KIND OF BLUE (Columbia)
- Miles Davis

  1. So What
  2. Freddie Freeloader
  3. Blue In Green
  4. All Blues
  5. Flamenco Sketches

Miles Davis(tp)
Cannonball Adderley (as)
John Coltrane(ts)
Bill Evans (p)
Wynton Kelly (p) ※2のみ
Paul Chambers (b)
Jimmy Cobb (ds)

Track 1-3
1959/03/02 Columbia 30th Studios,NY

Track 4-5
1959/04/22 Columbia 30th Studios,NY


ピアノで参加しているビル・エヴァンス自身が、このアルバムのライナーを書いている。
即興演奏を、やり直しのきかない日本の水墨画になぞらえて。

うん、思わず納得!な内容なので、興味のある方は、是非ご一読を。

すべてのジャズがそうだというわけではないのだが、少なくとも、このライナーが書かれているアルバム『カインド・オブ・ブルー』に関していえば、まさに水墨画の境地。
デリケートで儚く、その道の達人たちによる“一筆書き”の世界。

ダークな蒼一色というモノトーン的な色彩だが、微妙な濃淡のニュアンスが美しい。カラフルではないぶん、マイルスの設定した禁欲的なトーン一色に我々は集中し、溺れることが出来る。

奇跡的に生み出されたこのデリケートなニュアンスと空気感は、ジャズというフォーマットを超えた一つのアート作品として、未来永劫に記憶され続けることだろう。
(2004/03/18) 

演奏者のフィーリングと、その場を支配するムード、そしてほんの一分の隙さえも許されないタイミングの一致が、ひと粒の結晶体に昇華された類い稀なる一枚のアート作品。
それが『カインド・オブ・ブルー』だ。

私は『カインド・オブ・ブルー』は、なるべくヘッドフォンで聴くようにしている。
スピーカーから放たれる音が、空気中に拡散していってしまうのは、あまりにも勿体ないと思うから。
この空気感は、自分の耳の中だけに密集させたい。自分の耳だけで独占したい。
そんな欲張りな思いを抱かせるアルバムは、ただの一枚、マイルスの『カインド・オブ・ブルー』だけなのだ。

そして、このアルバムは、私にジャズをずっと聴き続けていこうと決心させたアルバムでもある。
ジャズのアルバムを十数枚集め、一生懸命ジャズを理解しようとしていた頃の私。
アルバムによっては、少しずつ良さが分かるようになってきたものの、いまだ心の底からジャズを好きになれる確信を持てずにいた頃。
そんな折りに購入したのが、マイルス・デイビスの『カインド・オブ・ブルー』だった。
今まで購入したアルバムと同様、ただ単に、どのガイド本やどの雑誌にも「名盤だ」と紹介されていたので、そんなに名盤ならばいっちょ聴いてみるかといった程度の購入動機だった。
ただ「かいんど」「おぶ」「ぶるー」という言葉の組み合わせと響きの格好良さには惹かれるものはあったが。

真夜中に一人でヘッドフォンをし、恐る恐るCDプレイヤーの再生スイッチを押し、数秒後に現れた世界は、冗談ではなく、本当に私の周囲数メートルをほの暗い蒼色に染めた。

一曲目の《ソー・ホワット》。
どこか遠く「別の世界」から、こちらの目覚めを促すかのようなピアノが聴こえてくる。
太古の海の底から、ムックリと起き上がる奇妙な形をした軟体生物のようなポール・チェンバースのベースが胎動を開始する。
ベースの呼び声に反応する3つの管楽器。
少し遅れて後を追い始めるシンバル・レガート。
時間の止まっていた世界が、少しずつ生気を取り戻し、徐々に現実世界に波長を合わせて、ゆっくりと甦っていくような感覚。

