BASS ON TOP (Blue Note) |
| - Paul Chambers |
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Paul Chambers (b) Kenny Burrell (g) Hank Jones (p) Art Taylor (ds) 1957/07/14 |
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ポール・チェンバースの『ベース・オン・トップ』は、アルコ奏法の《イエスタデイズ》や、ケニー・バレルのギターが艶っぽい《ディア・オールド・ストックホルム》がなにかと語られがちだ。 だからというわけではないが、あまり脚光を浴びていない《ユード・ビー・ソー・ナイス・トゥ・カム・ホーム・トゥ》や《コンフェッシン》の、低音域で伸び伸びと歌うベースにも注目してみたい。 『ベース・オン・トップ』のチェンバースは、もちろんアルコのプレイも聴きどころには違いないし、共演者のバレルのギターも良いが、やはり、チェンバースのベースといえば、ピチカート奏法が最大の魅力だし、チェンバースのリーダー作なのだから、彼が普段奏でていた80%以上の奏法が生み出したサウンドにも耳を傾けないと、片手落ちになってしまう気がするからだ。 なぜ、上記2曲かというと、ご推察のとおり、ピチカートでのソロをたっぷりと楽しめるから。 チェンバースのピチカートの魅力は一にも二にも“よく歌う”という点。 そして、これはあまり語られないことだが、チェンバースは高音をあまり使わず、あくまで低音域に固執した奏法が特徴だ。 『ベース・オン・トップ』のジャケ写では、ハイポジションを押さえているチェンバースだが、じつはチェンバース、ハイポジションはあまり弾かないベーシストだ。 低めの音域から音を選択するし、低めの音域で" 聴かせる音"を奏でる。 再びジャケ写を見てみよう。チェンバースのベースの弦高はかなり高い。 指の隣の弦を見てもらえば分かるとおり、指一本が弦と指板の隙間にスルリと入ってしまうほどだ。弦が高いことのメリットは、豊かなビッグトーンが得られるということ。 PA技術が現在ほど発達していなかった当時、大音量で楽器を"鳴らす"ということはベーシストにとっては至上課題だったのだ。 たとえば、オスカー・ペティフォード。それにチャールズ・ミンガス、そして初期のレイ・ブラウン。彼らの弦高は一様に高かった。 この写真からだけでもチェンバースの生音は相当大きかったのだろうと推測される。 では、弦高の高いことによるデメリットはというと、ハイポジションになればなるほど、さらに弦高が高くなる。つまり弾きにくくなる。 押弦する体力、というか指の強さも必要となり、同時に音程も取りにくくなる。 だから、というわけでもないが、チェンバースは端からハイポジションを弾くことを考えていなかったのではないか? もちろん、まったく弾かないということはないし、ベースラインにおいては、かなりのハイポジションに上り詰めて、開放弦をボーンと1音鳴らしながら、再び左手を低音域にポジション移動させる奏法はチェンバースの得意技でもある。 しかし、彼にとってのハイポジションでの高音域の音は、全体から見ると、あくまでアクセント程度の役割だ。 現在でこそ高音域を縦横無尽に弾きまくるベーシストは多いが、これが録音された当時は、ハイポジションを自在に弾きまくろうなんて発想がそもそもなかったのだろう。 そのかわり、ハイポジションを放棄し、自らの守備範囲を狭めた結果、少ない選択肢の中の音を熟知することが出来た。 指板の上を細かく移動しないかわりに、現在押えているポジションの“近くの音"をうまく拾い、効果的なフレーズ作りをすることに専念した。だから、比較的少ない労力で フレーズを組み立てることが出来る。 労力が少なければ、それだけ演奏にも余裕が生まれ、音に血肉を通わせることが出来るのだ。 ある意味、大雑把な奏法ともいえるかもしれない。 省エネ奏法ともいえる。 しかし、膨大なレコーディング量をこなしたモータウンのハウスベーシスト、ジェームス・ジェマーソンも、低めの音域で、あまりフィンガーポジションを移動させずに、素晴らしいベースラインを形成していたので、“最低限の労力で最大限の効果"を狙う奏法は、各方面からのセッションやレコーディングで引っ張りだこだった多忙なベースマンが必然的に辿り着いた結果なのかもしれない。 