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かねたから私はプリンスが大好きだったのだが、このアルバムを聴いた瞬間、プリンスとスライの音楽表現と直感的につながった。 もっと言ってしまえば、プリンスの『サイン・オブ・ザ・タイムズ』なんて、もろ『暴動』の影響を受けまくりじゃないかということに気づき、大好きなミュージシャンの楽屋裏をのぞいてしまったようなワクワクした気持ちになったものだ。 しかし、プリンスの音楽はやはりアクティブというか、躍動的だ。どんなにダウナーなニュアンスを音楽内に盛り込んでも、前へ前へと進んでゆく柔らかくも強い推進力を感じる。 それに反してスライのこのアルバムのダウナーっぷりはどうだ。 はじけるテンションをグッと上から甘く柔らかく押さえつけたかのような音のニュアンス。体の内側が裏返るような抑制の効いたサウンドは、身体の内側をムズムズと刺激するのだ。 ダイレクトに下半身を刺激するような性欲の高まりではなく、じわじわと脳の中が侵食されていくようなマッタリ感にたまらなくエロスを感じた。 ひび割れたエレピの音色、 ひび割れたギターのカッティング、 ひび割れたスライのヴォーカル、 チロチロとネチっこく絡み合うギターとエレピのシングルトーン。 ひとつひとつの音色はギザギザとしているくせに、これらの要素が渾然一体となると、なぜか尖ったエッジが薄れ、甘美かつ真っ黒な匂いが漂ってくるのだ。 それはあたかも、熟し過ぎた果実が腐りかけて地面に落下する寸前のニュアンス。 音楽で、このような感覚を味わったのは初めてだ。 また、ボリュームを上げても、うるさく感じないのもこのアルバムの面白いところだ。 よく聴くと、様々な楽器のサウンドが渾然一体な重なり具合を呈している箇所も数え切れないほどあるにも関わらず、なぜだかサウンドは穏やかかつシンプル。奇妙な静けさすら一貫して漂いまくっているのだ。 さながら、音楽に重力があるとすれば、『暴動』というアルバムが湛えているトーンは、間違いなく地下へ地下へと深く深く沈んでゆく醒めた重たさを有しており、嗚呼、聴けば聴くほど、今、自分が座っているソファが。どんどん、どんどん沈んでゆくではないか。 2曲目の《ジャスト・ライク・ア・ベイビー》の後半でスライが、内積してゆく感情の昂まりを 敢えて抑えた声で ♪シェ〜〜 と発するかのようなニュアンス。 内側は沸騰しているにもかかわらず、表出される音は奇妙に抑制された醒めており、このアンビバレンツ感が、性欲にも直結する悶々としたムズムズ感に直結し、私は麻薬に手を出したことはないにもかかわらず、大麻やマリファナなどのダウナー系のブツで頭の中がくるくるしているときの気分はきっとこんな感じなのだろうか?などとも思う。 私はジャズ以外の音楽では坂本龍一の『B-2 unit』が生涯のアルバムベスト3にランクインするアルバムなのだが、この畳み掛けるような暴力的な音の断片は、『暴動』とは対極にコカインやシャブなどのアッパー系ドラッグの覚醒感に近いものがあるのではないかと感じている(重ね重ね私は麻薬はやっていません、体験者からのお話を総合して妄想しています)。 私は極端なダウナー系と、極端なアッパー系ミュージックが好きなのかもしれませんね。 このアルバムだけが持つ、なんとも形容しがたいムードは唯一無二のものであり、ためしに他のスライのアルバムにも数枚手を伸ばしてみたが、他のアルバムのサウンドはキャッチーかつ躍動的で、他のアルバムのスライを知れば知るほど、『暴動』というアルバムがいかに特殊なアルバムなのかということを思い知らされた。 多くのミュージシャンにカバーされ続けている名曲《ファミリー・アフェア》や、ラリー・グラハムのスラップベースに耳が吸い寄せられてしまう《サンキュー》など佳曲もそろっている上に、数秒の空白で音がない《暴動(ゼアズ・ア・ライオット・ゴーズ・オン》というナンバーもあるが、これら1つ1つの曲を抽出して愉しんだり語ったりするよりも、このアルバムの場合はアルバム全体を一つの流れとして捉え、このアルバムにしかない独特の倦怠感を愉しむべきだと思う。 まったりとして、トロトロのコクがある、どうしようもないほどの倦怠感に襲われる快楽アルバムの最右翼といっても過言ではないだろう。 (記:2011/12/19)
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