GIANT STEPS (Atlantic) |
| - John Coltrane |
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John Coltrane(ts)[all tracks] Tommy Flanagan(p)[track 1,2,3,4,5,7,10,11&12] Ceder Walton(p)[track 8&9] Wynton Kelly(p)[track 6] Paul Chambers(b)[all tracks] Jimmy Cobb(ds)[track 6] Lex Humphries(ds)[track 8&9] Art Taylor(ds)[track 1,2,3,4,5,7,10,11&12] #8&9 1959/04/11 #1,2,3,4,5,7,10,11,12 1959/05/04 #6 1959/12/02 |
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よく吹ききった!よく頑張った! 快哉を叫びたくなりませんか? べつに私はコルトレーンの先生でも、先輩でもないし、「感動したっ!」の小泉首相でもないけれども、ついついジョン・コルトレーンの《ジャイアント・ステップス》を聴くと、そういう労いの言葉の一つもかけてあげたくなるのだ。 いや、おこがましいことは重々承知なんですけどね。 ジョン・コルトレーンの《ジャイアント・ステップス》は、自信と力強さに溢れた演奏だ。 “ジャズから元気を分けてもらって生きている”人は多いと思う。もちろん私もその1人だ。 “元気をくれるジャズ”は、人それぞれだろうけれども、私にとっては間違いなくジョン・コルトレーンの《ジャイアント・ステップス》は、元気を分けてくれる演奏の一つだ。 安定した力強いリズムがまず元気の源。 エネルギッシュなコルトレーンのテナーが、私の心に栄養補給。 演奏から漲るトレーンの圧倒的な自信が、私の心の“やる気”に火をつけてくれる。 そして、これが一番の効果なのだが、心身ともにフットワークが軽くなるのだ。 《ジャイアント・ステップス》の本質は軽やかさだ。 え?意外? 重厚長大なイメージの強いコルトレーンに軽やかさ? ええ、そうなのです。 この《ジャイアント・ステップス》においてのコルトレーンの魅力は重厚さではない。 少なくとも、私はそう思う。 ジャケットの恐ろしい顔で武者修行さながらにサックスを吹いている写真にだまされてはいけない。 もちろん同アルバム収録されている《シーダズ・ソングズ・フルート》や、《ミスター・P.C.》に代表されるマイナーかつ重厚な曲には、その片鱗は認められる。 しかし、《ジャイアント・ステップス》に感じられるのは、あくまで、軽やかさなのだ。 コルトレーンのテナーの音色はアルト的だ。 つまり、高音域の成分が強い、ちょっとトレブリーな音なのだ。 吹かれる低音域の音色も低音の成分の粘りよりも、引き締まった輪郭が明晰な「カリッ!」とした音色だ。 高音域に行けば行くほど、音色の厚みが薄れ、より「カリッ!」「サクッ!」とした音色が強くなる。加えて、ピッチも甘くなってくる。 これが、トレーンサウンドの特徴だと思う。 そして、このブライトなテナーの音色で、迫りくる、圧倒的なコードチェンジの嵐を、手際よく処理し、次々とフレーズの模範解答を導き出すトレーンの“情報処理”の鮮やかさといったら! もちろん、彼は即興でこのテーマの一音ごとにコードの変わるという恐ろしいコードチェンジの曲を演奏しているわけではない。 相当な量の練習を繰り返したのだろうし、あらかじめ多くのストックフレーズを準備して臨んでいるに違いない。 しかし、それにしても、やはり軽快に疾走して、次から次へと8分音符で流麗なアドリヴラインを吹きまくるトレーンのアドリヴは気持ちよい。 彼の努力っぷり、成長ぶりは、CDに収録されているテンポの遅い一ヶ月前の演奏と比較すれば一聴瞭然だ。 別テイクの演奏は、テンポも遅いし、アドリブにも煮え切らないとまどいも感じられる。 