンドを配するという、ブルーノートにしては異色の組み合わせのリズムセクション。 これにケニー・バレルが「蒼色」のニュアンスを添えつつ、ジェンキンスのアルトの音色に足りないコクを付加すれば、演奏の力強さとともに、適量のアーシーさとメランコリックさが加わった極上のハードバップが仕上がる。 逆に、もしこのアルバムにケニー・バレルが参加していなければ、ピアノトリオをバックにしたがえたワンホーン・カルテットの凡作に終わっていた可能性が高い。それほどまでに、このアルバムは「バレル効果」が効いている。 特に、1曲目の《フロム・ジス・タイム・オン》のテーマにおける、ザクッとしたコードワークの秀逸さ。この「ザクッ!」と微妙に歪んだトーンがあるからこそ、アルバムが始まった数十秒後には、この演奏のトーンが決定され、さらにこのアルバムの成功を予感させるに十分。 また、《モティフ》や《シャロン》では、ジェンキンスのアルトと、バレルのギターがユニゾンで旋律を奏でるが、音色のブレンド具合がたまらなく良い。 先述したとおり、シャープなかわりに肉厚さに欠けるジェンキンスのアルトの音色をバレルのギターが暖かくふちどり、ほの黒く蒼い色彩を添えているところがたまらない。 「音色の美味しさ」が倍化しているからだ。 ジェンキンスの演奏は、アップテンポやミドルテンポでは熱にうかされたような一途さが前面に出るが、バラード表現においては独特の淡々さっぷりが特徴だ。 たとえば、またまたマクリーンを比較の俎上に載せるが、彼のバラードプレイは、時としてクドさを感じてしまうほど、思い入れたっぷりに情感を込める。 しかし、このアルバムに収録されたバラード《エヴリシング・アイ・ハヴ・イズ・ユアーズ》を聴くと、必要以上に情感を込め過ぎず、むしろ素っ気ないほどの淡々さを感じられる。もちろん、だからといって、それが悪いというわけではなく、こういうところにジェンキンスならではの持ち味が表出されているところが興味深く感じる。 ジェンキンス持ち味を知り、たっぷりと彼を楽しむには、なにはともあれ、彼のサックス一本のみを追いかけるのではなく、同タイプの表現者、ジャッキー・マクリーンの同時期のプレイと比較しながら聴くことを是非お勧めしたい。 似ているが、どこかが微妙に違う。 この微妙なニュアンス違いに気付き、このニュアンスを楽しめるようになれれば、あなたも立派なハードバップ・マニアだ。 ハードバップを楽しむ極意は、なんといっても微妙なニュアンスを感じ取ること。そして、この差異を愛おしく感じるようになれれば、決して「どれを聴いても同じように聴こえる」といったことにはならないはずだし、耳タコなはずだった名盤を聴き直しても新たな発見を得られることだろう。 ジェンキンスは、本アルバムのレコーディング後に惜しくも第一線を退いた。よって本作は、最初で最後のブルーノートにおけるリーダー作となる。 そういった意味でも貴重。ジェンキンスが残した数少ない作品を骨の髄までしゃぶり尽くそうではないか。 ジェンキンスがリーダーのこのアルバムを楽しめるようになれれば、ハンク・モブレイやティナ・ブルックスのような多くの渋めなバッパー達の演奏が、驚くほど身近に近づいてくるに違いない。 |
| (2011/02/02) |
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