ON THE CORNER (Columbia) |
| - Miles Davis |
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Miles Davis(tp) Dave Liebman (ss) Carlos Garnett (ss,ts) Herbie Hancock (key) Chick Corea (key) Harold Williams (elp) John McLaughlin (g) David Creamaer (g) Michael Henderson (b) Jack DeJohnette (ds) Billy Hart (ds) Don Alias (per) Colin Walcott (sitar) Badal Roy (tabla) 1972/06/01,06 & 07/07 |
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眩暈がするほどのファンクなグルーヴを生み出すベースに、ハットの連打やクラップの挿入は、まるで、いわゆる「人力テクノ」とでも言うべき心地よさを感じ、つんのめった感じのせわしないリズムと混沌としたサウンドは、最初の一音から確実に異界へと誘われ、重層的でごった煮なサウンドの肌触りとは裏腹に、妙に冷めてクールな感覚も感じられ、単なるノリノリのビートに終始することを嫌悪するかのように、マイルスは敢えて、タブラやシタールといったおよそジャズやファンクとは無縁な楽器を混入させることによって「単なるファンク」という一言では括れない異化作用を促進させ、では、肝心なマイルスのラッパはどうなのかといえば、フレーズがどうというよりも、彼の放つ重く捻れた一音一音は、さながらサウンド全体の触媒の役割を果たしているかのようだ。 その試みの面白さと、サウンドの塊としての一筋縄ではいかない肌触りは、録音より30年の歳月を経た今となっても、奇妙に新鮮で比類の無いサウンドとして、ジャズファンよりも、むしろファンクやヒップホップのファンに親しまれているような気がする。 好きです、オン・ザ・コーナー。 『カインド・オブ・ブルー』、『ビッチェズ・ブリュー』とともに、マイルスのアルバムでは、最初の数音を聴いただけで、アルバムジャケットに思わず頬ずりをしてしまいたくなった数少ない3枚の中の1枚。 |
| (2002/08/07) |
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散歩などをしながら、ノンビリとした気分でぶらぶらと歩いていると、時折、ある一つの音楽のフレーズの断片が思い浮かび、無意識にリピートさせてしまうことがある。 あたかも、舌の上で飴玉を転がすように。 私の場合、しばしば頭の中で突然再生される曲の断片が、『オン・ザ・コーナー』の《ブラック・サテン》だ。 つんのめった感じのせわしないドラム。 グルーヴしまくるベース。 もう、このリズムの組合せだけでも、クラクラと眩暈がしそうなほどなのに、マイルスの、あの“ねじくれたラッパ”だ。 それに、生々しくて、ラフなハンド・クラップときたものだ。 卒倒してしまいそうな組み合わせだ。 このパターンが延々と続くのが《ブラック・サテン》という曲。 だから、頭の中でこの曲の断片が再生されると、電車の中だろうが、会議中だろうが、電話中だろうが、パソコンを打っていようが、いつまでもノン・ストップで鳴り続けてしまうのだ。 グチャグチャした音の感触。一見エキサイティングでノリの良い感じなんだけど、このグルーヴ感に対して、カラダはどのように反応してよいのか戸惑う。 いや、カラダよりもむしろ、頭の中が静かに興奮しているのだ。 と同時に、妙に醒めたクールな感触が全体を貫いているで、単純に興奮しているというわけでもない。 要するに、アタマのほうも、この演奏に対しての適切な対処法を見出せずに困っているのだ。 あと、もう少しで高揚感の絶頂に登りつめる寸前に、寸止めをかけ、冷や水を浴びせるような冷徹なマイルスの構成意識。 マイルスって人は、つくづく狡猾で残酷な人なんだなと思う。 熱いんだけども冷ややかなマイルスの視線が、終始重たく横たわっているアルバムが『オン・ザ・コーナー』だが、こと<ブラック・サテン>において私はそれを強く感じる。 もどかしい。 だけども、気持ちがいい。 そこが不思議。 それにしても、この鎮静感って、いつも思うのだが、スライ&ファミリーストーンの『暴動』に似てはいまいか? 肉感的なくせに、えらく醒めた触感を両アルバムからは感じる。 違う切り口と、違うレベルの恍惚感を模索しているような演奏なのだ。 マイルスはスライからも影響を受けたというが、ひょっとしたら、1年前に発売された『暴動』を聴き、アプローチではなく、音の“肌触り”を自分なりに表現する方法を模索していたのではないのだろうか。 あくまで推測だが。 今日も、20分ほどこのアルバムのフレーズを延々と頭の中でリピートさせながら、皇居の堀の周りを、およそ1/3周ほどぶらぶらと歩いていた。 気持ちの良い秋晴れの日に、皇居。そして、『オン・ザ・コーナー』。 なんともヘンな組合せではある。 澄んだ秋空の元、ヘビ笛のようにトグロを巻くデイヴ・リーヴマンのソプラノサックスが、不思議とクリアで澄み渡って聴こえてくる。 |
