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バド・パウエルのピアノ


バド・パウエルのピアノには「ヨジレの快感」がある。
リズム、テンポ、小節という、与えられた単位時間内の空白中に強引に捩じ込まれるフレーズの鬼気迫ることよ!
そう、まさに彼は一音一音をピアノに捩じ込んでいる!

彼の生涯の音楽活動は、一般に前期を絶頂期、後期を衰退期とみなされている。
数ある彼のアルバムを聴くと、確かにプレイの面においてはその通りで、テクニック面においての盛衰の激しいピアニストではあったが、彼の表現の本質、「捩れ(よじ)」と「捩じ込み」は生涯全く変わることはなかった。

それに、あの乾いた音色!!
ピアノが一音一音バシン!バシン!!と悲鳴をあげているようだ。
喩えがヘンかもしれないが、そのフレーズの捩れ具合と、強引なぐらいのフレーズの説得力は、ピアノのジミ・ヘンドリックスと言っても過言ではない。
ジミヘンは、エレクトリックギターと、マーシャルのアンプによって、つまり電気の力を借りて“捩れサウンド”を実現したが、パウエルの場合は、アコースティックピアノと己の指先だけで、独自の音空間を形成した。

たとえば、ビル・エヴァンスでもいい、キース・ジャレットでもいい。
彼らの「濡れたピアノ(ケナしているわけではない、念の為)」の後に、バド・パウエルをかけてみる。
出来れば大音量で。
すると場の空気が怖いくらいに一転する。
ジャズ喫茶でパウエルを聴いた方は、実感されているだろうが、たとえばブルーノートやプレスティッジなどの「典型的ハードバップ」の後に繋がるパウエルの演奏。
演奏全体から醸し出る「厳しさ」には格段の差違がある。
ただならぬ殺気と緊張感が場の空気を支配する。
何てドライなピアノなんだろう。
とりあえず言えることは、お酒を飲みながらリラックスして聴ける類いの演奏ではないということだ。

そして、あのスピード感。
テンポのことではない。
物理的にストップ・ウォッチなどで計測出来る「速度」ではなく、演奏者が我々聴衆に投影する「心理的速度」。「タイム感」という言葉に置き換えてもよい。
これがまた、凄まじいほどに速い。
初期の「二人でお茶を」や「スイート・ジョージア・ブラウン」のように圧倒的なテンポのスピード感もさることながら、後期の『アット・ザ・ゴールデン・サークル vol.3』収録の「アイ・リメンバー・クリフォード」の“止まったような演奏”こそ、彼の体内時間の凄さを認識出来る格好の演奏だと思う。
“止まったような演奏”と書いたが、凡庸なピアニストがそれくらいのテンポの設定をしたら、本当に演奏が止まってしまうことだろう。 ところが、バド・パウエルの「アイ・リメンバー・クリフォード」は、曲の流れが止まることなく、最後まで演奏が持続している。

矛盾するようだが、バラードにこそ必要なのは「スピード感」なのだ。
以前私がアンサンブルを習っていた頃、故・板谷師匠によく言われたものだ。
バラードこそ求められるのはスピード感。スピード感の無い演奏は曲が止まって死んでしまう。ゆっくりしたテンポの曲こそ「速くゆっくりと弾け」と。
禅問答のような教えなのかもしれない。しかし、実際演奏してみると分かるが、テンポがゆっくりになればなるほど、尋常ならざる緊張感を演奏者は持続させねばならない。そして、パウエルのバラード表現に流れる悠久な時間と、それを持続させる強靱なスピード感は凡庸なピアニストには絶対に真似の出来ないことだと思う。

そして、前述した、あの乾いたピアノの音色がプラスされてしまうと、聴き手は耳を捩らして、彼のピアノの虜になってしまう。

バド・パウエルのピアノが鳴っている空間においては、一番偉いのはパウエルのピアノであって、我々は彼の演奏にひれ伏し、ただひたすら洪水のように捩じ込まれるピアノの一音一音に耳を傾けるしかないのだ。
いや、強引に傾けさせられる。
それだけの力が彼のピアノにはある。

