MY FAVORITE THINGS (Atlantic)
- John Coltrane

  1. My Fovorite Things
  2. Everytime We Say Goodbye
  3. Summer Time
  4. But Not For Me

John Coltrane(ss,ts)
McCoy Tyner(p)
Steve Davis(b)
Elvin Jones(ds)

1960/10/21 #1
1960/10/24 #3
1960/10/26 #2,4


このアルバムの聴き方、私の場合。

1曲目は聴かない。飛ばす。
耳タコだからというのが、理由その1。
それに、《マイ・フェイヴァリット・シングズ》が聴きたければ、『セルフレスネス』のほうを聴く。こちらの演奏のほうが圧倒的に素晴らしいと思っているからだ。
これが理由その2。

1曲目は飛ばして、2曲目から聴く。
2曲目は大好きだ。
《エブリタイム・ウィ・セイ・グッドバイ》という名曲だ。
コール・ポーターの曲だ。
うーん、なんて良い曲なんだ。
そう、曲が良いのだ。アドリブが良いというわけではない。というよりも、それ以前にコルトレーンはアドリブを吹いていない。テーマのみをソプラノ・サックスで吹いている。
丁寧に、一音一音を慈しむように吹いている。
この真摯な姿勢に心打たれる。
演奏全体を通して、ドクン、ドクンと脈打つようなスティーヴ・デイビスの太いベースも良い効果を出している。

テーマを吹き終わった時点で、マッコイ・タイナーのピアノへバトン・タッチ。
マッコイのピアノ・ソロが素晴らしい。
幼い頃の記憶がやわらかな残像とともに甦ってくるような、そんな優雅で、そしてどこまでも優しいピアノには、いつも目頭が熱くなる。
マッコイのピアノも、テーマの美しいメロディから大きく逸脱することはなく、しきりにテーマの旋律の断片を匂わせながらのソロだ。
そして、この手法は正解。
イジワルな見方をすると、まだまだ曲を消化しきっていないとも取れるが、ここでは、原曲の持ち味を大切にしたアプローチなのだと好意的に解釈したい。
元より、素晴らしいメロディの曲なのだから、なにも無理して大きく崩す必要など端からないのだ。
リズムも倍テンポになり、演奏が一層華やぐ。
ひらひらとピアノの旋律が宙を舞う。
至福の一時だ。

マッコイのピアノ・ソロで夢見心地になり、ほど良いタイミングで、コルトレーンのソプラノが上に覆い被さるような感じでテーマに戻る。
ラストのテーマを吹くコルトレーン。
美しいメロディを、大事に大事に吹くコルトレーン。
そして、甘美な余韻を残しつつ演奏が終わる。

いや、余韻に浸っている場合ではない。
レコードならば、ここでA面が終了し、静寂が訪れるのだが、私が聴いているのはCDなのだ。
急いでボリュームを下げないと、3曲目の《サマータイム》が始まってしまう。

《エブリタイム・ウィ・セイ・グッパイ》の余韻を引きずっている状態の中に、いきなりコルトレーンのデリカシーの無い「ぱ〜や・やぁ〜」は、かなりキツイ。
前曲のムードとのあまりのギャップに唖然とする。ブチ壊しと言ってもよい。

私は、このコルトレーンの冒頭の「ぱ〜や・やぁ〜」がどうしても好きになれないので、この曲は飛ばすことが多い。いや、ほとんど飛ばしている。
10回に1回ぐらいは飛ばさないでキチンと聴くこともあるが、やっぱりどうしても好きになれる演奏じゃない。
いや、演奏自体は躍動感があって、アグレッシブなので悪くはないが、それでも、「う〜む」だ。
なんだか、ひたすら音を詰め込むことだけに余念の無い演奏のどこが《サマータイム》なんじゃい、とも思う。
もちろん彼の「シーツ・オブ・サウンド」が悪いと言っているわけではない。しかし、猫も杓子も「シーツ・ オブ・サウンド」もないだろうと思うのだ。
ケース・バイ・ケース、TPOという言葉があるではないか。
マッコイのピアノ・ソロも閃きが感じられないまま、ズルズルと必要以上に長い気がするし。
だから、この曲は飛ばす。10回に9回は飛ばす。

ラストの《バット・ノット・フォー・ミー》も、マイルスの同曲の演奏に聴き慣れてしまった耳には、ちょっとツラいところがある。
特にテーマ。
アンサンブルの処理には凝ったところも垣間見れるが、なんか、ただ吹いているだけという感じがして、あまり元の曲をリスペクトしている感じが伝わってこない。
アドリブも凝縮した音符を一気に吐き出す「シーツ・オブ・サウンド」の瞬間もあってスゴイと思うが、いまいちピンとこないまま演奏が終わってしまう。
もっとも、その前の《サマー・タイム》よりは幾分かマシな気もするが……。

そう考えると、このアルバム4曲のうち、私が熱心に聴くのって、《エブリタイム・ウィ・セイ・グッパイ》ただ一曲だけか…。
うーん、偏り過ぎ。

しかし、とって付けたようなフォローだが、1曲目もたまには聴く。
コルトレーンのソプラノを聴くためではない。
この《マイ・フェイバリット・シングズ》の初演のコルトレーンのソプラノ・サックスは慎重すぎる。恐る恐る吹いているように感じる。躍動感が無い。ほぐれていない。固い。
本人はいろいろなことを考えながら吹いているのだろうが、聴くほうからしてみると、単なる「棒吹き」にさえ聞こえてくる。もっとも、そこがたまらんという人も多いのだろうが…。

何が良いのかというと、マッコイの長いピアノソロだ。
このマッコイのピアノも後年に何度も演奏される《マイ・フェイバリット・シングズ》のピアノソロと比較すると、かなり控えめな内容で、若干の固さが残るものの、優雅で美しい世界を築き上げている。
エルヴィン・ジョーンズのドラムも気持ちの良いポリリズムを叩きだしているので、若干引っ込んで聴こえる録音なものの、ドラムだけを追いかけて聴いても退屈はしない。

改めて読み返してみると、私はこのアルバムに関しては、かなり偏った接し方をしていることに今さらながら気がついた。
今さら気付くな、だが……。

(2002/04/14) 

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