LIVE AT THE VILLAGE VANGUARD AGAIN! (Impulse) |
| - John Coltrane |
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John Coltrane (ts,ss,bcl) Pharoah Sanders (ts) Alice Coltrane (p) Jimmy Garrison (b) Rashid Ali (ds) 1966/05/28 |
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死にそうな顔をして、弦をかきむしるジミー・ギャリソンの壮絶なベースソロ。 たしか『コルトレーン・レガシー』というドキュメント映像だったと思うが、《インプレッションズ》という曲の演奏中にはさまれるベースソロコーナーで奏でられるジミー・ギャリソンのベースは壮絶だった。 ピアノもドラムも抜け、ベースの音のみの、文字通りベースソロ。 映像でこの演奏シーンを観ると、音だけでは伝わらない壮絶な行為が現場では行われているのだなということが、まざまざと認識できる。 節くれだった長い指で、苦しそうな顔で顔を歪め、すごい量の汗をしたたらせるジミー・ギャリソン。 紡ぎだされる音とシンクロして「はひ、はひ、はぁ、はぁ」と息の音も漏れ聴こえてくる。こちらまで呼吸が苦しくなってくる迫真の演奏シーンだ。 このままあと5分も続けたら本当に死んじゃうじゃないかと思ってしまうほど。 すごいぞ、ギャリソン、男一匹ベース野郎! そんなエールを送りたくなるほど。 そんな、“死にそうなベースソロ”の片鱗を音で感じ取れるのが、後期コルトレーンの代表作『ライヴ・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード・アゲイン』だ。 コルトレーン生涯の愛奏曲《マイ・フェイバリット・シングズ》の、ベース一台だけによる長いイントロ。 この時期の同曲は、ベースソロが演奏の導入として使われていたので、他のライブ盤(『ライブ・イン・ジャパン』)でも、同様のベースソロを聴くことが出来るが、演奏のバランスから言えば、やはり、この『ライヴ・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード・アゲイン』が良いと思う。 2本の弦を同時に鳴らすダブル・ストップを多用し、しかもそれを高速でかき鳴らすなど、彼の持てるテクニック、いやそれ以上に彼の持つ精神力のすべてが注入された、重い重いベースソロ。 と同時に、期待感も含んだ内容でもある。 そう、彼は《マイ・フェイヴァリット・シングズ》という迷宮の世界に聴き手を誘う道先案内人の役割も果たしているのだ。 「皆さん、これから何かとんでもないことが起きるんですよ」と聴衆にアナウンスするかわりに、彼はベースで独特な空気を作り出し、いつのまにか聴き手の気持ちのモードを次に続く《マイ・フェイヴァリット・シングズ》を受け入れるモードに塗り替えているのだ。 このアルバムに収録されている曲は、イントロのベースソロを独立した1曲としてカウントしなければ、2曲のみ。 コルトレーンが最初の妻にささげた曲《ネイマ》と《マイ・フェイヴァリット・シングズ》だ。 このときのメンバーは、すでに黄金のカルテット時のマッコイもエルヴィンもコルトレーンの元を去り、ピアノがマッコイからアリス・コルトレーンに、ドラムがエルヴィンからラシッド・アリに変わっている。 さらに、もう一本のテナー・サックスに、ファラオ・サンダースが加わるといった編成。 黄金のカルテット時代から引き続き彼のバンドに在籍したのは、ベースのジミー・ギャリソンのみ。 彼は、最後までコルトレーンの“苦行”に付き添った。 《ネイマ》も《マイ・フェイヴァリット・シングズ》も、初演のときの面影はなくなり、混沌に満ちた内容となっている。 ラシッド・アリの叩き出すドラムに、ひたすら重層的な和音を重ねるアリスのピアノ。不定形な心拍運動のようなギャリソンのベース。 黄金のカルテット時の演奏のように、一点に集中して突進してゆく高密度な演奏とは対極の、沸点に達した炉心のエネルギーが、空中にどこまでも拡散してゆくかのようなアンサンブルとなっている。 それは、あたかも彼らの手によって作り出されたサウンドが、この世に放たれたと同時に破壊され、破壊された音塊が天空に向かって拡散、飛翔してゆく様子のようだ。 破壊の先に、見えてるものは…? ちなみに、ジャケットを見ると、ベースのギャリソンさん、隣のコルトレーンの奥さんと手ぇつないでますよ。その隣の旦那はなんだか優しげで嬉しそうな表情。当時のバンド内の人間関係はいかに? |
| (2004/03/17) |
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