GETZ/GILBERTO (Verve)
- Stan Getz / Joao Gilberto

  1. The Girl From Ipanema
  2. Doralice
  3. P'ra Machucar meu Coracao
  4. Desafinado
  5. Corcovado
  6. So Danco Samba
  7. O Grande Amor
  8. Vivo Sonhando

Stan Getz (ts)
Joao Gilberto (g,vo)
Astrud Gilberto (vo)
Antonio Carlos Jobim (p)
Tommy Williams (b)
Milton Banana (per)

1963/03/18 & 19

熊田曜子に似た、いや、熊田曜子をもう少し細面にしてスリムにしたママがひとりで営んでいるバーがある。聞き上手な美人ゆえ、この店は私の憩いの場所のひとつだ。

都内某所の雑居ビルの中のひっそりとした一室。入り口はマンションの扉なので、この店のことを知らないと、飲み屋だということは分からない。
しかも、ドアには常に鍵がかかっており、常連客は、隠されたブザーを押さないと中に入れてもらえない。

そのブザーを押して待つこと十数秒。ドアのレンズ越しに私のことを覗く気配を感じる。
そして数秒、ようやくドアが開き「こんばんわ!」とママが笑顔で迎え入れてくれるのだ。

店内は、8人も入れば満席になる椅子の数。ただし、スペースは広い。
たとえば2軒ぐらい飲み屋をハシゴし、まだ家に帰るのが勿体無いと思ったときは、ここを覗く。

朝までやっているから、どんな時間帯に行っても安心だ。
ただし、夜中の2時になっても客がひとりも来ないと店を閉めてしまうので、遅くとも午前2時前には訪れるようにしている。

間接照明が店内を効果的に照らす、なかなかおしゃれな空間だ。
このおしゃれな空間にはボサノヴァしか流れていない。有線のチャンネルを常にボサノヴァに設定しているのは、ママ(というほどの年齢でもないが)がボサノヴァが大好きだから。

ナラ・レオンや、アナ・カラン、それに最近は歌手は誰か分からないが、小野リサのナンバーをカバーした歌も頻繁に流れている。

快適に会話を楽しめるボリュームでボサノヴァがゆったりと流れる店内の中、カウンターごしにママと向かい合って飲む“酔い醒まし”の酒は悪くない。

他愛もない会話をしながら、静かに流れるボサノヴァを軽い気分で聞き流す私。基本的にはBGMとしてしか聴いていないのだが、時々「はっ」とすることがある。

この「はっ」との90%以上が、『ゲッツ・ジルベルト』のナンバーが流れたときだ。

このアルバムは不思議だ。
それこそ何百回も聴いているはずなのに「耳タコ」と感じたことが一度もない。

かといって、聴けば聴くほど新しい発見があるというわけでもなく、ただ単に、いつも聴くたびに良い気分にさせてくれるのだ。
呟くようなジョアン・ジルベルトのヴォーカルも良いし、ゲッツのウォームだが、よく聴くとエキサイティングなテナーも素晴らしい。

要は、彼らの音が立っているのだ。 前後に流れるボサノヴァの音とはまったく違う、音自体の存在感の素晴らしさが、聴き慣れ過ぎたナンバーなはずなのに、一瞬酔いの回った私のダラけた頭を「はっ」とさせるのだ。

ゲッツとジョアンは犬猿の仲だった。
レコーディングのときも、通訳を介してのケンカが絶えなかったようだ。それなのに、やっぱり二人は音楽家なんだねぇ。音楽の前では嘘をつけない。

真剣に良い音楽をついつい演っちゃっているんだ。
だから、その結果がアルバムのヒットにつながり、21世紀になった今も、東京のどこかの酔っ払いが、バーで酔いながらも、「おっ、やっぱりイイじゃん」などとのたまっているのだ。

私は《ソ・ダンソ・サンバ》が大好き。
特に、後半のゲッツの熱いソロは絶品。というか、このアルバムに収められているナンバーはどれもイイんだけどね、理屈抜きに。ほんと。

最初のつかみは、やはりアストラッド・ジルベルトの清涼感溢れる声が魅力の、ボサノバ定番ナンバーの《イパネマの娘》なのだろうが、繰り返し聴けば聴くほど、少しずつ大好きになる曲の幅が広がってくるはずだ。

どのナンバーも同質な雰囲気をたたえつつも、どれもがそれぞれの特色、顔を持っているのだ。これが、聴き飽きない理由なのだろう。

ゲッツのテナーが“ホンク”していて、ボサノヴァのストイックな雰囲気を壊している、ゆえに、このアルバムの演奏はボサノヴァとは認めがたいとするマニアもいる。

しかし、べつにボサノヴァとして聴かずに、ゲッツとジルベルトが生み出した美しい音として聴けばいいのではないか。

たしかに、ゲッツのテナーは、呟き系ヴォーカルを旨とするボサノヴァという音楽の枠からはハミ出しているのかもしれない。

しかし、呟くようなジョアンのヴォーカルと、ウォームだが熱量のあるゲッツのテナーの対比は絶妙ではないか? これ以上熱くても、これ以上ぬるくても成立しえない、絶妙なゲッツの湯加減があるからこそ、単なるボサを超えた唯一無二のボサの世界を生み出しているのだ。
(2006/07/22) 


冬こそボサノヴァ!
というのは、言いすぎかもしれないが、少なくともボサノヴァは夏だけの季節限定音楽だとは思えない。
むしろ、暖かな部屋の中で、寛ぎながら聴くと、なんだかちょっとだけ優雅な気分になりませんか?