だからこそ、軽快なスピードで鮮やかに吹ききることの出来るようになった一ヶ月後の演奏を聴くと、たった一ヶ月の間でよくもまぁここまで成長したものだなと感心してしまうのだ。 だからこそ、冒頭に書いた「よく頑張った!」と快哉を叫びたくなる。 とにかく頑張りっぷりが気持ちよく、清々しさすら感じてしまう私。 危なっかしさをまったく感じさせることの無いトレーンのアドリブの見事さと、それを吹ききる彼の持つテナーの音質が合体すると、えもいわれぬ軽やかさゆえの気持ちよさを私はこの圧倒的な演奏からは感じるのだ。 その一方で、ピアノのトミー・フラナガンは、途中でソロを止めてしまっているのか、諦めてしまったのか、自分のアドリブパートにもかかわらず、右手で旋律を弾くことを諦め、軽く和音で色を添える程度になってしまっている。 諦めムードのトミー・フラナガンのピアノが終了すると、再び赤兎馬にまたがって敵陣を蹂躙する呂布のごとく、モリモリと戦線に復帰するコルトレーン。「オレはもっともっといけるぜ!」とばかりにヤル気満々。 このギャップが面白い。 コルトレーンだからといって、しかめっ面で構えて聴くことなかれ。 軽やかで、サクッ!としたコルトレーンをこの演奏からは楽しもう。 |
| (2004/01/21) |
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Naima。ネイマ。 “ナイーマ”と表記されることもある。 ジョン・コルトレーンの最初の奥さんの名前だ(ちなみに2番目の奥さんはアリス・コルトレーン)。 この曲の初演は、『ジャイアント・ステップス』(アトランティック)だ。 『ジャイアント・ステップス』といえば、タイトル曲、そして、《カウント・ダウン》、《ミスター・PC》(PCとはベーシストのポール・チェンバースのこと)など、ハードにドライブする勇壮なコルトレーンがまず真っ先に思い浮かぶアルバムだ。 実際、これでもか、これでもか、と畳み掛けるように音符を吹き散らかすコルトレーンのシーツ・オブ・サウンドには、本当に圧倒されるし、素晴らしい名演が集まっているアルバムだと思う。 しかし、ほっと一息つけるラストの《ネイマ》も忘れてはならない。 この曲は、晩年に至るまで、何度も何度も繰り返し演奏されている。 後期になればなるほど、濃密な演奏になってゆく。良い例が『ライブ・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード・アゲイン』だろう。 単位時間に込められるサウンドの情報量が多く、沸点に達する直前といった高密度の演奏だ。まぁ、晩年のコルトレーンの演奏はほとんどがそうだともいえるが。 私が、《ネイマ》の初演が好きなのは、それとは対照的な「スカスカ感」が気持ち良いからだ。 無駄の省かれた非常にシンプルな構成、演奏。 サウンドのスペースの空き具合が非常に気持ちがよい。 過剰なサムシングを込めすぎるがゆえ、時として鬱陶しく感じることもあるコルトレーンのテナーも、ここでは、良いバランスで真っ直ぐに淡々と吹いている。 そして、そこからは不思議と乾いた情緒が感じられる。 途中に挟まれるピアノソロもとても綺麗にまとまっている。 私はどちらかというと、コルトレーンの吹くバラードがあまり好きではない。音痴だとすら思ってしまう演奏もある。 一途で、野暮で、不器用で、真面目で、一直線で、いかつい男。そして棒を切ったようまっすぐで、武骨で、直情的なサックスを吹く、男一匹、ジョン・コルトレーン。 しかし、そんな彼だからこそ、感動してしまうバラードも中にはあるのだ。 『オレ!』の《アイシャ》。 『マイ・フェバリット・シングズ』の《エヴリタイム・ウイ・セイ・グッド・バイ》。また、マイルスの『いつか王子様が』収録の《テオ(ネオ)》もなかなかだ。 そして、『ジャイアント・ステップス』の《ネイマ》……。 ハードなコルトレーンも良いが、時に無防備になった瞬間のコルトレーンも中々良い。 |
| (2002/02/08) |
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