CHET BAKER SINGS AND PLAYS (Pacific Jazz) |
| - Chet Baker |
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Chet Baker (vo,tp) Bud Shank (fl) #2,4,6,9 Russ Freeman (p) Red Mitchell (b)#2,4,6,9 Carson Smith (b) #1,3,5,7,8,10 Bob Neel (ds) Corky Hale (harp)&strings #2,4,6,9 1955/02/28 #2,4,6,9 1955/03/07 #1,3,5,7,8,10 |
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チェット・ベイカー入門に最適な一枚。 ヴォーカルに関していえば、『チェット・ベイカー・シングズ』も同様だが、これを聴いて、「いい!」と思った人は、他のヴォーカル入りのアルバムにも安心して手を出せるだろう。 しかし、「好みじゃないな」と感じた人は、これ以上深入りしないほうがいいかもしれない。 次に手を出すアルバムは、ヴォーカルのない『チェット・ベイカー・アンド・クルー』のような、トランペットのプレイに焦点を当てたアルバムを聴いてみると良いと思う。調子の良いときのチェットのトランペットは、それはそれで“聴ける”からだ。 さて、彼の代表作の一枚、『チェット・ベイカー・シングズ・アンド・プレイズ』。 滑らか&スムースなトランペット。退廃的でアンニュイなヴォーカル。 このアルバムの多くを占めている、絶妙に緩く、心地よく、とろけるような甘さは、ある意味、とても危険な世界かもしれない。 なぜかというと、この緩い世界に浸りきり、慣れきってしまうと、なかなかこの気分から抜け出すことが出来ず、日常生活に適応出来なくなるんじゃないかという危険を秘めているからだ。 チェット・ベイカーの世界を語ろうとすると、私はいつも夢野久作の短編を思い出してしまう。タイトルは忘れてしまったのだが、一言で言うと、お金をかけて呆けてゆく中国の超大金持ちの話。 快楽も苦痛も極めつくした中国という国では、お金持ちが最後に求める最高の贅沢は、廃人とまではいかないけれども、ホワーッとお茶を飲んで呆けること。つまり、大金をかけて快楽と贅を尽くした人たちが行き着く次の境地は、大金をかけて少しずつダメになってゆくこと。 莫大な財産を築き上げた中国の大金持ちは、年に1回、とんでもない額のお金をかけて、山に登り、人間の感覚が鈍くなる、いわゆるダウナー系のドラッグのような、超がつくほど高価なお茶を飲む、といった話(随分前に読んだので細かいことは忘れてます、間違ってたらすいません)。 中国の大金持ちのように、まったり、とろけるような感覚になって、呆け面になって顔を緩めたければ、なにも、中国の秘境の山に登り、高額で怪しげな茶を飲む必要はさらさらない。 チェット・ベイカーを聴けばいいんだから。 てことは、チェット・ベイカーを聴いて良い気分になるということは、ある意味、ものすごく贅沢なことなのかもしれない。 この生涯ジャンキー男が、おそらくは薬代欲しさのやっつけ感覚で吹き込まれた歌とトランペットは、我々を心地よく退廃的な境地へと誘うのだ。 このアルバムだと《ユー・ドント・ノウ・ホワット・ラヴ・イズ》あたりが危険地帯。 このようなテイスト、たまらない人はたまらないだろうけれども、嫌いな人は「カンベンしてくれ!」な世界だろう。 『〜シングズ』の《マイ・ファニー・バレンタイン》同様、好き嫌いが両極端に分かれそうなナンバーだ。 しかし、やるせなさ、甘美さ一色に染められているわけでもない。 ラス・フリーマン以下、リズム隊の頑張りもあってか、バックのリズムセクションはシャキッ!と西海岸らしい溌剌さに満ちている。 とくに、1曲目の《レッツ・ゲット・ロスト》。 チェットのトランペットや歌がかぶさらなければ、典型的なウエスト・コーストのピアノトリオだ。 しかし、ダラリと弛緩し、音程もちょっと危ないチェットのヴォーカルが被さった途端に、陽光降り注ぐ健康的なピアノトリオのアンサンブルに、微妙な陰りが生じる。 チェット効果だ。 同じパシフィックジャズの『チェット・ベイカー・シングズ』にもいえることだが、このコントラストが魅力だ。 ラストの《アイ・リメンバー・ユー》では、前半のヴォーカルはメロウ、しかし、後半になると、急に怒り出したように、というよりも、早く演奏を終わらせたいのか、妙に急いたぶっきら棒な歌唱になるところが面白い。 クスリが切れたのか?(笑) |
| (2006/11/19) |
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