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バックのリズム隊のアプローチは時代とともにめまぐるしく変わったが、マイルスにとって、それは画家がキャンパスの素材を変えるようなものだ。
プレスティッジ時代のマイルスしか聴かない、『ビッチェス・ブリュー』以降のマイルスは認めないとのたまう方々も多い。しかし、私は彼のデビュー時から死ぬ間際までの演奏すべてが好きだ。 最初は自分のマイルスに対する接し方があまりに不真面目なのではないかとも思った。何となく「〜時代以降はダメだよ」的な評価を下した方が接し方にポリシーがあるように見えたからだ。
しかし、よくよく考えてみると私は、マイルスをジャズとして聴いていないということに気がついた。別に本人が「俺の音楽をジャズと呼ぶな」と言ったからではない。 彼は時代の節目節目の一番おいしいスタイルを貪欲に吸収して、マイルス流の料理を施してきたにすぎない。もちろん料理の方法は異なるが、一つ変わっていないことがある。 いつも彼の発するラッパのトーンは重く深かった。 デビュー当時のマイルスの音色ですら、すでにその片鱗がうかがえる。ハイトーンや高速パッセージが最初から「売り」ではなかった彼のスタイル。どの時代のレコーディングを聴いても、重く鈍い艶消しの色彩が濃厚にマイルス臭が漂ってくる。
フレーズ云々を論ずる以前の、絶対的な「音色」による存在感。
マイルス自身も音色には相当心を砕いていたに違いない。彼作曲の有名曲「マイルストーンズ」。
彼のラッパはまるでペインティングの筆だ。
彼率いる優秀で忠実なシモベたちの作り上げた精巧かつ緻密なデッサンにマイルス画伯が最後の一筆をおろす。 彼の一筆で世界がガラっと変わる。
本当に一筆だけの演奏もある。
音楽にも絵にもトーンの美学と配列の美学がある。
セロニアス・モンクは時間の位相をズラすタイミングの魔術師だったが、マイルスは別の意味でのタイミングの達人。
私は心の奥を鋭く突き刺すマイルスのミュートも好きだが、どちらかというとオープンミュートから発せられる重く深い音色が好きだ。静かで深く暗い森を匂わすトーンは絶望の世界と夜の深淵の一歩手前。 マイルスの素晴しさは音色にある。
マイルスのアルバムを持っている人は、どれでも良い、スタイル以前にとにかくもう一度彼の音色に耳を傾けてみよう。
(記:1999/11/21)
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