ビールと同じだ。
たしかに夏の暑い日に飲むビールは格別だ。しかし、寒い冬に暖かい鍋を囲みながら飲むビールだって、おいしく臓腑に染み渡ってくる。
それと同様、ボサノヴァだって、夏以外の季節にも充分賞味できる音楽なんじゃないかと私は思っている。

『ゲッツ・ジルベルト』。
私にとって、ボサノヴァと呼ばれている音楽の原体験がこのアルバムだからということも大きいが、何かボサノヴァを聴こうと思い立ったときに真っ先に思い浮かぶのが、ナラ・レオンか、このアルバムなのだ。

もっとも、ガチガチのボサノヴァ・マニアに言わせれば、やれゲッツはまだボサノヴァのリズムを未消化なまま取り組んでいるので、聴くに値しないとか、やれゲッツのテナーはうるさ過ぎだとか、やれボサノヴァは本来ポルトガル語で歌うべきで、英語で歌われる「イパネマ」なんて邪道だとか、やれゲッツのテナーがボサノヴァ特有のクールなテイストを台無しにしてる、などなどとウルサイが、そんな細かいこまで考えて聴いているわけではないので、私にとっては、このアルバムだって正しくボサノヴァなのだ。

そして、やっぱり、いつ聴いても素晴らしい内容のアルバムだと思う。
落ち着いた空間を形作る控えめなリズムと、豊穣なハーモニーをさり気なく奏でるギターとピアノ。
埋めすぎないし、弾きすぎない。
音の隙間からは、心地よい風と快適な空間を感じることが出来る。

透明なアストラッド・ジルベルトの歌声が耳に心地よく、ジョアン・ジルベルトの歌声は、ちょっと耳にくすぐったい。

そして、もう一人の“歌手”が、スタン・ゲッツ。
彼のテナーは柔らかくも、なかなかにタフな一面を見せる瞬間もある。少なくとも、クール派と言われていた頃のプレイと比較すると、彼のテナーの温度は微妙に高い。
特に、「ソ・ダンソ・サンバ」のソロにおいて、それが顕著だ。
BGM代わりとして聴いていても、このソロだけは、ハッとして音楽のほうに意識を集中せざるを得なくなるほど力強い熱演だ。
このアルバムのゲッツのテナーを“ゲッツのクールなサウンドが云々”と書いている評をたまに見かけるが、ホンマかいなと思ってしまう。

さて、以下、このアルバムにまつわる無愛想な能書きを。
耳タコな人も多いでしょうから、知っている人は読み飛ばしてください。

サンバのリズムとジャズのハーモニーが融合して、新しく出来たと音楽ジャンル・ボサノヴァ(=new wave)。
そのボサノヴァの名を一気に知らしめた作品がコレ、『ゲッツ・ジルベルト』。
ピアノは、アントニオ・カルロス・ジョビン。
プロデューサーはクリード・テイラー。
ギターと歌がジョアン・ジルベルト。
もう一人のボーカルが、ジョアンの奥さんのアストラッド・ジルベルト。つまり、ボサノヴァにおいての、最重要人物が何人も参加している。

また「イパネマの娘」、「デサフィナード」、「コルコバード」などなど、その後、ボサのスタンダードになる曲も目白押しだ。

特に「イパネマの娘」。
この曲は、ジョビンがリオのイパネマ海岸の喫茶店で 通りを歩く美しい娘を見ながら作ったという話は有名。
ジョアン・ジルベルトの歌う部分がカットされた「イパネマの娘」がヒットし、ボサノヴァが一気に市民権を得たというのも有名な話。
アストラッドは このアルバムで歌手となり、その後「ボサノヴァの女王」と呼ばれるようになったのも、これまた有名な話。

アメリカでヒットして、ポピュラーになったボサノヴァだが、その契機となったアルバムでもある。

ゲッツはこのアルバムの印税だけで豪邸を買ったといわれている。
また、売れに売れたアルバムゆえ、『ジャズ・サンバ』、『ゲッツ・オー・ゴー・ゴー』、『ゲッツ〜ジルベルト#2』などの続編も録音された。

第7回('64年)グラミ−の最優秀獲得アルバム。

(2003/01/10) 

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