HI-FLY (Prestige) |
| - Jaki Byard |
|
|
Jaki Byard (p) Ron Carter (b) Pete LaRoca (ds) 1962/01/30 |
|
|
|
Jaki Byardは、“ジャキ”・バイアードと読むほうが正しいと思うのだが、どうも日本のジャズ本や雑誌には、Jackieの時のように“ジャッキー”・バイアードと表記されることが多いようなので、本稿もそれに従って、 ジャッキー・バイアードと表記することにする。 たしかに、普段の会話でも、ジャキ・バイアードと言うよりも「ジャッキー・バイアードのピアノがさあ〜」のほうが言いやすいから、活字の世界も、自然とジャキがジャッキーになったのかもしれない。 さて、この『ハイ・フライ』は、1962年録音のジャッキー・バイアード3枚目のリーダー作で、編成は、ベースにロン・カーター、ドラムにピート・ラ・ロカを配したピアノトリオだ。 チャールス・ミンガスのバンドにサイドマンとして参加したバイアードのピアノを聴くと、まるで歩くジャズの歴史といった多彩な引き出しと、スケールの大きなピアノにまずは圧倒される。 たとえば、私が愛聴している『タウン・ホールコンサート』のバイアードを聴けば、彼の参加なしには、このアルバムの壮大さはありえなかったのではないかと思ってしまうほどだ。 このイメージで、『ハイ・フライ』を聴くと、意外にも肩透かしを食らうことになる。 多少こもり気味の音色で録音されているということもあるのだろうか、どことなく、もこもこと地味にコジンマリとまとまっている印象を受けるのだ。 しかし、このモゴモゴした感じは、あくまでミンガスと共演しているときのイメージを前提で聴いたからこその感想で、エリントンのサウンドを崇拝するミンガスがリーダーの時と、ピアニストのバイアードがリーダーの時では、表現したいサウンドの方向は違って当然なのだ。 ホーンのいないピアノトリオという少人数編成。このコンパクトな編成での彼の表現の狙いは、他のピアニストとは一線を画する彼独自のピアノ美学の表出だと感じる。 だから、ピアノトリオというコジンマリとした編成で見え隠れするバイアードのピアノは、一回聴いたぐらいではなかなか気がつかない、妙に屈折した黒光りの世界。これは何度か聴いているうちに、自然に分かってくることだろう。 派手な展開こそないが、ずいぶんと変わったフレージングや、間の取り方をするのだなということが感じとれるはずだ。かなり細かなところまでに、ユニークな彼の感性が行き渡っていることが分かる。 聴きにくいわけではないし、いや、むしろ意識をしなければあっさりと耳を素通りするぐらいの表面的なそっけなさとは裏腹に、音の裏側はかなり重い。 この派手ではないが、病みつきになりそうな独特なピアノのテイストは、ハービー・ニコルスに通じるものがあるのかもしれない。 もちろん演奏内容は全然違うのだが、私は『ハイ・フライ』を聴いて最初に思い浮かんだアルバムが、なぜかハービー・ニコルスの『ラヴ・グルーム・キャッシュ・ラヴ』だったのだ。 バイアードにしろ、ニコルスにしろ、具体的にどこがどうヘンなのかを言及することは難しい。しかし、そこはかとなく漂うストレンジさは、タイプこそ違えど「なんか妙な感じだけど、クセになりそう」という表現がピッタリだろう。 一筋縄ではいかない鬼才という表現がピッタリだ。 しかし、両人の共通するところは、その「妙な感じ」は他のピアニストとの差別化を意図して、わざと奇をてらっているわけではなく、彼らの内面から滲みでてくる嘘いつわりのない本音の表現だということ。 だから、多少の違和感も慣れてくると、心地よい違和感として感性の襞にスルリと染み込んでくるのだろう。 ナショナルパブリックラジオは、バイアードのことを「ジャズ界においては、もっとも引き込まれずにはおられず、多才なピアニストの一人(One of the most compelling and versatile pianists in jazz.)」と評したそうだが、まさに、compelling(=強制的な、有無を言わさず、注目(称賛)せずにはいられない)な個性を有するピアニストだと感じる。 独自の美しさを発揮する《ラウンド・ミッドナイト》、少し意固地な《バードランドの子守唄》、ロン・カーターの“スッポン・スッポン”と軽やかに跳ねるテーマが楽しい《ブルース・イン・ザ・クロセット》など、聴いた数に比例して聴きどころも増えてくること請け合いだ。 |
| (2011/09/04) |
|
|
|
|
All Rights Reserved. |