SONNY CLARK TRIO (Time) |
| - Sonny Clark |
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Sonny Clark (p) George Duvivier (b) Max Roach (ds) 1960/03/23 |
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ソニー・クラークのピアノの音色をご飯にたとえてみる。 油井正一氏がソニー・クラークを紹介した有名な言葉に「後ろ髪を引かれるような」という形容がある。 このニュアンスを知りたければ、ブルーノート盤の『ソニー・クラーク・トリオ』を聴くと良い。 タイミングをギリギリ後ろまで引っ張り、丸っこく粘りのある音色を転がしてゆくクラークは、お米で言うと日本の米そのもの。 ササニシキやコシヒカリのように、ふっくらと水分をたっぷり含んだ粘りとコクのある味わいだ。 これはブルーノートの録音のせいもあるのかもしれないが、いずれにせよ、まろやかで腰のあるピアノだ。 いっぽう、タイム盤のクラークのピアノはどうだろう? タイ米だ。 余分な水分を含まず、どちからというとパサパサしている。 だから、香辛料や油がさっと通りやすく、米単体の味わいというよりは、それに付随する食材や調味料と一体化して、ひとつの料理としての味と体をなす。 ジョージ・デュビビエのベースと、マックス・ローチのドラムと一丸になって突進してゆくクラークのピアノは、かなりアグレッシヴ。 後ろ髪引くどころか、前髪つかんで前へ前へと突進してゆくようだ。 フレージングや独特のフレーズを形成する粘りの要素はクラークそのものだが、ノリもドライブ感もブルーノート盤のトリオと比較すると、本当に同じピアニストなの? というぐらい違う。 とにかくタイム盤のほうは、ノリ、ドライヴ感がブルーノートのものとは異質。 この肌触りの違いはレーベルカラーの違いもあるかもしれないし、オリジナル曲中心かスタンダード中心かの選曲の違いもあるかもしれない。 しかし、両者はまぎれもなくクラークそのもの。 どちらもクラークの個性だし、レーベルによってスポットを当てるポイントがこうも違うというところが興味深く面白い。 この違いを先日、「高野 雲の快楽ジャズ通信」の放送中にブルーノート盤とタイム盤を立て続けにかける実験をしてみたことがある。 番組ゲストにお呼びしたのは、ハードバップの旨みを見つけ出す達人でジャズライターの阿部等さん。 私がブルーノートの『ソニー・クラーク・トリオ』から《朝日のように爽やかに》を選曲し、阿部さんはタイム盤の『ソニー・クラーク・トリオ』から《ソニア》を選曲した。 まずはブルーノート盤のトリオをかけ、終了したらすぐにタイム盤をかける。 トツトツと丸っこいピアノの音が転がりゆくブルーノート盤のクラークのピアノに対して、やはりタイム盤のクラークのピアノはゴールに向かって疾走するかのごとく前のめりだった。 明朗快活なメロディを奏でる右手は一点の迷いもなしにフレーズを紡ぎあげてゆく。 ブルーノート盤が曇り空のピアノだとすると、タイム盤は雲ひとつない秋の青空。 ブルーノート盤が失恋気分のピアノだとすると、タイム盤はふっきれたようなピアノ。 録音時期の違いはたったの3年。 この3年の間にクラークには一体なにがあったのだろう? と阿部さんはしきりに首をかしげていたが、それほどまでに同一人物が弾いているピアノとは思えないのだ。 それにしても《ソニア》はいい曲だ。そして、いい演奏だ。 クラーク奏でる左手の和音も「ガン!」とかなりアタックが強く、強力なドライブ感を生み出している。 これに、シャープで繊細なマックス・ローチのドラムが覆いかぶさるのだから、心地よいったらありゃしない。 しかし、前向きな「陽」のエネルギーを放つ演奏にもかかわらず、なぜか私はこの曲を聴くたびに妙な切なさも感じてしまう。なぜだろう? あまりに透明でピュアなピアノだからなのだろうか? 陰の《マイナー・ミーティング》ではじまり、陽の《ソニア》で幕をとじるタイム盤。演奏のみならず選曲のセンスも素晴らしいアルバムなのだ。 さて、あなたはブルーノート派? タイム派? 私? しいていえば、タイム派かな。 |
| (2009/02/28) (加筆修正:2009/12/02) |
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