| (2003/09/29) |
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いわゆる、電化マイルス。 たとえば、『オン・ザ・コーナー』や、『ビッチェズ・ブリュー』。 あるいは、『サイレント・ウェイ』など、マイルスの創作意欲が高まっていた時期の諸作品が好きだ。 これらの作品は、「ジャンル」という安易なレッテルへの還元を拒むサウンドだ。 いまだに『オン・ザ・コーナー』はジャズか否かという、あまり生産的ではない議論を繰り返している人もいるらしいが(そういう人たちは「ジャズ」だと聴き、「非ジャズ」じゃないと聴かないつもりなのかな?)、私にとっては、そして、『オン・ザ・コーナー』を「これ、けっこうオモシロいじゃん」と先入観無しに受け入れている若者にとっては、はっきり言ってジャズか非ジャズかってことは、あまり重要なことではない。 強いていえば、ジャズマンという職業的な分類がなされるマイルス・デイヴィスなる人物がリーダーを張っているアルバムなわけだから、たしかに「ジャズマンのアルバムだからジャズなんだ」って解釈の仕方はあるかもしれないが、ここは素直にマイルス・デイヴィスという人が作った音楽、ゆえに、「マイルス・デイヴィスというジャンルの刺激的で、こちらの感性と聴覚を刺激してやまない音楽」と解釈してしまったほうがスッキリする。 すでに4ビートという定型リズムから離れつつあったマイルス、そう、『ネフェルティティ』あたりからのマイルスを聴くたびに、結局、マイルスは「音楽」をやりたかったんだなと思う。 それも、「自分だけの音楽」。 メンバーをも含めた「自分(たち)にしか出来ない音楽」。 私は、マイルスの「俺の音楽をジャズと呼ぶな」発言の気持ちがよく分かる。人間、やりたいことはたくさんあるし、年とともにそれは変わるし、新しいことにトライしようというチャレンジ精神は誰しも持っているものなのだ。 小説家で考えてみよう。 たとえば、デビュー作がハードボイルド小説だからといって、いつまでもハードボイルドを書き続けなきゃいけないわけではない。 もちろん、一生涯、ハードボイルドを追求しつづけるストイックなタイプの作家もいるだろうし、そのような姿勢は美しいと思う。 しかし、人によっては、年齢とともに時代小説だって書きたくなるかもしれないし、経済小説やノンフィクションの分野にも手を出してみたくなるかもしれない。そんなときに、「ハードボイルド作家」というレッテルは邪魔になるし、作品を発表してしまえば、無効になってしまうよね。 作家の場合は、「新境地開拓!」といった感じで、新しい作風や新ジャンルへの挑戦は、比較的好意の眼差しが向けられるような気がする。 あと、タレントもそうだよね。 お笑い芸人としてスタートしつつも、年齢を重ねるとともに、映画監督になったり、絵にチャレンジした人もいるが、誰も彼らのことを変節したとか、お笑いを裏切ったなどといった妙な言いがかりはつけない。 むしろ、彼らの貪欲なチャレンジ精神を賞賛する人のほうが多い。 しかし、小説家の作風の変化や、タレントが守備範囲を広げることに関しては寛容な我々だが、ことジャズの場合だと、いや、音楽全般においてもそうなのかもしれないが、結構眉をひそめる傾向が強いように思う。 やれ、節操がない、変節した、商売に走った、云々。 「パンクロックが好きだ」という“ジャンルを愛する歌”があったり、同じヘヴィメタルでも様々な流派や派閥が点在し、たとえば、LAメタル好きとデスメタル好きが相容れない(らしい)ように、音楽ファンの「ジャンルへの固執」ってのは、かなり強力だ。 小説家も、タレントも、前進し、変化するように、マイルスだって、前進し、変化した。 表現者としては、きわめてまっとうな路線を歩んだ人だ。 自分の表現欲求に正直な人だったんだと思う。 しかし、どういうわけか、受け手の我々は、「音」に対しては、なぜだか保守的なメンタリティになってしまいがちなようだ。 保守的ってのは、つまり、自分の守備範囲をなかなか広げようとしないこと。 慣れたもの、慣れた居場所を大切にしようとすること。 もちろん、大切にすることは素晴らしいことだけれども、自分の居場所を大切にするあまり、外の世界や自分の価値観に相容れないものに対しては攻撃的、排他的になってしまいがちなのも音楽ファンの悲しい性。 多かれ少なかれ、音楽好きにはそのような傾向が強い。 「偏愛」ゆえに、ってことはもちろん分かるけれどもね。 自分が好きなものは最高、それ以上に最高のものは見たくもないし認めたくもないという「認知不協和」が働くのは分からないでもないが。 もちろん、私にもその傾向は多分にあるので自戒の意味も込めて書いているってこともある。 |
| (2005/03/21) |
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