JAZZ IMMORTAL (Columbia) |
| - Charlie Christian |
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Charlie Christian (g) Joe Guy (tp) Thelonious Monk (p) Nick Fenton (b) Kenny Clarke (ds) 1941/05月 at the Minton's Play House |
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たとえば、パーカーにしろ、パウエルにしろ、スタイルを築き上げた者の表現というのは、一言で言ってしまうと “強い”。 当然、その強さは、多くの聴衆の心を揺さぶるゆえ、彼らに憧れ、彼らのスタイルを模倣する後輩たちが続出するわけで、それが世に言われる「パーカー派」、「パウエル派」っていうやつなんだけれども、面白いことに、パーカーを超えた「パーカー派」はいないし、パウエルを凌駕した「パウエル派」は一人としていない。 後に続く者のほうが、“後だしジャンケン”的に、先輩のスタイルの研究や洗練の余地がたっぷりあるはずなのに、いや、実際、彼らは研究・洗練はさせているのだけれども、最終的な“音の力”そのものには、先輩パーカー、パウエルには遠くおよばなかった、というのが正確なところだろう。 そいうえば、「チャーリー・クリスチャン派」のギタリストって聞いたことがない。 パッと思い浮かぶとしたら、バーニー・ケッセルぐらいか? ウエス・モンゴメリーもクリスチャンも、デビュー前は、クリスチャンの耳コピーばっかりやっていたそうだから、「クリスチャン派」なのだろうけれども、そのように分類されているのは聞いたこともない。 もしかしたら、クリスチャン以降のすべてのギタリストは、多かれ少なかれ、なんらかの形で、クリスチャンの影響を受けているゆえ、あえて「クリスチャン派」という分類は必要ないのかもしれない。 そして面白いことに、「パウエル派」のピアニスト、「パーカー派」のサックス奏者と同様、後続のギタリストのスタイルや語法は洗練されているのかもしれないが、「音の強さ」においては、クリスチャンを超えるギタリストは皆無なんじゃないか、とすら思うのだ。 日夜繰り広げられていた、ミントンズでのジャムセッション。この模様は、プライベートに録音されたていた。その音源が、『ミントン・ハウスのチャーリー・クリスチャン』だ。 邦題は『ミントン・ハウスのチャーリー・クリスチャン』で親しまれているこのアルバムだが、最近では『アフター・アワーズ』というタイトルで出ている盤もある。 レコーディングのストライキゆえ、当時のめまぐるしく変わり行くジャズシーンの状況をうかがい知ることが出来なかったことも手伝い、大袈裟に言えば、この録音は、ジャズの歴史のミッシングリンクでもある。 そのような予備知識を持ってしまうと、これを聴くたびに、なんだか、歴史の裏舞台をこっそりと覗き見しているような興奮に襲われるから面白い。 私家録音ゆえ、あまり上等とはいえない音質の演奏だが、そこからは、弾けるように、力強く、雄弁なチャーリー・クリスチャンのギターが、時代を超えて私の耳を直撃する。 圧倒的な音の存在感、抜きん出た表現力、というのはこのことを言うのだ。 ジャズ史的にも、もちろん貴重な記録でもあるが、スタイルの新旧や奏法云々といったことなど考えるのがバカらしくなるほど、クリスチャンのギターの波動は太く力強い。 この骨太なギターの一音一音を聴けば、ハードロックのギターですら、腰の抜けた腑抜けた音に思えてくるから不思議だ。クリスチャンに比べると、音の肝の据わり方が全然違うんだよね。 《スウィング・トゥ・バップ》、《ストンピン・アット・ザ・サヴォイ》。 まるで、目の前で鳴っているかのように、リアルで強靭なクリスチャンのギターは、時代を超えて聴く者を圧倒しつづけるのだ。 |
| (2006/04/11) |