ピアノ・トリオのフォーマット(ピアノ+ベース+ドラム)の開祖。
数々の後続のパウエル派ピアニストを生み出した。
分裂症で精神病院で電気治療をされた。
絶頂期の彼のスピードについてゆけるドラマーはマックス・ローチだけだった。
ソニー・スティットのソロをピアノで強引に奪った。
後期は指がもつれて早いパッセージが弾けなくなった。
クラブで一晩中「オール・ザ・シングズ・ユー・アー」を引き続けた。
晩年の彼を大江健三郎は「老いたセイウチ」と評した。
彼のソロの素晴らしさに圧倒されたライバルで犬猿の仲のトランペッター、ファッツ・ナヴァロがテーマの冒頭2小節を吹き忘れた…。

伝説、逸話にはこと欠かない彼ではあるが、まずはさておき、もし未聴の方がいらっしゃれば、是非彼の演奏に触れ、驚き、圧倒されてみて下さい。

「記憶再生装置」
「恋愛感情増幅装置」
「一人唯我独尊気分生産装置」
などとしての音楽も悪くはないが、それだけが音楽ではないことも確か。
たまには耳の冒険をしてみるのも悪くないのでは?

数あるジャズ入門書を紐解くと、パウエルはジャズ史の中でもある種、別格な扱いを受けていることも確か。そのせいか聴かず嫌いの人も多いようだ。

たしかにパウエルは天才だし、他のジャズピアニストと比較すれば、「格」のようなものの違いがあることも確かだ。
しかし、天才だからといって敬して遠ざけるべきではない。
以下、お勧めアルバムと演奏曲を挙げる。

Tempus Fugit/『Jazz Giant』(Verve)


タイトルは、ラテン語で「光陰矢のごとし」。まさにタイトル通りの演奏。早い!カッコイイ!!


Un Poco Loco/「The Amazing Bud Powell vol.1」(Blue Note)


鬼気迫る演奏。3テイク入っているので、聴きくらべると面白い。
どれも演奏アプローチが違う。
他2テイクとカウベルの刻みのパターンが違う上に、演奏が途中で中断してしまうtake1。
マックス・ローチのドラム・ソロに強引に乱入し、テーマに戻るピアノがスリリングなtake2。
take3の流れを踏襲し、なおかつ一番マトマリのあるtake3……。


Oblivion, Dusk In Sandi/「The Genius of Bud Powell」(Verve)


前期のパウエル作曲のナンバーには、高貴でなおかつ厳しい美しさを内包するものが多いが、この「Oblivion (忘却)」「Dusk In Sandi」はその典型。個人的には大好きな曲。後年のジェリ・アレンやクロード・ウイリアムソンJr.のボロボロの演奏と比較して、この演奏は、なんと凛として峻厳なことよ。


A Night In Tunisia/「The Amazing Bud Powell vol.2」(Blue Note)


これぞ、私の主張するパウエル流捩じ込みピアノの典型。


Buster Rides Again/「Time Waits」(Blue Note)


私が最初に接したパウエルがこのアルバムのこの演奏。一聴、心底恐いピアノだと思った。ビル・エヴァンスに馴染んだ耳にはあまりにも恐ろしい歪んだ異空間。
緊張感に満ち満ち、殺気だったフィリー・ジョーのドラムが凄い。


Blues In The Closet/「At The Golden Circle vol.2」(Steeple Chase)
フレーズだけを辿れば、何の変哲もない平凡なジャズピアノ。
しかし、15分の長尺演奏にも関わらず、長さを全く感じさせないのは、やはり彼のピアノが強引に我々の耳を強姦しているからか?
同シリーズのvol.3の「Swedish Pastry」も同様、イマイチ構成に欠ける長尺のソロながら、あっという間に時間が過ぎ去ってゆく。

I Remember Clifford/「At The Golden Circle vol.3」(Steeple Chase)
この哀愁、訥々したピアノの奥に表現の奥深さを知る。止まりそうで止まらないこの異様なテンポ設定を弾ききる彼の力量恐るべし。

Idaho、Autumn In New York/「Bud Powell In Paris」(Xanadu)
同タイトルのアルバムは2種類出ているが、こちらはザナドゥ版のほう。
サックス(ジョニー・グリフィン)のバックに回ったときですらも、この強引な存在感はどうだ!


Like Someone In Love/Our Man In Paris(Blue Note)


これはデクスターゴードン (ts)のアルバムにボーナス・トラックとして収録されている演奏。
無心にピアノと戯れるパウエルの以外な一面。

※他にも本当にたくさんあるのだけれど、とりあえずということで……

(記:1999/03/22)  
(加筆:2000/04/24)  
(加筆:2000/05/03)