使う音が少ない分、自分が使う音域内での、音、音の出るポジションの位置関係は熟知していたはず。 たくさんの材料を前に戸惑うよりも、少ない材料をもっとも効果的に使う奏法に徹したチェンバース。 だから、一聴、低音がモコモコ唸っているだけに聴こえがちな《ユード・ビー・ソー・ナイス・トゥ・カム・ホーム・トゥ》や《コンフェッシン》のテーマも、よく聴けばかなり朗々と歌っているフレーズだということが分かる。 一音一音に血が通っている生身の暖かさがあるのだ。 《イエスタデイズ》や《ディア・オールド・ストックホルム》の陰に埋もれがちな「スキマ曲」をもう一度聴きなおしてみてはいかが? |
| (2004/08/23) |
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チェンバース21歳の頃のリーダーアルバム。 初めて聴いた時から、既に10数年経っているが、このアルバムほど、聴くポイントがコロコロと変わったアルバムもない。 最初はケニー・バレルに惹かれた。 ベーシストのリーダーアルバムだから、本来ならベースの音にもっと耳を澄ますべきだと思いつつも、やはり《ディア・オールド・ストックホルム》の艶やかなギターについつい聞き惚れてしまっていた。 ギターやピアノのソロに比べ、チェンバースの長めのソロが、むしろ疎ましく思ってしまっていたほどだ。 次に、ハンク・ジョーンズのピアノ。 気が付くまでには時間がかかったが、彼は素晴らしいサポートをしている。 ツボを押さえた、あくまで主役を立てるサポートゆえ、初心者にとってはトミー・フラナガンと並び「聴こえないピアノ」の代表格とも言えるハンク・ジョーンズだが、聴こえないピアノが聴こえてくると、彼の趣味の良いピアノの心地よさはなかなかクセになる。 控えめでさり気ないバッキングは細かいところまで神経が行き届いているし、ツボを押さえた淡泊なピアノソロも味わえば味わうほど深い。 ベースを始めてからは、チェンバースのベースの音にばかり耳が吸い寄せられた。 その頃は、まだエレキベースしか弾いていなかったが、《ユード・ビー・ソー・ナイス・トゥ・カム・ホーム・トゥ》のテーマやベースラインは夢中になってコピーしたものだ。 耳で聞くだけではなんとも思わなかったちょっとした旋律も、実際自分が楽器を手にしてチェンバースが弾いたラインをなぞることによって、随分とベースの「歌わせ方」の勉強になった。 そして、ようやく《イエスタデイズ》。 ウッドベースの弓を買い、実際にアルコ奏法をしてみて、はじめて《イエスタデイズ》の表現の深さが分かったような気がした。 正直言って、アルコ弾きに興味を持つまでは、なんて汚い音なんだろうと思っていた。ピッチも甘いような気がするし、なんだか辛気くさい演奏だなぁと、一曲目のこの曲を飛ばして聴いていることも多かった。 ところが、実際自分がアルコ奏法をやり始め、この奏法の難しさを身をもって知ると、今までの評価が一変してしまった。 アルコの難しさを知り、自分の技量に比してチェンバースが「上手い」から、《イエスタデイズ》が良く聴こえたということも確かにあるが、それだけではない。 きっと、今までは真剣にこの曲に耳を傾けていなかったのだろう。 自分がアルコを始めることによって、今まで以上にアルコで演奏された曲に興味を持つようになった。そして、「アルコ耳」で真剣に聴いた結果、初めて《イエスタデイズ》の良さが分かるようになったのだと思う。 感受性の優れた人は、楽器をやらずとも、演奏者の表現力の凄さを直感的に理解出来るのだろう。しかし、私のような鈍い人間は、楽器をやって初めてジャズマンの表現の凄さを発見することも多いのだ。 ギター、ピアノ、ベース(ピチカート)、ベース(アルコ弾き)といった順番で、一つの楽器の「ピックアップ聴き」が続き、最近久しぶりに聴いてみたら、ようやく、“ピックアップ聴き”ではなく、全ての楽器の音が一つに溶けこんで、ようやく「音楽」として自分の頭の中に入ってきた。 今では、ケニー・バレルのギターも、ハンク・ジョーンズのピアノも、チェンバースのピチカートもアルコも、すべて等しい音として、私の耳にスルリと入ってくるようになった。 こうなるまでには、随分と長い時間を要したものだと思う。 |
| (2002/08/25) |
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