AT THE GOLDEN CIRCLE vol.1 (Blue Note)
- Ornette Coleman

  1. Faces And Places
  2. European Echoes
  3. Dee Dee
  4. Dawn

Ornette Coleman (as)
David Izenzon (b)
Charles Moffett (ds)

Recorded at the "Golden Circle" in Stockholm,Sweden
1965/12/03-04


乱暴なことを言ってしまえば、ジャズのアドリブなんて結局、演奏者の好き勝手な「お喋り」なわけで、その「喋り」の内容が面白いか、つまらないか、興味深いか、感動するかしないかに尽きるのだと思う。

このジャズマンの「喋り方」に個性が出てくるわけで、この喋りの特徴によって我々は好きになったり嫌いになったりするのだろう。

コルトレーンのように、長々と膨大な量の言葉を話すタイプもいれば、マイルスのように、要点を抑えてピリッと話す人もいる。
ハンク・モブレイのように、語り口がまろやかで暖かな口調の人もいれば、言葉の端々から滲み出てくる「訛り」が魅力的なマクリーンのような人もいる。
また、聴いている人の存在などお構いなしに、素晴らしい喋りをするバド・パウエルのように天才肌の人もいるし、セロニアス・モンクのように、誰もが知っている話題を彼にしか出来ない脚色を加えて話す人もいる。

様々なジャズマンが、いろいろな語り口で語るが、語るにあたっては、お題目がある。
お題目とは、すなわち曲だ。
「恋とはなんでしょう?」と語るジャズマン、「チュニジアの夜」について語るジャズマン、「ニューヨークの秋」について語るジャズマン…。

「桃太郎」や「浦島太郎」のように、誰もがストーリーもオチも知っている話(スタンダード)は、いかに面白く語るか、いかに自分の色を出して語るかがポイントだ。
また、自分でオリジナルのストーリーを作って語るジャズマンもいる(自作曲の演奏)。
また、ビ・バップで盛んだった方法の一つに、「桃太郎(アイ・ガット・リズム)」と「浦島太郎(ハニー・サックル・ローズ)」のストーリー(コード進行)を合体させて、まったく別の、オリジナルよりも数段エキ サイティングな話を語るジャズマンもいる。
話の内容そのものよりも、昂奮した熱い語り口に聴衆が熱狂する場合もある。

いずれにしても、ジャズマンが「喋る」うえで大事なのは「お題目」で、「お題目」が無いと、いくら優れた話術を持っていても、必ずしも面白い話を語れるとは限らない。
誰もがそうだが、ある程度の制約があったほうが、表現はしやすい。

たとえばだが、「なんでもいいから、話してごらん。」と言われても、大概の人は戸惑ってしまうのではないだろうか?
「時間は5分ぐらい。その間、何についても話してもいいよ。ただし面白くなきゃダメだよ。話を聞く人の心を打つ話がいいね。」
そんなことを頼まれて期待に添えるような話をすることは、中々難しいことだ。

さきほどから、ジャズマンの「語り」を例にあげて長々と書いているが、もう皆さんお気付きの通り、
「お題目」とは「曲」のこと、
「ストーリー」とは「コード進行」のこと、
「語り」とは「テーマ・アドリブ」のことを指している。

コード進行や、その曲のキーを題材に、ジャズマンは面白い話を組み立ててゆく。
コード進行は、すなわち、話の起伏、ポイントとなる箇所だ。
「桃太郎」のストーリーにおいては、かならず「川で大きな桃が流れてくる」し、「桃から赤ん坊が誕生する」し、「鬼が島に鬼退治に行く」という話の要点には変わりがない。
面白おかしく脚色したり、語り口や言い回しをアレンジすることは、語り手の創意工夫やセンスに委ねられるわけだが、ストーリーの進行(コード進行)は、通常変えられない。
だから、「面白い・つまらない」は別としても、この要点さえ踏まえて話せば、誰もが一応は「桃太郎」というストーリー(曲)は語れる(演奏できる)わけだ。
もちろん言葉を話せる(楽器を操れる)ということが大前提だが。

この制約をもう少し取り払ったのが、モード奏法とでも言うべきか。
曲中のコードの数が著しく減るので、制約が少なくなってしまった分、演奏者のセンスがより一層求められる結果となる。
なにしろ、桃太郎と鬼とおじいさんとおばあさん、それに犬とサルとキジさえ登場させれば、どんなストーリーを組み立ててもよくなるわけだから。
「川で大きな桃が流れて」こなくてもいいし、「桃から赤ん坊が誕生」しなくてもいいし、「鬼が島に鬼退治に行く」内容にしなくても良いのだ。
登場人物(スケール)さえ抑えておけば、何を話そうが(演奏しようが)、それは語り手の自由。
そう、ストーリー(コード進行)というルールが無くなった分、自由度が増すのだ。
ただし、自由度が増えたからといって、面白い話を作り出せるかどうかは別問題で、むしろ制約が取り払われた分、聞き手を感動させる語り(演奏)は難しくなる可能性が高い。

現在私は『カインド・オブ・ブルー』についての原稿も現在書いていて(長くなりそうです…)、参考までに、いくつかの「ジャズのアルバム紹介サイト」をめぐってみたのだが、