節約された音数のマイルスのトランペットと、ゴツゴツとした武骨なコルトレーンのテナー、まるで空間をコロコロと転がるように流暢なキャノンボールのアルト。
これらまったく違うアプローチを重ねる管楽器のソロのバックを「単調な」シンバル・レガートが彩る。
このシンバルの「単調さ」が耳に非常に心地よかった。
反復効果による「微睡み」と、明晰な一音一音の金属音が意識の「覚醒」を促し、矛盾する「微睡み」と「覚醒」の感覚が共存する状態が心地良かった。

ビル・エヴァンスの蒼白く静かに燃えるピアノソロ。
静かにリフを入れる3本の管楽器。
私は思わず「分かった!」と叫んでいた。
何が分かったのかは、うまく説明出来る自信はないが、《ソー・ホワット》の醸しだす独特のムード、そして初心者の私、それも生まれて初めて聴いた音楽にもかかわらず、ハッキリと「世界感」が掴めたような気がしたのだ。

メンバー全員が、静かに燃える情感を決して演奏表面には出すことなく、並々ならぬエネルギーと集中力の方向を、むしろ内側に向けて、深く深く静かに潜行してゆく、耽美な世界。

このストイックな美しさに、「蒼」を感じてしまった。
もちろん、タイトルからの先入観も多分にあるのだろうが。
《ソー・ホワット》はもちろんのこと、他の曲から醸し出るトーンも、すべて「蒼一色」に統一されているのも素晴らしい。
たとえ、二曲目のピアノが、エヴァンスとはまったくタイプの違うウイントン・ケリーに変わっていたとしても、このトーンと統一感は変わることがない。

美の結晶体のような《ブルー・イン・グリーン》に《フラメンコ・スケッチ》。
後年、何度も演奏されている《オール・ブルース》も、この初演バージョンは、他の演奏には見出すことの出来ない独特なメランコリックさと、「蒼い靄」に覆われた不思議な世界観を醸しだしている。
テンポがゆったりしているぶん躍動感が乏しいと指摘する向きもあるが(それは《ソー・ホワット》にもいえることだが)、これらの演奏ではむしろ、エネルギッシュさよりも、独特な世界観に塗り染められたムードを味わうべきだろう。

『カインド・オブ・ブルー』に収録されている曲は、確かにすべてがスタティックで、静謐なトーンに貫かれている。

しかし、この『カインド・オブ・ブルー』にダイナミック過ぎる躍動感を持ち込んだら、一体どうなってしまうのやら。
たとえば、ドラマーがフィリー・ジョー・ジョーンズだったら…?
あくまで推測だが、このアルバムの世界のバランスが著しく崩れてしまうのではないだろうか?
最近の私は、極端なことを言ってしまえば、『カインド・オブ・ブルー』は、ジミー・コブというドラマーあっての世界だったのではと思っているぐらいなのだ。
フィリー・ジョーの後任のドラマー、ジミー・コブは、たしかにフィリー・ジョーのダイナミックなドラミングに比べると、躍動感には乏しいかもしれない。
しかし、ジャズの何から何までもが「躍動感」を必要とするわけでもないだろう。
スタティックな『カインド・オブ・ブルー』にまでも「躍動感」を持ち込んでしまうと、ひどくバランスの悪い世界になってしまうと私は思うのだが…。

躍動感のある《ソー・ホワット》や《オール・ブルース》を求めるのならば、後年のライブ・バージョンを探せば、いくらでもエネルギッシュで活力溢れる素晴らしい演奏記録が残っているので、そちらのほうに耳を傾ければ良いと思う。

最近、ピッチが修正されたリマスタリング盤が出たので買い直した。
本当に若干だが、従来の音源は、テープの回転速度が若干速かったため、正しい速度に修正された内容となっている。
また、リマスタリングが施されているため、さらに音がより一層クリアになった。
ポール・チェンバースがベースの弦を掻きむしる指が空気を震わす音までがリアルに聴こえてくるのには驚いた。

今まで耳慣れていた『カインド・オブ・ブルー』の曲群が、さらにテンポが遅くなったため、さらに、ゆったりと深い世界に沈みこむことが出来、新たな楽しみが広がったと思う。

(2002/05/26) 


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