MILES IN THE SKY (Columbia) |
| - Miles Davis |
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Miles Davis (tp) Wayne Shorter (ts) George Benson (g) #2 Herbie Hancock (p,el-p) Ron Carter (b,el-b) Tony Williams (ds) 1968/01/16(NYC) #2 1968/05/15-17(NYC) #1,3,4 |
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1曲目の《スタッフ》。 淡々とした肌触り。 平板な8ビート。 エレキベースで簡素なリフを反復するロン・カーター。 ダイナミクスを押し殺したかのようなリズム刻むトニー・ウイリアムス。 リズムの上を漂うように、とりとめも無く、つかみどころの無いテーマが執拗に繰り返される。 決して音楽のほうからこちらに歩み寄ってくることがない。 ある種、無愛想な肌触り。 テーマの旋律には“ストーリー”的な起伏、いわば起承転結のようなものが無い。 しかも、このテーマの繰り返しが、5分以上も続く。 その間、演奏のテンションはクールに抑制されたままだ。 いつしか、肩透かしを食らったような、不安定な気分になる。 最初はよそよそしさを感じるかもしれない。 じわじわと少しずつ染みてくるタイプの演奏だ。 抑制を効かせた単調な繰り返しによって、聴き手は軽い夢遊状態に誘われる。 「8ビートを導入したマイルスの意欲作」。 『マイルス・イン・ザ・スカイ』は、そう語られることが多い。 たしかに、そのとおり。 しかし、重要なことは、8ビートはあくまで結果論。 8ビートのために8ビートを導入したわけではない。 8ビートの導入は、あくまで結果論だ。 マイルスの音楽的な意図は、もう少し深いところにある。 すなわち、アドリブの旋律以上に、音色とリズムをも含めたトータルなサウンドの“雰囲気”で、今までに無い音空間を構築しようとする試み。 結果的に、最適なリズムが8ビートだった、ということなのではないだろうか。 ジョージ・ベンソン参加も、このアルバムを語る上でのトピックスとしては欠かせない。 もっとも、参加はしてはいるが、参加している以上の何かは無い。 参加曲は、2曲目のみだが、彼のプレイは、いまいち、演奏の向かう方向や、コンセプトを理解しきれていない感じがする。 手がかりを求めて、手探りでギターを弾いているように聞こえるのだ。 「あの〜、親分、こんな感じで良いんでしょうかねぇ?」と、冷や汗タラタラなベンソンの声が聞こえてきそうなギターではある。 この後、マイルスはベンソンを雇わなかった。 この事実が、この演奏の出来を証明しているといってもよい。 いずれにせよ、『マイルス・イン・ザ・スカイ』は、良くも悪くも過渡期的作品だと思う。 試行錯誤を繰り返すマイルスの実験過程の中間発表。 それ以上のものは感じないし、それ以下のものも私は感じない。 面白かったり、興奮状態に陥る類の音楽、ではないなぁ。 |
| (2009/03/01) |
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1曲目の《スタッフ》を最初に聴いたときは、えらく無愛想な演奏だなぁと思った。 淡々とした肌触り。 決して音楽のほうからこちらに歩み寄ってくることがない。 そう感じさせる原因の多くは、平板な8ビートと、そのリズムの上を漂うように、とりとめの無く、つかみどころの無いテーマが執拗に繰り返されることも一因だと思う。 ロン・カーターはエレキベースを弾き、簡素なリフを反復する。 トニー・ウイリアムスは、あえてダイナミクスを押し殺したかのようなリズムを軽やかに刻む。 テーマの旋律には“ストーリー”的な起伏、いわば起承転結のようなものが無い。 しかも、このテーマの繰り返しが、5分以上も続くのだ。 その間、演奏のテンションはクールに抑制されたままだ。 なんとなく肩透かしを食らったような、不安定な気分になる。 しかし、ここでメゲてはいけない。 長いテーマ部が終わった後に登場するマイルスのトランペットも、ショーターのテナーも力強いソロを展開するので、アクビをしないで頑張ってこの曲に馴染んでゆこう。 最初はよそよそしさを感じるかもしれないが、じわじわと少しずつこの曲の面白さが染みてくるはずだ。 単調に感じていたトニーの8ビートも、ハイハットの音の心地よさに次第に気がつくはず。この反復は、一緒の催眠状態を誘うかのようだ。 もしかしたら、マイルスの狙いもそのへんにあったのかもしれない。 抑制を効かせた単調な繰り返しによって聴き手を軽い夢遊状態に誘うこと。 