黒いというよりは、ドス黒い。
黒光りするピアノ、執拗に反復するリフ、パーカッシヴな打鍵。
この黒さは、“アメリカのブラックミュージック”に認められる“ノリの黒さ”とは異質のものだ。
もっと大地の素朴さ、土の香りのする黒さとでも言うべきか。
それだけではなく、これは彼のタッチのなせるわざゆえか、黒い情念がトグロを巻いているような、眩暈がするほどのウネリと力強さも感じる。
“今鳴っている楽器って、たしかピアノだったよな?”
そんな錯覚をも起こしかねないほど、“西洋的テイスト”から遠く離れたところに位置する強烈な個性を放つピアノだ。
私はアフリカに行ったことがないし、アフリカの音楽にも詳しいわけではない。
それなのに、『アフリカン・ピアノ』を聴いた瞬間から、とてつもなくアフリカを感じてしまうのはなぜだろう?
本やテレビで見た写真や映像程度の、乏しい私のアフリカ情報。
しかし、それだけでも、他のピアノからは一線を画した強烈な“アフリカ臭”を体感できるのだ。
これは、おそらく私だけではなく、『アフリカン・ピアノ』を聴いた多くの人々がそう感じているのではないだろうか。
冒頭の《ブラジョー・フロム・キリマンジャロ》。
低音部の執拗な反復を耳にした瞬間から、世界が真っ黒に染まる。視界も心なしかワイドレンジになったような錯覚に陥る。
まさにイントロに相応しい曲だ。
素朴なメロディラインから、パーカッシブな打鍵まで、変幻自在な右手は、まるで移ろい行く広大なアフリカの風景を描き出しているかのようだ。
陽気で祝祭的な《ザ・ムーン》や《ザバ》、和音の響きが個人的には大好きな《キッピー》。
様々な表現スタイルでアフリカの風景を描き出すダラー・ブランド。
『アフリカン・ピアノ』は、1969年、コペンハーゲンのカフェ・モンマルトルで録音されたピアノソロのライブを収録したものだ。
ライブハウスのざわめきが冒頭に聴こえるが、このざわめきから、やがて音のバランスがピアノの音に移行してゆく編集もムード満点。
一曲ごとが独立しているわけではなく、メドレーのように曲がつながっている。
最初の《ブラジョー・フロム・キリマンジャロ》から最後の《ティンティアナ》まで、文句なしの展開と構成だと思う。
聴き終えた後は、スケールの大きな物語を鑑賞し終えたような充実感が押し寄せる。
そして、私はいつも、広大で深くて漆黒のアフリカ大陸に想いを馳せるのだ。