GRACEFUL VISION (Savoy) |
| - Akiko Grace |
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Akiko Grace (as) Larry Grenadier (b) Ari Hoenig (ds) 2008/04/22-23 |
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オビのコピーの一部に「ジャズを超えたジャズ・アルバム、全音楽ファンに聴いて欲しい」とあるが、なかなか言いえて妙だと思った。 アキコ・グレースのピアノは、あえて分類するのであれば、ジャズという括りよりも“ピアノ・ミュージック”という言葉がもっとも相応しく感じるからだ。 「こんなのジャズではない!」というセリフは、ジャズマニアがダメジャズをコキ下ろすときに使う常套句だが、そういう意味ではない。 また、ジャズを超えた「脱・ジャズ」、あるいは「未来のジャズはこれだ!」といった大袈裟なものでもない。 とにもかくにも、気持ち良く美しいピアノを弾くピアニスト。 アキコ・グレースというピアニストは、まずはこの認識からはじめ、そしてこの認識のまま音に接するのがもっとも正しいといえる。 多かれ少なかれ、ある程度ジャズを聴いていると、これまで聴いてきたジャズと照らし合わせ、比較しながら目の前の音と接してしまいがちだ。 たとえば私の場合は、ビ・バップやハードバップがどうしても自分の中のジャズ鑑の中心を形成しているところがあるので、バップ特有のフレーズや、ちょっと臭みのある和音が現れると安心してしまう傾向が無きにしもあらずだ。 しかし、そういう先入観でもってアキコ・グレースの音楽に接すると少々肩透かしをくらうかもしれない。 フレーズはどちらかというとクラシック的。 バップ特有の、もう少しひねったフレーズや、行きつ戻りつな蛇行した要素がほとんど感じられないのだ。 左手の和音にも“濁りの成分”がほとんどなく、クラシックや上品なポピュラーミュージックを聴いているような錯覚に陥る。 たとえば、前作『東京』では、ビ・バップの代表曲でもある《ドナ・リー》を、まったくバップの匂いが皆無の演奏を披露してくれたが、『グレイスフル・ビジョン』では、ますます、その路線が強くなってきている。 バップ的な濁りや、ブルース特有のアクの成分は、より一層奇麗に漂白されているのだ。 ここで当たり前なことに気がつく。そう、アキコ・グレースの場合、たまたまフォーマットがピアノトリオというだけで、アキコ・グレースはこの編成でジャズをやろうとしているのではなく、自分の音楽をやろうとしているだけなのだ。 そこから表出されるのは、オリジナリティ溢れるアキコ・グレースの世界そのもので、ピアノのタッチの美しさ、微妙なニュアンス、多彩ながらも統一感ある世界を味わうべきなのだ。 『グレイスフル・ドリーム』は、そのような彼女の音楽観が高度に、そしてピュアに美しく具現化されたアルバムだといえる。 スタティックさがより一層強調された音世界は、曲の進行とともにひとつのストーリーをなしているかのようで、トータルアルバムとしての完成度は高いといえる。 《グレースフル・インターミッション》という無音の4分18秒の“曲”をアルバム終盤に配しているのも、このアルバムは通しで聴いてくださいという、より強い彼女の意思の表れなのだろう。 ドラムにアリ・ホニック、ベースにラリー・グレナディアというベテランをしたがえつつも、そこに表出されているのは、あくまでアキコ・グレイス独自の世界。 もちろん、ベテランならではのサポートが光り、彼らは単に伴奏・リズムマシン以上の責を果たしているが、あくまで控えめ。アキコ・グレイスのピアノありきのリズムセクションとなっている。 音に耽溺し、埋没する。とりたててどの曲がひときわ群を抜いて素晴らしいというものでもなく、清流の流れのごときピアノが織りなす音物語に浸るのがもっとも正しい聴き方なのかもしれない。 悪い意味ではなく、リラクゼーション効果のあるBGMとしても最適なアルバムといえる。 ただし、ボーナストラックの《デランシー・ストリート・ブルース'08》のみは例外で、アルバム中唯一躍動感あるダイナミックな演奏が繰り広げられる。 この曲の前に4分18秒の空白を設けたのも、リスナーの気持ちのモードを切り替えるために必要な措置だったのかもしれない。 |
| (2009/04/17) |
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