アドリブの旋律以上に、音色とリズムをも含めたトータルなサウンドの“雰囲気”で、今までに無い音空間を構築しようとする試み。 おそらくマイルスは、ショーター、ハービー、トニー、ロンのクインテットで、4ビートという領域の中で出来ること、やりたいことは、やり尽くしてしまっていたのだろう。 もちろん、この段階で発展や探求をやめてしまい、死ぬまでこのスタイルに安住しても、マイルスは、ジャズのイノベーターとして君臨していたに違いない。 ヘンな想像だが、もし、コルトレーン、ガーランドを擁したクインテットの時代にマイルスが死んだとしても、ハードバップの頂点を極めたトランペッターとして、ジャズの歴史に記憶されただろうし、ショーター、ハンコックを擁したクインテットによる4枚の傑作(『E.S.P.』、『ソーサラー』、『マイルス・スマイルズ』、『ネフェルティティ』)の段階で鬼籍に入ったとしても、「ハードバップ、モード、そして新しいジャズの地平を切り開き、常に前進を続けた男」と評されていたことだろう。 「もし、彼が死なずに生きていたら、今後のジャズは一体どうなってしまっていたことだろう」?という締めくくりの言葉付きでね。 で、実際は死なずに生きていたその後の彼は、『ビッチェズ・ブリュー』や『オン・ザ・コーナー』や『パンゲア』のような音楽をやり、晩年は絵を描いたり、ヒップホップにも手を出したわけデス。 でも、そこに行き着く前に、彼は『マイルス・イン・ザ・スカイ』や、『キリマンジャロの娘』でいろいろな実験をしてました、って感じかな。 アコースティック4ビートにおいては、やりたいこと、出来ることはすべてやり尽くしてしまったマイルスは、さらに前任未踏の境地に踏み出そうとした。 そのもっとも初期の段階の“実験作”が『マイルス・イン・ザ・スカイ』だ。 この時期のマイルスの興味は、フレーズや和声ではなく、音色とリズムの変革のほうにあったのだろう。 当時、出回りつつあった、エレクトリックピアノをハンコックに弾かせ、エレキベースをロン・カーターに弾かせている。 さらに、ギターには、あのジョージ・ベンソンも曲によっては参加させている。 では、効果のほどは? というと、さほどの結果が得られなかったに違いない。 ロン・カーターのエレキベースは、音色もフレーズも、ほとんどアコースティックベースを変わらず、“あえて”エレキにしてみました、というほどの効果は感じられない。 同様に、ハンコックのエレピも、“音色だけ変えてみました”という感じで、弾いている内容は、アコースティックピアノの時とほとんど同じだ。 もちろん、音色の変化によるサウンドの肌触りの変化はある。 しかし、“エレピならでは”、“エレピにしか出来ない”フレーズは、まだ芽生えていない。 2曲目だけに参加しているジョージ・ベンソンもなんだか遠くのほうで、モゴモゴと恐る恐るギターを弾いているといった感じで、いまいち、演奏の向かう方向や、コンセプトを理解しきれていない感じがする。手がかりを求めて、手探りでギターを弾いているように聞こえるのだ。 「あの〜、親分、こんな感じで良いんでしょうかねぇ?」と、冷や汗タラタラなベンソンの声が聞こえてきそうなギターではある。 この後、ベンソンをマイルスは雇わなかったところをみると、「こんな感じじゃダメ」だったんでしょうね、きっと。 ちなみに、この曲、ハンコックのソロだけを聴いていると、『マイルス・スマイルズ』を聴いているような気分になる。 3曲目の《ブラック・コメディ》にいたっては、『ソーサラー』や『マイルス・スマイルズ』のときのテイストに逆戻りしているし。 ま、逆にそれがいいのだけれども。 マイルスは“常に前進しつづける男”ではなく、ちょっとずつ前進しながらも、後戻りも少しずつする男なんだという妙な安心感にもつながるから。 それに、この曲、なんだかすごい中途半端な終わり方なので、「えっ!?もう終わり??」なところもまた笑えるので良い。 いずれにせよ、『マイルス・イン・ザ・スカイ』という作品は、良くも悪くも過渡期的作品だと思う。 個人的には、どうしても、少し前のショーターらを擁した黄金のクインテットのサウンドと、後に発表される『イン・ア・サイレント・ウェイ』というサウンドの文脈と、歴史的な流れが鑑賞の際の前提として必要になってしまうアルバムなのだ。 もちろん、個々の演奏は悪くはないし、試行錯誤を繰り返すマイルスの姿も、なかなかに興味深くはある。 しかし、やはり、放心状態で、「うぉお!すっげぇ!」という気分には、正直、中々なれないアルバムなのだ。 マイルス入門者にはオススメ出来ない。少なくとも30枚ほど聴いて「マイルス史」を俯瞰できるようになってからのトライで構わないと思う。 |
| (2004/11/01) |
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