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最初から最後まで口ずさめるアドリヴ旋律ってありますか? もっとも、口ずさめるたからといっても、エラくもなんともないし、「オレは(フレーズを暗記するほど)こんなに聴き込んでいるんだぞ!」と、自分の“好き度自慢”のバロメーター程度にしかならないのだが。 それでも、あえて「オレはこんなに聞いたぞ」といった“回数自慢”をさせていただきますと、《スイング・トゥ・バップ》という曲(演奏)のチャーリー・クリスチャンのギターソロのフレーズは、私、最初から最後まで口ずさめる、というか覚えています、というか、覚えてしまうほど聴きこんでました。 わ、“好き度自慢”だ(笑) とにかく、このアルバム、いや、この演奏はよく聴いたこと、聴いたこと。 学生時代の夏休みに3週間ほどテネシーにいたことがあるのだが、そのときのウォークマン用のテープとして持っていたテープ数本のうちの一本が『ミントンズ・ハウスのチャーリー・クリスチャン』だったのだ。 暑く埃っぽい日差しの中、あるいは、バドワイザーやジャックダニエルでクラクラになった状態でベッドに倒れこみ、耳につっこんだイヤホンの中から流れていたのは、いつもチャーリー・クリスチャンの線の太くてエモーショナルなギターだったのだ。 気候と、そのときの私の気分と、音楽がピッタリと一致していたのだと思う。なんだか、日本で聴くよりも、あっさりと当たり前のように脳の中に入ってきて気持ちよかったね。 当時の私はジャズに入門したてだったゆえ、「ビ・バップ胎動期の貴重な記録」といったような予備知識などは無いままま、ただただ緊張感あふれる雰囲気とリズムなわりには、軽快にのりまくって、次から次へと“分かりやすいギター”を奏でまくるクリスチャンのギターに酔い痴れていた。 《スイング・トゥ・バップ》はもちろんのこと、ちょっとダレ気味な演奏が、クリスチャンのギターソロがはいった途端、キビキビとした演奏によみがえる《サヴォイでストンプ》も最高だ。 評論家の岩浪洋三は、この曲のアドリブにディジー・ガレスピー作曲の《ソルト・ピーナッツ》の曲の原型が奏でられているから、《スイング・トゥ・バップ》より《サヴォイでストンプ》のほうが重要曲なのだということをさまざまな本に書いている。 しかし、私からしてみれば、「へぇ、そうなんですか。だから?」って感じ。 たまたまたクリスチャンがアドリヴで奏でたフレーズを、その場にいたガレスピーが覚えていて、《アイ・ガット・リズム》という曲のコード進行にこのメロディの断片をのっけて、さらに歌詞をつけて《ソルト・ピーナッツ》という曲を世間に発表したのだという証拠や確証や彼自信の言葉が残っているのならば、ガレスピーの曲のメロディの一部はチャーリー・クリスチャンの影響によるものだという論も成立するのかもしれない。 しかし、ちょっとしたフレーズの相似というのは、ジャムセッションではよくあることだし(しかも、指摘されているフレーズは、ファと1オクターブ上のファというたった2音の組み合わせだけだ)、“クリスチャン→ガレスピー”の影響に関しての具体的な記述のない曖昧とした論拠のまま、「重要曲」とされる意味が私にはよく分からない。 推測だが、軽い気持ちで《スイング・トゥ・バップ》を良しとする世評に石を投げてみたかっただけなのかもしれない。 ま、私にしてみれば、両方とも演奏が良いんだから、どっちが重要ということなんて、どうでもいいことなんだけどね。 強いていえば、どちらも重要。だって、後述するけど、両録音とも貴重な記録なわけなのだから。 さて、話をクリスチャンの音楽の内容そのものに戻そう。 クリスチャンのギターは、フレーズの一つ一つがとてもハッキリしていると思う。 私のような者でも口ずさめるほどのアドリブラインなのは、きっと音の一音一音に明確な“オレはこう弾くのだ”という主張があるからなのだろう。 とても線が太く、歌心とアイディアに溢れ、ノリの良いギター。 後年、ジャズギターの巨人として登場したウエス・モンゴメリーも彼のコピーばかりをしていたというのも頷ける話だ。 あと、バーニー・ケッセルもクリスチャンを尊敬していることで有名なギタリストですね。 きっと、ビ・バップの黎明期じゃなく、別の時代に生まれてギターを手にしていても、チャーリー・クリスチャンは表現力豊かなギタリストとして脚光を浴びたに違いない。 素晴らしい表現、太くてエモーショナルな表現には、時代やスタイルは関係ないのだなと思う。 