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リ コ ー ダ ・ ミ ー


ジョー・ヘンダーソン(ts)の初リーダーアルバム『ページ・ワン』(Blue Note)収録の曲。
このアルバムは冒頭の《ブルー・ボサ》で有名なアルバムだ。

以前バイトをしていたジャズ喫茶のレコード係が、《リコーダ・ミー》が良いとしきりに呟いていたが、当時の私にはこの曲の良さ、というよりも、このアルバムの良さがちっとも分からなかった。

『ページ・ワン』というアルバムのサウンドは、ジャケットのイメージどおり、とでも言うべきか、全体的に涼しげで、なんとなく小ぢんまりとまとまりすぎた演奏だと思ったのが当時の第一印象。

ジャケットを見る。
たしかに壁にもたれかかるヘンダーソン。スーツの着こなしといい、スカシたポーズといい、なかなかスタイリッシュで格好がよろしいのだが、寒くて白っぽいグレイのコンクリートが8割近くを占めるジャケットよろしく、全体のサウンドもすき間風がヒュルルルルと吹いてきそうな、ブルーノート得意の熱血ゴリゴリハード・バップとは縁遠い、冷ややかなぐらいの醒めたサウンドが、私の好みに合わなかった。

パーソネルを見ると、ドラムはピート・ラ・ロッカ。
アート・ファーマーのグループでは理知的なドラミングをしていたが、ソニー・ロリンズの『ヴィレッジ・ヴァンガードの夜』での熱いシンバル連打はどこへ行った?
ベースはブッチ・ウォレン。スナップの利いたリズム感と迫力ある太い音はどうした?
ピアノはコルトレーン・カルテットのマッコイ・タイナーではないか。しかし、鍵盤弾きまくりの激しいプレイはどこへ行った?

私がこのアルバムで感じたちょっとした不満は、迫力ある音を出そうと思えばいくらでも出せるはずの連中が、控えめでまるでネコを被ったように大人しいプレイをしていることだ。
それぞれのジャズメン本来の持ち味が十分に引き出されていないもどかしさがあった。

当時の音楽的な嗜好も拍車をかけていたのかもしれない。
なにせ、私がその当時によく聴いていたアルバムが、エレクトリック楽器を導入したマイルスの重層的かつ過激なサウンドだったり、発狂&咆哮するエリック・ドルフィーの諸々のアルバムだったり、チャールズ・ミンガスの分厚く濁ったアンサンブルに痺れていたので、それらに比べると、いかにもジョー・ヘンダーソンの『ページ・ワン』はスッキリ淡白な、という印象が否めなかったのだ。
一言、「迫力がない」。

もちろん《リコーダ・ミー》は何度も聴いたが、上記のごとき肉厚なサウンドに耳が慣れていたせいか、非常にダサいメロディに思えて仕方がなかった。

ジャズファンの誰もがそういう時期があるのかどうかは分からないが、ある程度ジャズに親しんで一通り色々なアルバムを聴くと、ブルーノートやプレスティッジをはじめとする典型的な「ハード・バップ」特有の「匂い」が非常にダサく思えてしまう時期が出てくる。
他の音楽ジャンルに喩えると、良い曲には違いないんだけれども、ソウルのベタベタなメロディがクサすぎて鬱陶しいと感じるような感覚に近いものがあるのかもしれない。

ジャズの「いろは」がオボロゲながら分かり始めた時期に陥る、ちょっとした気取り。ことさら名盤と称されるアルバムに背を向けて「いまさら『モーニン』や『サキコロ』でもないでしょ」みたいな見栄とツッパリ根性。
一過性の麻疹(はしか)のようなものだったのかもしれないが、少なくとも私にはそういう「イヤな」時期があったことを正直に告白しておこ


さて、私は先日ジャズ喫茶「イントロ」のジャムセッションに参加してきたのだが、途中「イントロ」出身の人たちで演奏された《リコーダ・ミー》、この演奏が非常に良かった。
なんで俺はいままでこんなに素晴らしい曲をダサいなどと感じていたのだろう、と耳アカが詰まりまくっていた自分の耳を恥じるぐらいの好演奏だった。
もちろん同じ曲とはいえ、演奏者によっては曲の雰囲気がガラリと変わるのはジャズでは当たり前の事実。
たまたまイントロ出身の人たちの演奏の力量が並々ならぬものがあったのは重々承知の上、それでも最後のテーマのメロディを聴いた瞬間、「なんて素晴らしい曲なんだろう」、と心底思った。

《ブルー・ボサ》の旋律を裏返しにしたようなメロディが独特な雰囲気を醸しだしている。
この曲の本当の良さと真髄が、「イントロ」の卒業生たちの手によって引き出されたのではないか。

で、家に帰って再び『ページ・ワン』を聴いてみると、やっぱり小ぢんまりしている。しかし、『ページ・ワン』のバージョンもなかなか悪くない演奏かなと思えてきた。
控えめなボサノバのリズムにのせて、ちょっと哀愁漂うメロディから、ラストの部分がたくみにメジャーな響きにチェンジされる箇所のさり気なさ。
涼しげな雰囲気で軽くサラッと流すからこそカッコいい曲なのかもな、などと、少しだけ思いはじめている。

(記:2001/02/08)