THE BEGINING AND THE END (CBS)
- Clifford Brown

  1. I Come From Jamaica
  2. Ida Red
  3. Walkin'
  4. Night In Tunisia
  5. Donna Lee

Clifford Brown (tp)
Vance Willson (as,ts)
Eddie Lambert (g)
Duke Wells (p)
James Johnson (b)
Chris Powell (vo&per)
#1,2
1952/03/21

Clifford Brown (tp)
Ziggy Vines (ts)
Sam Dockery (ts)
Sam Dockery (p)
Ace Tisone (b)
Ellis Tollin (ds)
#3,4,5
1956/06/25
1955/05/31


このアルバムの後半3曲は、長らく死の直前の演奏とされていた。

クリフォード・ブラウンは、この演奏を終えた数時間後に、交通事故でこの世を去ってしまったという話が、つい最近まで信じられていたのだ。

だからこそ、彼の最初と「最後」の演奏をカップリングした(つもりの)、『ザ・ビギニング・アンド・ジ・エンド』というアルバムが発売されたわけだが、実際にこの演奏が行われたのは、彼の死の1年前だということが最近判明した。(出典:ニック・カタラーノ・著/川嶋文丸・訳『クリフォード・ブラウン〜天才トランペッターの生涯』/音楽之友社)。

ということは、アルバムのコンセプトそのものが根底から崩れてしまったわけだが、それは最後の演奏とされていた時点での企画だから仕方がない。

そのうえ、これら3曲の名演に対しては、とりたてて「生涯最後の演奏」といったキャッチを交えて語る必要すらないといえる。

1955年5月31日。
演奏場所はフィラデルフィアのライブハウス。
地元の名も無いミュージシャンたちと行われた気ままなジャムセッションで、熱狂する観衆の声も聞こえるとおり、なかなかに盛り上がったライブだったということがわかる。

正式に録音された音源ではないので、音質は良いとは言えないが、それを補って余りあるのがライブの熱気と、それに煽られたかのような勢い溢れる演奏が続く。

基本的にはジャムセッションの形態をとっているが、ジャムセッションにありがちな、冗長でやたらと長い演奏が続くわけでもなく、演奏にはきちんと締まりがあるので、音だけを追いかけても十分に楽しめる内容だ。

特に、クリフォード・ブラウンのトランペットは、ひときわ力強い存在感を誇っている。なにより音が非常に安定しているのだ。

ときおり繰り出す早いパッセージには乱れがほとんどなく、粒の揃った力強くも美しい音色が平然と放たれている。

優れた楽器のコントロール技術に加え、ジャズには必要不可欠な「勢い」をも忘れない熱い演奏。
クリフォード・ブラウンの魅力は、正確さと勢いの両方をバランスよく体現してしまっているところだといえる。

そして、彼のトランペットは、いつだって元気で明るい。
だから、聴き手は安心感と期待感を持ってして彼のトランペットに耳を傾けることが出来るのだ。

白眉はラストの《ドナ・リー》。
これにつきる。
もう、このアルバムはこの1曲があれば十分! といっても過言ではない。

パーカーとマイルスによるオリジナル演奏をはじめ、ジャコ・パストリアスによるベースとコンガのデュオ、まるでクラシックの趣きと優雅さを持つ寺井尚子のヴァイオリン・バージョンなど、多くのジャズマンが、様々な形態で愛奏しつづけてきている名曲だが、ブラウニー(クリフォード・ブラウン)の《ドナ・リー》ほど、スピード感に溢れた演奏を私は知らない。

もちろん、テンポのことを言っているのではない。
単純な演奏の速度だったら、この演奏を上回るテンポのものはいくらでもある。

ここで言うスピード感とは、正確なタンギングと、ミスのない安定した音の粒が綺麗に並ぶことによって生み出される、流れるような心地よさと、演奏にこめられた「力」が生み出すエネルギー感のことを指す。

ライブの熱気も手伝ってか、テーマの頭でいきなりミストーンをしてしまう箇所もあるにはあるが、本領発揮はむしろアドリブに移行してから。

まるで水を得た魚のように、いきいきと繰り広げられるアドリブはどうだ!