音に封じ込められた“表現の力”は、時代が流れてもいつだって不変に人の心を揺さぶるのだ。 ところで、読者の皆様、あけましておめでとうございます。本年も良い年でありますように。 そして、この【Jazz Magazine】《ジャズのメールマガジン》も宜しくお願いいたします。 間違っても解除しないように(笑)。 今年の目標は、メルマガだけではなくジャズの“本”あるいは“雑誌”あるいは“ムック”にもっともっと執筆したいですね。 今のところ、3月に発売予定の『JAZZ“名演”入門!』(宝島社)という本への執筆の依頼はきそうですので、この本が発売された際には是非是非お手にとってごらんになってください(ついでに買ってください)。 ところで、今、《スイング・トゥ・バップ》を聴いていて思いついたんですけど、お正月にチャーリー・クリスチャンって合うと思いませんか?(え?合わない?) ♪お節もカレーもいいけど、チャーリー・クリスチャンもね、 ってな感じじゃありませんか?(え?ならない?) ちなみに、この“お節もいいけど〜”はハウスのCMのフレーズで、私が子供の頃からこのシーズンになると流れていますね。この”刷り込み”が効いてしまっているのか、なんだか正月のお節料理に飽きて「あ〜、お節以外の食い物食いてぇなぁ」と思ったときに真っ先に浮かんでしまう食べ物カレーなんですよね。 昨日の私、作ってしまいましたよ、カレー。 ルーはハウスじゃないけどさ(笑)。 でも、正月にカレーを食わせちまうという食習慣を、定着とまではいかないが、正月の食事の“選択肢の提案”として、ある程度日本人の頭の中への刷り込んでしまっているんじゃないでしょうか、ハウスは。 クリスマスにケーキを食べる国民って日本人だけなんですってね。 これって、不二家の戦略。バレンタインにチョコをあげるってのもそうですね。 これは、もう国民の習慣・共通認識になってしまっているので、不二家、恐るべし。 クリスマスといえば、サンタクロース。 サンタクロースといえば、赤い衣装に豊満な体格ににこやかな笑顔。 でも、この“恰幅の良い立派なおじいさん”なイメージ作りを浸透させたのは、コカ・コーラなんですってね。いやはや、恐るべし。 えーと、何の話だったっけ。あ、チャーリー・クリスチャンだった。 チャーリー・クリスチャンの話に戻りましょう。 ここからは、おそらくジャズ・ファンの多くの方はご存知なことばかりを書きますので、特にチャーリー・クリスチャン・ファンの方は、以下に書かれたことは読み飛ばしていただいても構いません。 と、書くと、一番読み飛ばさずに読むのは、チャーリー・クリスチャン・ファンなんだよね(笑)。 気になるものの情報って重複してもいいから、いくらでも読みたくなるものなんです。 だから、売れている車を特集しているクルマ雑誌が売れるのはそのため。 要するに、みんな自分が買ったクルマがどういう書かれ方をされ、どういう評価を受けているかが気になるわけなんですよね。 すでに言い古された情報、重複している情報でも構わないんです。ケナされていなければ(笑)。 褒める趣旨の特集だったら、何度でも褒めの上塗りでもいいわけ。 だって、高いお金だして買った自分のクルマなんだもの、何度褒められても悪い気はしないじゃないですか。 “オレ様の選択に間違いがなかった!” と、高い買い物をしたことに対しての“気持ちの後押し”が欲しいわけですよ、誰でも。 それに、同じ内容でも言い回しの違いというのもあるし、もしかしたら、1つや2つぐらい新しい情報があるかもしれない。 あ、また脱線してしまった。 えーと、チャーリー・クリスチャンでしたね。 彼は、なぜジャズの世界では、ろくに聴いたことも無いくせに名前だけは知っている人間が多いのかというと、先述したウエスやケッセルのようなギターのビッグネームが尊敬しているギタリストだということも勿論あるが、業績面から見ると、彼はエレキ・ギターのパイオニアだから。 なにを開拓したかというと、奏法。 ジャズギターの奏法に革新をもたらしたのだ。 どういう革新かというと、リズム楽器のギターの役割をメロディ楽器にもなるんだということを知らしめたから。 なんだ、当たり前なことじゃん、なんて言わないでね。 