COLTRANE PLAYS THE BLUES (Atlantic) |
| - John Coltrane |
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John Coltrane (ss,ts) McCoy Tyner (p) Steve Days (b) Elvin Jones (ds) 1960/10/24 |
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いわゆる、泥臭いブルージーさとは一線を画する肌触り。 コルトレーンのブルースはどこか近代的な響きと、素朴さが入り混じった不思議な紋様を空間に紡ぎだす。 全曲オリジナルのブルースで固めた本作は、コルトレーンの密室での練習成果をのぞき見るようで興味深い。 彼が自らの“歌”を深め、飛翔させるための格好の素材の一つがブルースだった。 「のびのびと歌うような」 このような形容は当て嵌まらない。 どこか求道的でストイックなニュアンスが全編に漂うのは、ブルースという定型を守りながらも、その中で今までの自身、そしてジャズマンが紡いできたクリシェ(常套句)を壊し、そこから自分だけの新しい表現システムを生み出そうとするコルトレーンの姿が見え隠れするからではあるまいか。 ブルースのためのブルースではなく、過剰にあふれ出る自身の表現欲求を体裁ある形に落とし込むための、器、そして可能性の一つが、ブルースだった、というわけ。 「引き」と「間」が生きてこそ美しいブルースと、私は思っているのだが、しかし、ここで聴けるブルースの肌触りはそのような通念はあっさりと破壊されてしまっている。 過剰までに詰め込まれた音と、妥協を許さぬ実験精神によって生じた、遠近感が微妙にズれ、奇妙に捩れた、根っこまでしゃぶり尽くされ変形したブルースの姿、あるいは残骸。 キーを変え、テンポを変え、半ば即興的に紡ぎだされるテーマ。 この助走を経て、いよいよアドリブに入るが、コルトレーンの即興はどこまでもブルースのための即興ではなく、コルトレーンミュージックのための即興演奏だ。 よって、本作はブルースの名を冠した徹頭徹尾コルトレーンミュージックの集合体ともいえる。どこを切っても音空間はコルトレーン一色に染まっているが、しかし、それはあくまで、彼が吹くテナー、あるいはソプラノが作り出す磁場だけなのかもしれない。 遠くへ行こうと苦闘するコルトレーンと、エルヴィン・ジョーンズをはじめとしたマイペースで地に足のついたリズムセクションとの微妙な音の乖離も、独特な雰囲気を形成している。 《ミスター・ナイト》のように印象的な演奏もあるにはあるが、アルバム全体を通して聴くと、少々疲れる。 しかし、興味深いアルバムではある。 完全なるオリジナリティ、コルトレーンにしか出せない音の境地に到達するまで、あと一歩の過渡期的作品だ。 |
| (2007/05/01) |
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