まるで、あたかも最初から作曲されたものをなぞっているかのように、凄い速度で平然とブラウニーは美しいラインを力強く奏でているのだ。

「素晴らしい演奏を残した直後に、彼は死んでしまった」という誤った認識が、まるで本当のように信じられていたのも、分かるような気がする。

品行方正で、誰からも好かれていたジャズマン、その彼が繰り広げた神がかり的な演奏。直後に、事故死。

「伝説」となる要素は、過不足なく揃っていたのだ。
(2005/08/18) 

トランペッター、クリフォード・ブラウンの最初の録音と最後の録音をカップリングしたアルバムということになっている。

ところが、最近判明したデータによると、このアルバム中の演奏は、「ビギニング」はそのとおりだが、どうやら「ジ・エンド」では、なかったようだ。

「最後」とされた録音は、どういういきさつで誤った日時が定着したのかは不明だが、本当の録音日は、56年6月26日ではなく、本当は55年5月31日の録音だった、とされている。

つまり、長らくクリフォード・ブラウンの死の直前の演奏とされていたのは誤りで、それどころか、死の1年近く前の演奏だったのだそうだ。

ちなみに、従来の有名な「定説」は、こうだった。
フィラデルフィアのライブハウスで、地元の名も無いミュージシャンとセッションを終えたブラウンは、その足でバド・パウエルの弟、リッチー・パウエルらの乗る車に乗り、その翌日(ブラウンの誕生日!)に郊外のターンパイクに激突して死亡した。

死亡する数時間前に演奏されていた曲が、まさに、このアルバムに収録されている《ウォーキン》、《チュニジアの夜》、《ドナ・リー》だった。
これが、長らく語り継がれていた逸話だ。

だからこそ、彼の最初と「最後」の演奏をカップリングした『ザ・ビギニング・アンド・ジ・エンド』というアルバムが発売されたわけだが、実際にこの演奏が行われたのは、死の1年前だとなると、アルバムのコンセプト自体が根底から崩れてしまうわけだ。

もっとも、それは最後の演奏とされていた時点での企画だから仕方がない。
仮に死の直前の演奏だったとしても、この演奏を語るにあたっては、とりたてて「生涯最後の渾身の演奏」といったキャッチを交えて語る必要もないといえる。

なぜなら、そのような言葉を借りずとも、ブラウンの演奏は相変わらず素晴らしいのだから。

特に、アルバム後半の《チュニジアの夜》と《ドナ・リー》のブラウンのトランペットは素晴らしい。
熱狂する観衆の声も聞こえるとおり、なかなかに盛り上がったライブだったということがわかる。

公式に録音された音源ではないので、音質は良いとは言えないが、それを補って余りあるのがライブの熱気と、それに煽られたかのような勢いに溢れる演奏だ。

熱狂的な中でも、クリフォード・ブラウンのトランペットは、熱気に流されることもなく、だからといって冷静沈着な無味乾燥な演奏というわけでもない。
それどころか、ひときわ力強い存在感を誇っているところが凄い。

なにより非常に音が安定しているのだ。
ときおり繰り出す早いパッセージはまったく乱れることがなく、粒の揃った力強くも美しい音色が平然と放たれているのだ。

優れた楽器のコントロール技術に加え、ジャズには必要不可欠な勢いをも忘れない熱い演奏。
クリフォード・ブラウンの魅力は、正確さと勢いの両方をバランスよく体現してしまっているところだといえる。

そのうえ彼のトランペットは、いつだって元気で明るい。
だから、聴き手は安心感と期待感を持って彼の音に耳を傾けることが出来るのだ。

ウイントン・マルサリスの『スタンダード・タイムvol.1』を聴くたびに私がいつも感じることは、今はどうだか知らないけれども、当時、これを録音したウイントンが目指していたのは、心底、クリフォード・ブラウンだったんだなぁということ。

技術面はもとより、それ以上に、ブラウンの持っていた不思議な「冷静の中の熱狂」と「熱狂の中の冷静」という、相矛盾する音に潜むマインドを奇跡的に両立させてしまったマジックを、ウイントンもなんとか我がものにしたかったに違いない。

もっとも、ウイントンの演奏を聴くと、どちらかというと、熱狂よりも冷静な肌触りのほうが勝ってしまっているが…。

自分自身は周囲の熱に浮かされることなく、逆に聴き手を熱に浮かせてしまう。
発する音は熱くて勢いに満ちているが、楽器のコントロールは勢いまかせではなく、周囲の熱狂に飲み込まれることは決してない。
そんな、もの凄いクリフォード・ブラウンというトランペッターの真髄は、このようなラフなジャムセッションを聴いたほうが、より一層浮き彫りになってくるのだ。
(2005/03/06) 

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