当時、つまり1940年前後のジャズのギターの役どころというのは、 ♪ジャッ・ジャッ・ジャッ・ジャッ! と、ベースと一緒にコードを押さえながらリズムを刻むための楽器だったのだから。 カウント・ベイシー楽団のフレディ・グリーンの♪ジャッ・ジャッを思い浮かべた人、正解!そうそう、それこそが、当時のギターの役どころだったわけです。 オクラホマ出身のクリスチャン、彼はニューヨークに出てくる前から、エレキ・ギターを弾いていたそうだ。 アン・トレント楽団を経て、ベニー・グッドマン楽団へ。 おそらく、これらの楽団のキャリアを通じて、管楽器の“歌わせ方”の影響を受けたのかもしれない。 ギターの音を増幅して大きい音を出すという発想、そして、実際、マイクで音を拾ったギターから大きな音を出すという技術的なアイディアは、チャーリー・クリスチャン当人のものではないらしい。 しかし、重要なのは、このテクノロジーの進化にいち早く対応した音楽のアイディアを実現したこと。 ただ実現しただけではなく(それだけだと、機材に振り回されただけの音楽になってしまう)、きちんと聞かせられる内容、いや、それ以上に誰もが感嘆するほど素晴らしい内容の音楽を奏でたということがスゴイのだ。 先述したが、チャーリー・クリスチャンの“表現の力”が並外れてすごかったから、新しいテクノロジーによる新しい奏法が後世に定着したのだといえる。 そこのところがよく混同されがちなので、改めて言っておくと、音楽の世界では、単なるアイディアマンなだけの音楽は時代を超えて人の心は揺さぶらないと思う。 たとえば、バド・パウエルの音楽。 たしかに、彼は、
たとえ、アイディアが素晴らしくとも、肝心の音楽の内容がつまらなければ、単なる“アイディア倒れ”の音楽で終わっていたわけで。 だって、もしパウエルの音楽がつまらなければ、上記の要素はすべてマイナスに転じてしまうわけだからね。「なんだ、省エネの怠け者の音楽じゃないか。ペダルも使わない、左手もあまり使わない。右手はシングルトーンばかり。これじゃピアノの性能を全然活用してないよ」となるのがオチですからね。 これとまったく同じニュアンスで、チャーリー・クリスチャンは評価されるべきだと思う。 奏法上のアイディア、革新者としてももちろんだが、もっと基本的なこととして、単純に“彼のギターは素晴らしい”という点から出発しないと、大事なことを見逃してしまう。 たとえ、彼がこの時代に生まれていなくとも、遅かれ早かれ誰かがギターの音を増幅した音楽を初めていたことだろう。 しかし、クリスチャンほど、後世の人間の心を揺さぶるほど、深くてエモーショナルな音楽を奏でていたかというと、それは疑問だ。 『ミントンズ・ハウスのチャーリー・クリスチャン』は、まだテープレコーダーの無かった時代に、携帯用のディスクレコーダーで録音された音源だ。 なにが貴重なのかというと、一言で言うと稀少性。 この時期のアメリカはレコーディングのストライキで、当時のジャズの録音がなされていなかったため、スイングスタイルからバップスタイルへとスタイルが移行する過程の記録がほとんど残っていなかったのだ。 そういう時期に、スイングの面影を引きずりつつも、なにやら新しいスタイルの音楽の胎動が認められる音楽が夜な夜なハーレムのミントンズでジャムセッションとして行われ、そのときの記録が残っていたということが、このアルバムの一番の価値なのだ。 そういった意味では、チャーリー・クリスチャンのプレイはもちろんのこと、ディジー・ガレスピーをはじめとするほかのジャズマンのプレイも興味深く、かつ、貴重だといえる。 さらに、彼の活動中、音源として記録が残っているのは、ほんの3年の間のみ。 クリスチャンは、25歳でこの世を去っているのだ。 そうした数少ない音源の中、生き生きとしたクリスチャンのギターを楽しめるといった点でも貴重だ。 もっとも、クリスチャンの参加していな曲もあり、それはそれで、スイングとバップの香りが入り混じったテイストの演奏を楽しめる。 たる〜い感じが気持ちの良い《スターダスト》なんて、温泉に浸かっているようで、いい気分。 |
| (2004/01/03) |
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