「このアルバムは、モード奏法を取り入れたから名盤です。」

といった紹介をされているサイトがいくつもあったので、空いた口がふさがらなかった。
言うまでもなく、モードという「手法」が素晴らしいわけではない。
マイルス以下、エヴァンス、コルトレーン、キャノンボールらの演奏と、演奏全体から醸し出る雰囲気が素晴らしいから、『カインド・オブ・ブルー』は不朽の名盤なわけで、「モード奏法」だから名盤なわけでは断じてない。
「モード奏法」で演奏すると「名盤」になるのなら、この世は名盤だらけになってしまうではないか。

そして、先述したとおり、モード奏法は自由度が高いゆえ、演奏者には高度なレベルのセンスが求められるわけで、モードで演奏したからといって名演が自動的に生まれるわけではない。いや、むしろ名演と評価されるに値する演奏を生み出すためのハードルが高くなるのではないか。

「コード進行の呪縛から開放され、スケールに基づくアドリブを展開するモード奏法を取り入れたことによって、従来よりもアドリブの自由度が増した。」

これって、どのジャズ本にも、どのジャズ紹介サイトでも紹介されている頻度の高い紹介文だ。
たしかにその通り。間違いではない。
ただ、「ラクにアドリブを取れる魔法の方法」というニュアンスで受け取られる可能性はある。
言うまでもなく、自由度が増した分、演奏者に求められるセンスの割合が増えるので、アドリブを取るのは決してラクにはならないし、むしろ大変になるということは先述したとおり。

いつだって大事なのは、演奏の「方法」ではなく、中身、そう演奏の内容なのだ。
「方法」が新しかったり、斬新だからといって、音楽そのものが優れているとは限らない。
こんな当たり前な事実を「モードを取り入れたから名盤だ」と書いている人は見逃がしているのだろうか?
あるいは、生半可な理解のまま、ジャズ本やライナー・ノーツを書き写しているだけなのかもしれない。

話がそれた。
制約が取り払われることによる表現の難しさ、だった。
コード進行が取り払われ、スケールに基づいたアドリブを取る「モード奏法」。
さらに、コードもスケールも取り払われてしまったら、いったいどうなるのか。
要するに「フリージャズ」ということになるのだが、「フリージャズ奏法」という、奏法上の考えを定義づけるものは無いので、ここでは「オーネット・コールマンの音楽」ということで考えてみる。

一口にフリージャズといっても、ジャズマンによって表現方法は千差万別。
コード進行が無くなり、メロディが「フリー」なものもあれば、リズムまでもが自由なものもあるからだ。
また、リズムやメロディに対しては「フリー」でも、演奏においては一定の約束を設けているアプローチもあり、一口で「フリージャズとはこういうものです。こういう演奏方法がフリージャズです」と定義付けるものは無い。

さて、「フリージャズ」の代表的な人物の一人として挙げられるオーネット・コールマン。
彼の場合は、コード進行やスケールの制約から「フリー」なアプローチだ。
先述したとおり、コード進行やスケールという制約が取り払われて、「内容が面白ければ、何を吹いても良い」という状態の中でのアドリブは、とても難しいことだと思う。
どんなメロディを吹いても良い反面、何を吹けば良いのか分からなくなる危険性もあるからだ。
今までの練習内容の無意識な繰り返しや、手癖(クリシェ)に陥ってしまい、「聴かせる内容」を演奏をするには、かなりのセンスと想像力を必要とされるからだ。

その点、オーネットは本当にメロディの人だと思う。
旋律を縛る、あらゆる制約が取り払われた中、オーネットの生み出すメロディの奔放さといったら!
時にアグレッシブな側面も見せ、時に単純で素朴のきわみとも言えるほどのメロディも放つ。
調子っぱずれで奇妙に抽象的なメロディの断片も、不思議に聴き手の心をつかんで離さない。
コード進行の呪縛から離れ、これほど創造的に歌い(しかも誰にも似ていないコールマンだけの個性で)、なおかつ説得力のあるアドリブを繰り広げるコールマンの歌心は並大抵ではない。

オーネットは、「フリー・ジャズの人」というよりは、「メロディ・ジャズ」の人として括ったほうが良いんじゃないかとすら思ってしまう。
「メロディ・ジャズ」というのもヘンな括りだが。

そんな、オーネットの歌心と、泉のごとく溢れる奇妙で気持ちの良いメロディをワン・ホーンのシンプルな編成で堪能しよう。
『アット・ザ・ゴールデン・サークル』で。

音楽ビジネスに嫌気がさし、2年ほどシーンから遠ざかっていたオーネットは、65年にヴィレッジ・ヴァンガードに出演してシーンに復帰した。
この年、はじめて映画音楽を書き(チャパカ組曲)、レギュラートリオを率いてヨーロッパへ赴き、イギリスでクロイドン・コンサートを収録、ツアーの最後に訪れたストックホルムにあるジャズクラブ、ゴールデン・サークルで演奏した内容が収められているのがこのアルバムだ。

躍動感溢れるリズムに乗って、繰り広げるオーネットの底なしの歌心を味わうためのアルバムだ。

そして、このアルバムのもう一つの聴きドコロは、チャールズ・モフェットのドラミング。
一曲目の「フェイシーズ・アンド・プレイシーズ」のドラムの躍動感といったら!
テンポはどんどん走っていっているが、イキの良いシンバルを楽しめる。
自由でイキの良いスリリングな演奏を『アット・ザ・ゴールデン・サークル』で堪能しよう。
個人的には、vol.2よりも、vol.1のほうがオススメだ。

(2002/05/02) 


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