TRIOLOGY (Warner Bros) |
| - Kenny Garrett |
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Kenny Garrett (as) Kiyoshi Kitagawa (b) #1,3,5,6,8,9,10 Charnett Moffett (b) #2,4,7 Brian Blade (ds) 1995年 |
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たとえば、「俺はサックスのワンホーン・カルテットしか聴かないぜ」といったように、フォーマットでジャズを聴いている人は少ないとは思うけれど、それでも好みの傾向というものはあるわけで、その傾向の一つとして、トリオというフォーマットが好きなジャズファンは多いのではないだろうか。 じつは、私もそうだ。 しかし、トリオはトリオでも、ピアノトリオではなく、ピアノレス・トリオが好きだ。 主役の管楽器はアルトでもテナーでもトランペットでも、なんでもいい。とにかく、“ピアノレス・トリオ”というフォーマットの良いところは、プレイヤーが真剣に演奏に対峙せざるを得ないフォーマットということだと思う。 ハーモニーをつけてくれるピアノもギターもいない緊張感の中、管楽器は一切の遊び抜きで自分の世界を築き上げなければならない。頼りになるのは、自分の楽器の音色と、奏でる旋律だけだ。 聴き手もリラックス出来ない。 旋律を補強するハーモニーがある種、“聴覚のガイドライン(注意して聴かなくても演奏の流れや旋律の存在感を補強してくれる)”を形成し、それゆえ、ある意味“なごみ”の要素をも形成してしまいがちなピアノやギターの音がなくなるぶん、送り手も聴き手も一切の手抜きも余所見も出来ない。 だから、真剣に演奏に対峙せざるを得ないし、だからこそ、この緊張感のあるこのフォーマットが私は好きなのだ。 『ゴールデン・サークル』や『クロイドン・コンサート』のオーネット・コールマンが好きだ。 好んでこのフォーマットを取り入れていたロリンズの一連の作品も好きだ。 そのロリンズを手本に、自らもトライして傑作を作ってしまったブランフォード・マルサリスの『トリオ・ジー・ピー』も良い。 コルトレーンも演奏が白熱すると、いつのまにかマッコイのピアノが抜けて、ピアノレスのフォーマットになることがあったし(ベースも抜けてエルヴィンとのバトルになることも)、ヴィレッジ・ヴァンガードのライブでピアノレスで演奏された《チェイシン・ザ・トレーン》も私が好きなスリリングな演奏の一つだ。 ヴィレッジ・ヴァンガードといえば、ジョー・ヘンダーソンがここでおこなったライブもピアノレス・トリオで、非常に充実した濃い内容だった。 ドラムとのスリリングなインタープレイに息を飲むリー・コニッツの『モーション』も申し分ない。 ドルフィーの《アウト・ゼア》もチェロとのアンサンブルを除いたソロパートはピアノレストリオだし、ジョン・ゾーンの『マサダ』シリーズも同様で、管楽器のソロパートに突入すれば、フォーマットはスリリングなピアノレス・トリオとなる。 もちろん、これらの作品は私の愛聴盤。 と、自分が好きなピアノレスの作品をざっと書いてみたが、これらはまだほんの一部で、まだまだ揚げればキリがないが、このへんでやめておくが、要するに、ピアノレス・トリオの作品は聴きごたえのある作品が多いということ。 もっとも、ピアノレストリオだから良いのではなく、たまたま気に入った作品がピアノレストリオなことが多いというだけの話なのだが、私自身がスピード感やスリリングさ、安定感よりも緊張感を無意識に求めている結果なのかもしれないし、学生時代に組んでいたジャズ・コンボのほとんどが、ピアノレスだったことも影響しているのかもしれない。 上に挙げたピアノレスのアルバムは、私の好みを超えてジャズの歴史に堂々と名を連ねるに相応しい名盤ともいえるが、もう一つ新たに加わるべき名盤がある。 ケニー・ギャレットの『トリオロジー』だ。 手強い。ハードだ。カッコいい。 ライナーを見ると、ギャレット自身の言葉で、“生けるテナーの伝説、ソニー・ロリンズとジョー・ヘンダーソンに捧ぐ”と書かれている。 生ける?あ、そうかジョー・ヘンはこれが録音された95年にはまだ在命中だったんだ。 とにもかくにも、ロリンズもジョーヘンもテナーサックス奏者だ。 アルト奏者のケニー・ギャレットがテナー・サックス奏者を意識しているということは興味深い。 なぜだろう。 以下、2つ理由が考えられる。 1つは、単純に、ギャレットが、この両名のジャズマンのピアノレスフォーマットの作品に敬意を払っていること、あるいは意識をしていることが考えられる。 彼らのピアノレスの作品は、先述したとおり、ロリンズは『ヴィレッジ・ヴァンガードの夜』や『ウェイ・アウト・ウェスト』をはじめとして、何枚もの名盤を残しているし、ジョーヘンも85年にヴィレッジ・ヴァンガードにて傑作演奏を残している。 2つ目は、ケニー・ギャレットは、自らのアルト・サックスにテナー的な役割や位置づけを考えているのではないのだろうか。 