OLE (Atlantic) |
| - John Coltrane |
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John Coltrane (ss,ts) Freddie Hubbard (tp) George Lane(Eric Dolphy) (fl,as) McCoy Tyner (p) Reggie Workman (b) Art Davis (b) Elvin Johns (ds) 1961/05/25 |
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わが家で一番かけているコルトレーンかもしれない。 特別に強い思い入れのあるアルバムというわけではないのだが、思い入れが少ないからこそ、むしろ気軽に流せる。 サウンドの湯加減が絶妙だからこそ、日常的に聴ける。 熱過ぎるというわけでもなく、かといってヌルい肌触りでもない。 刺激的な内容には違いないが、1度聴いたらしばらくは御免被りたいと思うほど強烈なインパクトを有しているわけでもない。 タイトル曲の《オレ!》。 演奏時間は長いが、執拗に繰り返されるバッキングのパターンが、軽い瞑想状態に誘う。 反復を繰り返し、曲のトーンを決定する一定のリズム・パターンはピアノが担う。マッコイ・タイナーだ。 彼による和音の反復が、この演奏の屋台骨をなす。 2台によるベースは、リズムフィギュアを強調するというよりも、むしろ、ピアノのリフレインに色を沿え、低音域を補強する役目を担っている。 2人のベーシストが、ときにアルコ、ときにピチカートで奏でる二つの低音は、ときに交錯し、ときに反目しあい、ときに寄り添いあう。 これら異なるリズムの刻みは、この演奏が単調に陥らないためのアクセントとして機能するに充分だ。 さらに、反復による単調さを払拭するは、エルヴィン・ジョーンズのダイナミックなドラミング。 彼のこのドラムこそが単調に陥りがちな曲の構造に生命の息吹きを吹き込んでいる。 もっとも、彼の実力でいえば、60%ほどにセーブされたドラミングではあるが、それでも躍動感は充分にある。 必要以上に強烈に叩きすぎて演奏をブチ壊しにするよりは、ギアをロウに落とすかわりに、馬力を持続させるモードをキープしてくれたほうが、頼もしい。 重層的な響きを有する和音の反復をキャンバスがわりにし、ソロ奏者は各人自由にストーリーよりも空間に絵を描く感覚でアドリブをとるタイプの典型的なモード曲、《オレ!》。 ソロ奏者がつまらないと、演奏はひどく退屈になる危険性を秘め、リズムや和声に工夫やアクセントがないと、ひどく散漫な演奏に陥るという2重の危険性を秘めた曲構造ではある(もっとも、これはこの曲に限らず、多くのモード曲にもそれが当てはまるが…)。 しかし、先述したベース2台を配するといった布陣の妙と、エルヴィン、マッコイの奮闘により、まずは、単調な内容にはなっていない。 加えて、コルトレーンのソロも、演奏が向かうべき方向性が非常に明確で分かりやすい内容のため、長尺だが、飽きのこないソロ展開となっている。 くわえて、ジョージ・レーンという偽名で参加しているエリック・ドルフィーのフルートも、演奏にエスニックなテイストを盛り込むことに成功し、《オレ!》を彩っている。 後期になればなるほど、コルトレーンのサウンドは音と音の密度が濃くなってくるが、まだこの時期のトレーンは激しすぎない演奏内容。 加えて、バップのイディオムから抜け出し、モードの領域に突入した初期の演奏のような迷いや煮えきれなさも感じられず(たとえば『マイ・フェイヴァリット・シングズ』あたり)、自信に満ちた吹奏を繰り広げているので、好感が持てる。 『オレ!』を最後に、コルトレーンはアトランティックから離れ、インパルスに移籍する。 今後、より一層の凄みを増してゆくコルトレーン・ミュージック。 このアルバムを聴いていると、既に、モード奏法やリズム展開に関しての手ごたえを自分の中で確かに掴んたぞ!という彼の確信が感じられる。 タイトル曲以外では、《アイシャ》が良い。 コルトレーンのベターっとした重くて甘いスローテンポでの吹奏は、スタンダード・ナンバーよりも、このようなモーダルなバラードが相応しい。 叙情的ではあるが、比較的あっさり目な曲調だからこそ、彼がスローテンポの演奏で見せる、ベトついた甘い吹奏が生きてくるのだ。 モード風のフレバーをまぶしたブルース、《ダホメイ・ダンス》も普通に聴けるナンバー。 ラストのソロ奏者が短いフレーズを次々と交換してゆくバラードも良い。 タイプの違う4曲がバランス良くまとまった、聴きやすいアルバムが『オレ!』だ。 エリック・ドルフィーの参加がこのアルバムの価値を高めているかのようなレビューも見かけるが、正直、これに関しては疑問。 ここでのエリック・ドルフィーは、たしかに多彩な音色を提供するという意味ではアンサンブルに貢献してはいるかもしれないが、とりたてて素晴らしいプレイをしているとは思いがたい。 かといってダメなプレイをしているということを言いたいんじゃないよ。 いちバンドメンバーとして、リーダーの要望通りのプレイこなしてはいるが、それ以上のイマジナティヴさは、分を弁えてか、ここでは発揮していない。 凄いドルフィーは、他でいくらでも聴くことが出来る。 ドルフィーではなく、あくまでコルトレーンを聴くアルバムなのだ。 |
| (2005/04/01) |
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