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これが、なかなかよい。
パーソネルを見てみると、やはりというか、さすが、というか、ベースは日本ベース界の重鎮(そんな言葉あったっけ?)の高水健司。深くてコクのある音色と、堅実なベースワークはサスガとしか言いようがない。
そして、肝心のこの曲はどこを切っても椎名林檎。
『FAMOUS』(宝島社)という音楽雑誌の巻末で紹介されていた椎名林檎選ぶフェイバリットアルバム10枚の中の1枚にエラ・フィッツジェラルド(以下エラ)の『エラ・イン・ベルリン』が選ばれていた。 この『輪廻ハイライト』を何の説明もなしに、ジャズマニアに聴かせたら、彼らは一体どういう反応を示すのだろう? 私感だが、この『輪廻ハイライト』のパッと聴きの印象は、伊藤君子や阿川泰子、大野エリといった日本の有名ジャズシンガーの歌いっぷりよりも、はるかに太いエモーションを感じるのだが、いかがなものだろうか?(あくまでパッと聴きね)
私がジャズシンガーに求める大きな要素というのは「ふてぶてしさ」と「豪胆さ」だ。 彼女の歌声には黒人ヴォーカルのエラやサラ(・ヴォーン)、そしてカーメン(・マクレエ)らの持つ、独特の迫力というか「ドス」が感じられる。 インタビューなどを読むと、椎名林檎は昔から自分の悪声にコンプレックスを持っていたようだが、サッチモ(ルイ・アームストロング)を例に持ち出すまでもなく、悪声をも表現力に変えてしまうところがジャズの醍醐味だし、声の存在感をそのまま表現に落とし込める才能はやはり並々ならぬものがあると私は感じている。 そして、「ドスの効いた表現」の出来る人ほど、バラードやしみじみ系の曲を演ると、激情的な涙がドバーっと出まくりのとても深い表現が出来る。
電気楽器を導入した頃のマイルス・デイビスの音楽は、かなりのドスが効いているので正直「怖い」ところもある。「インテリヤクザ」(この表現大好き)と評する人もいるが、言いえて妙だと思う。 結局表現のレンジの幅が、歌い手の力量なのだろう。 彼女は今年の某大学の学園祭でオリジナル曲はあまり歌わずに、「ザ・ピーナッツ」や「ピンクレディ」などのカバーばかりを披露し、アンコールにも答えずにブーイングの嵐だったそうだ。まあ、やっとの思いでチケットを入手し、晴れてライブに期待と胸ときめかせて会場に足を運んだファンの落胆には同情すべきものがあるが、私にとっては「やってくれるぜ林檎!」と快哉を叫びたい気持ちだ。 『輪廻ハイライト』を聴いてからというもの、「自作自演」に止まらず、積極的に他人の曲を林檎流に料理していけばどんなに面白いだろうと考えていたところだったからだ。 彼女はまだ若いから、未消化な曲も多いだろうし、他人の世界を自分流に色付けするには時間が必要なのだろうが、これらの曲をライブで小出しにしつつも、少しずつ磨きをかけてゆくことも悪くない。もちろん、メインはあくまでオリジナルにすべきだろうけど… 昔から名シンガーと呼ばれている人は、手垢のついた古い曲に新しい解釈を加え、自分流に蘇らせることのできる人のことをいう。そして、林檎にはその資質が十分あるのではないか?
何もジャズのスタンダードをやって欲しいと言っているのではなく、ファンにとって痒い選曲を期待しつつ…。
またまたマイルスを引き合いに出してしまうが、彼の、いやジャズ史上屈指の名盤『カインド・オブ・ブルー』は今年がちょうど録音されて40周年。 私は音楽の善し悪しは決して枚数で測れるものとは思わないが、それにしてもマイルスが40年かけて伝えた人数に、林檎はわずか一ヵ月足らずで同じ人数に林檎流4ビートを知らしめた。
ジャズを聴いている人、そして全く縁のなかった人の耳にも、この心地良くも、少し邪悪な4ビートが届いている。マーケットが違うのだよ、と言われればそれまでの話しだが、考えてみると、スゴイことではある。
(記:1999/11/08)
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