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椎名林檎の愉しみ方、俺の場合


椎名林檎を聴いた人の多くは、歌詞に共感するかしないかで好き嫌いが面白いほど極端に分かれる。

好きな人は過剰なまでに林檎の世界に自己を投影して「林檎の全部」を無条件に受け入れようとしている感があるし、逆に嫌いな人が林檎の世界を拒絶するまでの過程も、好きな人と同様な手順を踏んで、結果的に嫌いになってしまうような気がする。

要するに接しかたは同じ。
結果として好きか嫌いかが分かれるだけの話しなのだろう。

もっとも林檎に限らず、多くの「歌付き音楽」もリスナーは同様に「表現者の物語」と「自己の物語」の突き合わせ作業をしているのだろうけれど。

彼女はある種トリックスター的な要素もあるので、その歌以外をも含めた表現のスタイルで好悪の感情が人によって極端に分かれることも納得できる。

私はもちろん椎名林檎が好きだが、好きになるキッカケがあくまで「サウンド」からだったので、感情移入の仕方が他のファンとは多少違うのかもしれない。私の場合は椎名林檎というアーティストをどう鑑賞し愉しんでいるのかを書いてみようと思う。

まず私は椎名林檎の歌詞の世界に「文学的」な要素はほとんど感じとっていない。漢字の使い方のセンスや、旧字体的な文章の記述に関しては特に何も感じないし、ましてや文学的な格調などはまったく感じない。
感じるのは、暴走気味で過剰な勢い。そしてそれゆえの心地良さ。

歌詞もコトバ遊び的で、多分に即興的で、意味性よりも勢いを重視しているように感じられる。
詞の表現はよい意味であまり「練られて」いないような気がする。新譜の『本能』に収録されている『輪廻ハイライト』などはまさにその極端な典型。彼女の詞の中には意味深っぽい一面を垣間見る瞬間もあるにはあるが、それすらも含めて「パロディ」に感じてしまう。

つまり「嘘」とまではいかないにしろ、表現内容の全てが彼女自身の真実、あるいは100%の内面の物語の吐露やとは到底思えない。

もちろん小説やドラマにだって、送り手の「体験」がもしかしたら混じっているかもしれない「虚構」の世界だということは百も承知で我々は楽しんでいるワケだが、林檎の場合は表現の一つ一つが全て彼女自身の内面の物語、リアルな肉声と受け取られかねない洒落にならないほどのパワーを持っていることは否めない。
これは一にも二にも彼女の表現力の強さに他ならない。

注意深く聴けばよく分かるけど、椎名林檎の曲は一曲ごとに、世界観も表現手法もまるで違う。少なくとも『無罪モラトリアム』からは、アルバム全体を通してトータルで何かを表現しようとする意志はあまり感じられない。
もちろん『無罪モラトリアム』は良いアルバムには違いないが、10代の時に作りためた様々な曲の寄せ集めベスト集という趣きが強い。

それでもほとんどの人が、ある種特殊な眼差しと共通したイメージを彼女に見い出すのは、コトバやサウンド以外の要素によるものが多いのではないかと私は思っている。

トータルなパッケージングによるイメージ。

極端でヘンな例えだが、「石ころ」と「信号機」と「ラーメンの丼」は独立した共通項の見い出しにくい、まったくの別モノなのだが、配列の仕方やパッケージングのセンス次第では特殊な意味性を持たすことができる。

椎名林檎に対する多くの人の眼差しは、音楽以外のパッケージングによるイメージが先行してしまっているのではないかと思う。

例えば看護婦姿のコスプレや「新宿系自作自演屋」「学舎(まなびや)エクスタシー」のような文字ワーク。『無罪モラトリアム』『ここでキスして』『本能』などのジャケットに見られるアートワーク。

『同じ夜』と『積み木遊び』はまったく別な世界だけれども、同じ眼差しで彼女を捉えてしまうのは「音楽」そのもの以外での色眼鏡(主観)が出来上がっちゃっているから。

パッケージングのうまさ、センスは、アルバム『BGM』を発表した当時のYMOのテレビCMやポスターに通ずるトータルなクリエイティビティと同じ匂いを私は感じる。
文学よりコピー、音楽と切り離しても独立して鑑賞に耐えうる文字情報とアートワーク。

そう、私が彼女の音楽以外のエトセトラと接している時の感覚は、優秀な広告作品と対峙しているような感覚に近い。

「ああ、やられた」「うまいなー」「こんなんもアリなわけね」。
「感動」よりも、「感心」と「驚き」。

逆に音楽は音楽として楽しんでるので、看護婦ルックにはまるで興味なし、インタビュー記事も私にとっては、ほとんど雑音にすぎない。

歌詞だけを抽出して分析することはほとんど無意味なことだと思っているし、あの歌詞は、サウンドとリズムにのっかってこそはじめて一つの表現として成立する。
言葉だけで訴えかけたいのであれば、散文詩でも書いた方が良いわけで。
彼女の場合、音を抜いた文字だけでの表現では、あまりにも、あまりにも脆すぎる。

しかし、サウンドと一体化し、“あの声”で中空に放たれる言葉は、仮にそれがフィクションだとしても、それはそれは、とても生々しい世界なのだ。
とてつもなくリアル、そして、時にとても痛々しさをも聴き手に感じさせるのだ。 と、ここまで書いてみると随分勝手な接しかたをしているんだなーと思ってしまうが、私は彼女の表現はとても好きなことには変わりありませんです。
とにかく、いろいろな角度から楽しめるアーティストですね、椎名林檎は。

(記:1999/10/28)