といのも、彼はマイルス・バンドの最後のサックス奏者だが、考えてみれば、マイルス・バンドに在籍したホーン奏者のほとんどが、テナー奏者だった。 初期の時代のマクリーンはともかくとして、それ以降のコルトレーン、ハンク・モブレイ、ジョージ・コールマン、サム・リバース、ウェイン・ショーター、スティーヴ・グロスマン、ゲイリー・バーツ、デイヴ・リーヴマン、ソニー・フォーチュン、サム・モリソン、ビル・エヴァンス、ボブ・バーグなどなど、もちろんソプラノの持ち替え奏者もいるにはいるが、ほとんどの管楽器のサイドマンはアルトではなく、テナーだった。 しかし、晩年、最後にマイルスが雇ったホーン奏者のギャレットは、テナーではなく、アルト奏者。 彼を雇うにいたったマイルスの意図の本当のところは分からないが、ギャレット自身は大いに自分の位置づけを考えたに違いない。 今までのマイルス学校の卒業生のほとんどがテナー奏者の中、なぜアルト奏者の自分を雇ったのだろう? 自分の役どころは何なのだろう?マイルスが自分に期待しているのは、どのようなサウンドなのだろう? 音楽的なことに関してはほとんど口頭ではメンバーに話さなかったと言われているマイルスのことだから、なおさらケニーは自分自身の位置づけを考えたに違いないし、先輩たちの諸作を真剣に聴き返したに違いない。 そういえば、以前、ジャッキー・マクリーンのインタビューを何かの雑誌で読んだが、彼もテナーのサウンドが好きで、常にテナー的なサウンドを意識しているのだそうだ。 テナーサックスはアルトサックス奏者の憧れなのだろうか。あるいは、似て非なる楽器として、常に意識せざるを得ない楽器なのだろうか。 それはともかくとして、ではギャレットやマクリーンが吹いて出てくる音はテナーの音かというと、そんなことはなくて、やはりアルトを吹けばアルトの音になるのは当たり前なのだが、それでも、音の太さや重量感、そして力強さは、なんとなくテナーを感じさせるものがあると言うと先入観の持ちすぎか。 いずれにせよ、ギャレットはテナー的な役どころを『トリオロジー』を吹き込むにあたっては意識していたには違いなく、コルトレーンの《ジャイアント・ステップス》を選んだのは、それとは無関係ではないと思われる。 もっとも、私はどちらかというと、正直な感想を言うと、リー・コニッツの『モーション』のパワフル版という印象が強い。 しかし、いずれにせよ、ピアノレストリオの傑作として、さきほど挙げた一連の作品と同列に並べることにはまったくの異存はないし、もしかしたらそれらを上回るほどのパワーと完成度を誇っているほどだとすら感じているのだ。 このアルバムの演奏のかっこいいところは、ギャレットのアルトがメロディアスなだけではなく、旋律が垂直に積極的にリズムに斬り込んでいっている点だ。 ケニー・ギャレットのタンギングは鋭い。 彼は、プッ・プッ・プッ、と鋭く一音一音にアタック感を持たせ、音をリズミックに切る達人だ。 この奏法を効果的に用いると、演奏にメリハリとアクセントがつくだけのみならず、非常に高揚感が生まれてくる。 晩年のマイルスのステージの見せ場の一つ《ヒューマン・ネイチャー》のソロコーナーにおいても、ギャレットは、このシャープなタンギングと、デヴィッド・サンボーンばりの“泣き”の音を巧みに織り交ぜることによって、演奏と客席を沸かせていた。ま、あまり調子にのって沸かせすぎて、親分がオカンムリになることもあったようだが(笑)。 この得意のシャープな“音切り”のセンスは4ビートを演奏する際においても健在で、演奏にスリルとスピード感をもたらすことに成功している。 旋律だけではなく、一音のニュアンス、つまり、音圧や、音の長さ、短さといったアーティキュレーション面に気を配るということは、別にケニー・ギャレットに限らず、すべてのサックス奏者、いや他の楽器奏者も気を配らなければならない大事なポイントの一つだが、ギャレットほど、この試みを聴き手に効果的に伝えられる音を持っている人も稀だと思う。 これはテクニックと音楽センスの幸福な融合だ。 テクニックと、聴かせたい内容がピタリと一致しているのだから。 だから、私は彼の入魂の力作『トリオロジー』を買うし、メロディアス、スリリング、そしてリズミックという側面からも、素晴らしい演奏がなされた名演奏集だと思っている。 ほとんどベースソロパートが出てこないところも、アルト一本の直球勝負といった潔さが感じられて頼もしいし、そんな彼をひたすら鼓舞することだけに専念している北川潔やチャーネット・モフェットの力強いベースも頼もしい。 ピアノがなくてもここまで出来る《ナイト・アンド・デイ》や、軽々と吹ききる《ジャイアント・ステップス》、ロリンズ流、はたまたブランフォード流のユーモア精神をチラリと垣間見せる《ホワット・イズ・ジス・シングズ・コールド・ラヴ》がオススメだ。 “曲”よりも“演奏”を心ゆくまで堪能したいというリスナーの欲望を満たすのにはうってつけのフォーマットの中、ギャレットは真剣に、奔放にアルトサックスを鳴らしきっている。 |
| (2004/05/02) |
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