雑想 <▲ home

ジャズというシステム


映画は好きでも嫌いでも無いメディアだったのだが、
今年になってから、狂ったように映画を観まくっている。

もう150本ぐらいは観たのかな?

その中で、何が印象に残っているのかというと、

今パッと思いついたものを3つ並べると、

『誰も知らない』
『珈琲時光』
『リバイバル・ブルース』

なんだよね。

奇しくも、この3点の共通点は、
即興の要素が強いということ。

もちろん、このシーンはこういうシチュエーションで、といった枠組みや設定はあるのだけれども、セリフや演技の細かいところなどは、アドリブ。

だからこそ、枠組みを作る監督の手腕が問われる。
枠組みの強度が強ければ強いほど(縛りの強さじゃなく)、枠組みの中で演じる役者のアドリブが生きてくる。

なんだ、それってジャズと同じじゃん。

特に、ブルーノートのアルフレッド・ライオンの手法。

強度な骨組みを築きつつも、演奏におけるジャズマンの最大限の自由をも保証した。

作為性を出さない作為。
周到に計算されたであろうハプニング。

たとえば、ジャズ・メッセンジャーズの名盤『バードランドの夜』。
ライブの熱気を録音したい。
だから、ライブハウスに二週間、グループを出演させた。
ライブをかねたリハーサル。
素晴らしい枠組み作りだ。
2週間演奏させ、機が熟した時点で、録音した。
結果、演奏のまとまり具合、ライブの熱気、勢い、偶発的なハプニング、これらすべての要素が渾然一体となって2枚のレコードにパッケージングされた。

他のアルバムも、レコーディング前には必ずジャズマンにリハーサルをさせ、リハーサルにもギャラを支払った。

このような枠組み作り、システム作りを経て、生まれたレコードたち。
だから、いまだブルーノートの諸作品は、時代の風雪に耐えて生き残っている。

と、ここまで書いて、気がついた。
私はジャズが好きというよりは、ジャズという構造、ジャズというシステムが好きなのだな、ということ。

最初から最後まで、即興オンリーでもなければ、徹頭徹尾コントロールされているわけでもない。基本的な枠組みと、枠組みの中で精一杯なされる表現。

クリエイターが最大限の表現を爆発させるためには、制約と自由のバランス加減が重要なのだ。

なんでもいいから自由にやってください、と言われたって、どんなベテランでも困ってしまうと思う。

しかし、これだけは必ず守ってもらうけども、あとは自由にやってください。
こう言われたほうが、少なくともプロは表現意欲に燃えるはずだ。

システムと非システムの狭間を自由に行き来できる人こそ、なにごとにおいても達人になれる。

また、この自由と非自由の枠組みを巧みに築き上げられる人こそ、一流のプロデューサーなのだと思う。

(記:2004/09/09)