A BLOWING SESSION (Blue Note) |
| - Johnny Griffin |
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Johny Griffin (ts) John Coltrane (ts) Hank Mobley (ts) Lee Morgan (tp) Wynton Kelly (p) Paul Chambers (b) Art Blakey (ds) 1957/04/06 |
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やっぱりジョニー・グリフィンのアルバムなんだよな、と思う。 あるいは、個性の異なる3人のテナーサックス奏者のデモンストレーション。 ジョニー・グリフィン、ジョン・コルトレーン、ハンク・モブレイという3人のテナー奏者の個性と持ち味の違いを、見事に浮き彫りにした内容だ。 『ア・ブロウイング・セッション』というアルバム、私には、どうしてもテナー“バトル”のアルバムには感じられない。 白熱した演奏には違いないが、ソロ奏者同士のつば鍔迫り合いを味わうだけの内容ではないからだ。 トランペットにリー・モーガンという、異なる管楽器プレイヤーをもう1人参加させていることや、テナー奏者が3人連続してソロを取る曲は1曲もないといったソロオーダーの順番からも、スリルや迫力だけでは終わらせずに、きちんと“聴かせる内容の”作品を作ろうとしたブルーノートならではの姿勢を感じることが出来る。 いくら3人のテナーの個性を聴き分ける楽しみがあるとしても、やっぱり、ソロの順番が、 テナーサックス→テナーサックス→テナーサックス だと、聴いているほうもいい加減飽きてくるからね。 “緩衝材”としてのリー・モーガンやウイントン・ケリーを間に挟んでいるところが、このアルバムのミソだと思う。 そのような心配りや、きちんと音楽として楽しめる内容に配慮されているところが、ブルーノートらしい。 ただ、そうかと思えば、テーマのホーン・アレンジはなされていなかったりというルーズなところもあり、良い意味でラフな要素と、退屈させない要素をバランス良く共存させたアルバムだと思う。 よく、「ジョニー・グリフィンは、あのコルトレーンに肉薄している」 とか、 「コルトレーンに負けず劣らずグリフィンのプレイは凄い」 といった論評を目にするが、果たしてそうなのだろうか。 私は3人の中では、圧倒的にグリフィンが良いソロを取っていると思うのだが。 “あのコルトレーンに肉薄している”と評されるのは、あらかじめコルトレーンは3人の中で別格の存在ということが念頭に置かれていやしまいか? たしかに、コルトレーンの偉大さを認めるに吝かではないが、このアルバムのコルトレーンのプレイだけに、純粋に耳を澄ましてみよう。 そんなにコルトレーン、スゴいですか? 時間を音符で埋め尽くす“シーツ・オブ・サウンド”の萌芽は認められるものの、まだまだ完成の域には達していない。 瞬間風速的な凄さは認められるものの、まだまだ意気込みとテクニックとの折り合いがつけきれていないモドカシサを感じる。 コルトレーンの“シーツ・オブ・サウンド”が目を見張る成果として実を結ぶのは、この録音から2年後の『ジャイアント・ステップス』あたりだ。 この2年前の録音のコルトレーンのプレイは、まだまだ出したい音の確信が感じられず、時折中空を空回りするような“迷い”が認められる。 それに比べて、グリフィンは一点の迷いもなく、グイグイと突進している。 いつものように、熱くなればなるほど、演奏もヒートアップしてゆくので、耳が離せない。 私の感想をいうと、やっぱりグリフィンが一番“聴かせる”ソロをとっていると思うけれども、皆さんはどう感じられますか? |
| (2004/01/11) |
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